前代未聞の宣戦布告
やればできるものだったのか。4000超え。
素子との無線の翌朝。
人里は、ファンタズムキャリアの話題で持ちきりだった。文々。新聞の一面に船内の様子、そしてそこで催されたパジャマパーティーの模様がでかでかと載せられ、一部では、空中ホテルとして営業されるなどといった根も葉もないデマが流布する始末である。お陰で俺は薬を売り歩きながら、聡明だが詰めの甘い友人の為に住人の誤解を解くべく奔走する羽目になった。歩いているのに走っているとはこれはいかに。
夕立と思った豪雨は深夜まで降り続き、舗装のない道にぬかるみを生み出した。しかし夏場の強烈な太陽光線がいとも容易くそれを消し去り、代わりにそこらじゅうを蒸し風呂に変えた。遠く木霊する蝉の鳴き声が、体感温度をさらに上昇させる。
「…暑い」
仕方なく、俺はジェネラルカスタムにのみ備わった機能を試すことにした。
温度変化エフェクターにより負の温度化が為されたバイオエナジーを、アームキャノンの銃口から発生、体表面に膜状に展開する。これは俺がチューニングを行う以前から入っていたプログラムである。間違いなくハルベルトの仕業だ。
「ひゃあっ?!冷たっ?!」
「ん、ああ、すまんな」
いい加減にくっつくのを止めて欲しいという鈴仙への懇願という意味合いも、入っていない訳ではない。
ファンタズムキャリアは、現在魔法の森上空に浮遊している。幻想郷のほぼ中心だ。恐らく幻想郷のどこにいてもその威容を拝むことができるであろう。勿論、俺と鈴仙のいる人里も例外ではない。
「……」
「小櫃?どうしたの?」
「…いや、何でもない。少し休憩しよう」
口に出す程ではないが、一つ気になることがあった。素子との連絡が途絶えている。こちらから無線機でコールしても応答がないのだ。翔子の母親である麻紀に尋ねても、翔子が帰ってきていないという。ファンタズムキャリアに何か問題が起きたのだろうか?
「小櫃さん!大変です!」
すると突然、自分の目の前に件の素子が出現した。俺の目には、スカイフィッシュの姿で高速飛行しこちらに向かってくる彼女が見えていたが、俺以外には彼女が何も無い空間から湧出したように見えただろう。
「素子か。何故応答しなかった?」
「それどころじゃありません!ファンタズムキャリアの中央制御システムが何者かにハッキングされて、勝手に操作されているんです!」
「何だって?!」
その言葉に、俺は驚きを禁じ得なかった。
「翔子や欧我達は?」
「…脱出できたのは私と、私のスカイフィッシュになる能力をコピーした欧我さんだけです。船内のゲートが全てロックされていて、弾幕でも破壊できないんです」
この時俺は、彼女の話に最大限注意を傾ける為に、バイオロケーションを使っていなかった。故に、俺は空中から接近する四角いそれに気付くことができなかった。
「ごきげんよう、幻想郷の住人達」
その若干エコーのかかった声の発生源に振り向けば、そこには浮遊する大型テレビ。二重反転ローターと思しきプロペラが上部両端に装着されており、それを用いて飛んでいるようであった。
「私の名は源弾蔵。本来ならば名乗る程の者でもない、しがない妖怪だ。訳あって顔は晒せない」
液晶画面に映るのは天狗の装束を纏う若い男の姿。ただし、『罪』と大きく書かれた布で頭の先から首周りまでをすっぽりと覆い隠している。人里中に響き渡る大音量に、不安の色を抱えた住人達が続々と集まってきた。
「現在、ファンタズムキャリアの制御システムは完全に我々の手中にある。またそれにより、博麗の巫女やブン屋、エンジニア等の、船内の人員を人質に取っている」
博麗の巫女が人質に取られた。冷徹だが穏やかな口調で告げられたその衝撃的事実に、人里の住人達は絶句したらしかった。ただ隣で、「そんな、…翔子…」という、素子の悲鳴とも嗚咽ともつかぬ掠れた小さな声が聞こえたのみである。
「…我々の要求は一つ。我々の『幻想郷拡張計画』に協力し、八雲紫の能力を以って、ファンタズムキャリアを幻想郷外部に移動、日本国侵略の準備を行うことだ。それが48時間以内に受け入れられない場合、ファンタズムキャリアの全武装を使用し、人里、妖怪の山、その他幻想郷の主要な拠点を攻撃、これを焦土化する。警告しよう、これは異変などではない」
異変などではない。これがどういう意味なのか、俺は瞬時に理解した。宣戦布告だ。テレビ越しである為バイオエナジーの流動は視認できないが、恐らくこの妖怪、源弾蔵は、幻想郷の住人を従えて、外の世界に何らかのフロンティアを求める腹積もりなのだろう。巫女に解決などさせるつもりは毛頭無く、故にルール無用、極悪非道。幻想郷に於いて前代未聞の、革命という名の惨劇。
「今のうちに、私の能力を明かしておこうか。私の能力は、『遮り妨げ害する程度の能力』。この世に存在するありとあらゆる事象に干渉し、それを阻害することができる。ファンタズムキャリアには、既に私の能力でコーティングが施され、弾幕や能力等による悪影響を完璧に遮断・無効化できるようになっている」
