夜の支配者
人里上空、高度1000m。俺達は作戦前のブリーフィングを終え、ファンタズムキャリアへと飛んでいた。
夜間の行動は得意だ。俺の目は暗い場所でも問題なく機能する。網膜の円錐形細胞を円柱形細胞に再構成すれば、色覚は大きく損なわれるが、物体の形がわかるだけで十分である。モスアイ構造になった角膜も、光を無駄なく網膜に届けるのに一役買っている。強い光には滅法弱いが、日の沈んだ今ならばサングラスも必要ない。
ブースターを噴かしてはウィングで滑空し、余計なエネルギー消費を抑える。ブースターの出力調整には意外に神経を使うから、推力と揚力に任せるととても楽だし、何より気分が良い。
「さて、そろそろ到着ですね」
眼前に浮遊する鋼鉄の雲。かつての太平洋戦争中に、日本は『大和』という世界最大の戦艦を建造したらしい。到着を告げる素子の作ったファンタズムキャリアは、大和の更に上を行くだろう。
「いいか皆、直にファンタズムキャリアの射程圏内に入る。全力で避けて甲板まで飛べ。ルートの開拓は俺が行う。ブリッジで落ち合おう」
俺が言い終えるか終えないかのうちに、ファンタズムキャリアの砲塔がこちらを向き、激しい弾幕を展開してきた。
「来るぞ!」
欧我の合図と共に回避の準備をする素子と鈴仙を尻目に、俺はアームキャノンに予め設定しておいたプログラムを起動した。
キャノン先端部が変形し、バイオエナジーで構成されたシールドを展開する。シールドはその角度を変えてまるで槍のような形状に変わり、スクリュードライバーも涙目になる程の高速で回転し始めた。
「穿孔『バイオロジカルボア』!」
そのままブースターの出力を上げ、キャノンを前方に構えたまま突進。魔力弾を触れた側からズタズタに斬り裂き、破砕していく。
このスペルカードは、あまりの危険性故に封印せねばならなかった。弾幕を破壊して強行突破するコンセプト自体も反則に近いが、恐るべきは攻撃対象が弾幕でなくそれを発射する本人に向けられた時だ。その時は対象のバイオエナジーに直接作用、皮膚を貫き、筋肉を引き裂き、内臓をぐちゃぐちゃに叩き潰して、どんな屈強な妖怪すら容易く死に至らしめるだろう。…無論、恐ろしくて実戦使用はおろかテストも行なっていない。その為しっかり機能してくれるか若干気がかりではあったが、支障はないと思われる。相手がルールを無視するのであれば、こちらもまたルール無用で通して良かろう。
皆より先に甲板に降り立ち、ゲート脇のスロットにUSBメモリを差す。ポーンという電子音が、ゲートのアンロックを告げた。センサーの知覚範囲内に俺が立っていた為、ゲートは自動ドアの要領で開く。
「開けゴマ、か」
人質の救出を行うまでの一連の動きを、素子は『セサミストリート作戦』と呼んだ。センスが良いのか悪いのかわからない。俺の知る限り、この世界に於いて横文字に詳しい者は早苗位なものだろう。判定はしない。
そういえば、早苗曰く、まだ守矢神社の神二柱は素子を嫌っているらしい。だがその原因は素子が自分達に喧嘩を売ったことではなく、自分達が開発中だったパラジウム合金を使用する常温核融合よりも優れたモノポールドライブを完成させたことへの嫉妬だという。妬む位なら努力をするべきだ。
進路を切り拓き、医務室の霊夢を救出し、道すがらガンカメラを破壊しながら、ついにブリッジのゲートに辿り着いた。
「ん?」
「どうしたの?」
「人質以外に誰かいる。下がっていろ」
俺は自分の目を疑った。向こう側にいるのは翔子とエンジニアの河童達だと聞かされたのに、もう二人の人物がゲートの前に陣取っていたからである。俺はその二人をゲート越しに詳しく観察した。
まず二人に共通するのは、妖怪であること、背丈が十にも満たない子供程度しかないこと、皮膚組織が紫外線に対し異常なまでの脆弱性を抱えていることだった。遺伝子構造の類似から、姉妹だと推測される。姉の背中には身の丈を超える蝙蝠の翼、妹の背中には枝状の軸に幾つもの宝石のような物体が付いた何かがある。
弾蔵の手先。俺の頭に真っ先に浮かんだ可能性は、俺に選択肢を与えなかった。
「霊夢、USBをスロットに差せ。ゲートが開いたらすぐに制圧する」
「?…まあいいや」
霊夢がUSBメモリを手にスロットの前に立った。そこから、俺の中で時間の流れが緩くなる。スロットに差さるまでカウント、3、2、1、…
「ゼロ!」
ポーン、ガシャン。
ゴキブリは初動から最高速度で走り出せるらしい。ゲート開放を合図にブースターが火を噴き、俺の体を一気に前方へと押し出して、まさにそのゴキブリ並みの加速度で、姉妹の内妹の方へ突撃させた。反応する隙も与えず突き飛ばして押さえ込み、後頭部にアームキャノンを突きつける。
「動くなよ。こいつは見た目こそ玩具臭いが必殺の武器だ。そこにいるそいつも、妹が可愛いなら賢明な判断をするべきだぞ」
「ほらフラン、だから言ったでしょう?直にここに小櫃が来るって」
だが件の姉は、フランと呼ばれた妹をからかうように笑っている。助けようとする様子も見られない。
「笑ってないで!敵じゃないって言ってよお姉様!」
「あら、レミリアにフランじゃない。なんであんたらがここに?」
じたばた暴れるフランを押さえつけていると、開け放していたゲートから霊夢が入ってきた。
「あ、無様な巫女が入ってきた」
「…レミリア、あんたねぇ」
レミリア。その名前で、俺は二ヶ月前の事を思い出した。『不可視の敵』こと素子の情報収集に紅魔館を訪れた際、館の主に会えなかった。その後幻想郷縁起を閲覧して、ようやくレミリア・スカーレットが吸血鬼であると確証が持てた。霊夢を嘲笑う彼女こそが、紅魔館の当主レミリア・スカーレット本人だろう。ここで姉妹が待ち伏せていたのは、姉の『運命を操る程度の能力』による未来予知を使用したのか。侵入方法については、吸血鬼としての能力の一部が考えられる。自身を霧状にまで細かくできる彼女らであれば、素子と欧我が脱出に利用した排気ダクトから入り込むことなど児戯にも等しい。
「私達はあの男の仲間ではないわ。昨夜は雨が降っていたからお邪魔できなくてね」
「…取り敢えず、素子達が来る前に言い訳を準備しておけよ」
俺はフランを解放してから、ブリッジの奥、飛行制御用インターフェイスの元に歩を進めて、ついでに500歳児と495歳児に忠告しておいた。