思考が停止しているであろう聴衆とは違い、弾蔵が自分の手の内を明かす間も、俺の思考はフル回転していた。今の外の世界、即ち日本は、アメリカ合衆国と安保条約を結んでいるはずだ。日の本が侵されるような事態になれば、米国は黙ってはいないだろう。だが、いくら強力な兵器を保有する国とはいえ、モノポールドライブとグリマスチャージャーによる半永久的エネルギー供給システムを持ち、あらゆる攻撃を受け付けない難攻不落の空中要塞を相手にできるとは思えない。幻想郷拡張計画というのは、妖怪の存在が幻想となった現代に、改めて、より分かりやすい形で妖怪の恐ろしさを知らしめ、幻想郷の結界の必要性を無くし、結果的に地球上全てを幻想郷――否、妖怪達の理想郷とする、そういうことだと、俺は解釈した。
「最後に、八雲紫へのメッセージを」
僅かに間。次の瞬間、彼の声音が、静かだが抑え難い激情を孕んだものに変わった。
「…これは侵略でも宣戦布告でもない。貴様ら妖怪の賢者共への…逆襲だ!」
それを最後に、画面が暗転し、テレビは沈黙した。
ぐずぐずしている時間はない。俺は隣に棒立ちになっている鈴仙の腕を強引に掴み、今後の行動を思案するべく永遠亭に戻ろうとした。
だがこの時、俺は一つのミスを犯していた。薬の入った箱は足下に置き去りではあるが、右手はアームキャノン、左手は鈴仙で塞がっている。つまり、この状態の俺はこの後当然起きるであろう事象に対処できない。
人里の住人達の、耳をつんざくような絶叫である。
「人里を、焦土化…だと?ふざけるな!」
「妖怪の賢者は…八雲紫は何をやっているんだ!」
「嫌だぁ…死にたくないよお…」
「巫女がいないなんて…もう駄目だ、おしまいだ…」
男達の怒号と罵声。女達の悲鳴と懇願。子供達の絶叫と涙声。老人達の諦観と神託。それらが混ざり合い、折り重なり、特大の不協和音となって、俺の内耳が壊れんばかりに震動させる。両手の使えぬ状況では、そのソニックブームをもろに受けるに甘んじるより他がなかった。
「くそっ、皆静かに…」
俺は迷惑なサラウンド音源を黙らせる、というより落ち着かせる為に、バイオロケーションで力場を発生しようとした。
その時、白と黒の色彩を纏った流星が一つ、俺と鈴仙の頭上を猛スピードで過ぎり、
「恋符『マスタースパーク』!」
一際大きな声が響いたかと思えば、太陽すら霞む輝きを放つ光の奔流が、上昇し始めたテレビを呑み込み、爆散させた。
現れたのは泥棒魔法使い、ではなく普通の魔法使いこと霧雨魔理沙である。
「へっ、なーにが逆襲だぁ!霊夢がいなくたって幻想郷には私がいるんだよ!」
「俺はのけ者かよ」
箒に乗った魔理沙の後ろに、今度は少年が現れる。青い帽子と茶色いゴーグルの下には、ぎらぎらした銀髪と淡いエメラルドの瞳。遺伝子操作によってかなり妖怪に近い体になっている。バイオエナジーの流動は、文と素子の勝負の際に見た写真屋と一致しているので、この少年こそ葉月欧我本人だろう。
「素子さん、カメラのバッテリーは換えてきました!」
欧我は素子に手を振っている。素子と一緒でなかったのはそういうことか。
「人里のみなさーん!この異変は私霧雨魔理沙が華麗に解決して見せますよー!…待ってろよ霊夢、今に助けて貸しを作ってやるからな!」
いいぞ白黒、やっちまえ、等の声に見送られ、ファンタズムキャリアに向けて飛び去る魔理沙。少年が取り残されたが、ともあれ住人達に希望が生まれたのは間違いなしだ。落ち着きを取り戻しつつある群衆の中、欧我は俺の前に降りてきた。
俺の予想が正しければ、魔理沙はファンタズムキャリアに返り討ちに遭うはずだ。ならば、ここは俺が動くより他はない。
「鈴仙、素子、欧我。よく聞いてくれ」
未だ困惑しているらしい少女二人と欧我に、こちらへ注意を向けるよう促す。
「たった今、俺はこの異変…いや、このテロリズムを解決する為の作戦を考案した。協力が必要だ。俺達で弾蔵を止めよう」
およそ五拍、沈黙。彼らに否定などありえなかった。
「私は行く。貴方を一人にはしない」
「私もついて行きます。翔子やにとりを助けたい。それに、あの船を世界征服に利用しようなんて許せません!」
「文が待っています。無論ついて行きますよ、将軍」
しかしながら、欧我の台詞に疑問を抱かずにはいられず。
「将軍?」
彼に問うた。
「貴方の武器ですよ。そんな高性能なブツが一般的な訳がないでしょう?だから将軍かなって」
なるほど、いいセンスである。だが俺が将軍ならば、一体誰が元帥をやるというのか。
フリーランスのバウンティハンターであった俺は、基本的に単独での行動が主だった。誰の命令を受ける訳でもなく、自分の意思で行動していた。故にそこに上下関係は存在しない。俺はあくまでこれが双方の同意の元成立する対等な関係であることを示す為、欧我の言葉を無言のうちに否定し、魔法の森のはずれへと向かった。