要らぬ懸念
戌眞呂さんの幻想郷文写帳より葉月欧我さんがコラボレートしています。
「いい迷惑だ」
それが、目を覚ました巫女にかけた最初の言葉だ。
「…ここは?」
「ファンタズムキャリアの医務室だ。運が良かったな、全身打撲と脳震盪で済んだそうだ」
皮肉たっぷりに言うと、霊夢はあからさまに膨れ不満を露にする。
本当にいい迷惑だ。勝手に異変と勘違いして勝手に暴れて、挙げ句の果てには素子に手当てを受ける始末。愚かしいにも程がある。こんな輩に博麗の巫女等任せておけない。
「この船の設備は充実している。全快するまで泊まっていいと素子が言っていた」
「本当に?」
「礼なら素子に直接言えよ。直にここに来るだろう」
霊夢が気絶している間に見せて貰ったのだが、通常の戦艦(駆逐艦、イージス艦、空母等)が備える設備以外にも、大食堂、大浴場、シアター等様々な設備が揃い、最早豪華客船並みだ。なまじ空を飛んでいる訳だから、これが外の世界に放たれたりすれば、あっという間にクルーズ船は駆逐されてしまうだろう。
医務室にいて思い出したが、素子は医師免許を持っていない。幻想郷には外の法律が適用されないので罪に問われることはないが、そんな奴が医療行為を行って大丈夫なのだろうか。
「俺は永遠亭に帰る。仕事に戻らねばならん」
俺がそう告げると、霊夢は寝転んだまま後ろ手に手を振った。こんなぐうたらが巫女でいいのか、その疑問は医務室のゲートから廊下に出ても消えはしない。
薬は既に売られ、俺の仕事はなくなっていた。
そもそも遅すぎた。永遠亭に戻る頃には時刻は4時を回り、鈴仙も帰ってきてしまった。無駄に時間を使って仕事を押し付ける形になってしまい、彼女に心底申し訳ない。明日の薬売りは俺が率先して行おう。それがせめてもの罪滅ぼしだ。
「聞いたわよ小櫃。空飛ぶ巨大な船が現れたんですって?」
「空中要塞と素子は言及していたが…あれはむしろ飛行戦艦だな。SFアニメにでも出てきそうだ。外装だけ見ればの話だが…」
「え?じゃあ内装は?」
「豪華絢爛、とまではいかないが、かなり充実している。五泊六日でお一人5万9800円でのご提供です、とか宣伝されてもおかしくない」
「ほら輝夜、駒進めたわよ」
「ん、ああごめんなさいね」
俺の前で、輝夜と妹紅が将棋――ではなくチェスをしている。このチェス盤と駒は俺が仕事の合間に作ったものだ。輝夜が暇を持て余しているようで、相手のいない時はよく一人で遊んでいる。
この二人、かつては殺し合う仲だったらしい。竹取物語の中の登場人物、名前は覚えていないが、蓬莱の玉の枝の偽物を職人に作らせた貴族の娘が妹紅なのだという。父に恥をかかせた輝夜に妹紅は恨みを持っていたが、弾幕ごっこの途中竹林で小火騒ぎを起こしてしまい、懲りて別の決闘方法で挑んでいるうちに、いつの間にか仲良くなっていたそうだ。
「飛行戦艦ねえ…調子に乗って幻想郷侵略とか考えなければいいけど」
妹紅の言い分は尤もだ。人里の住民達もそう考えたに違いない。
「安心しろ、素子が開発に関わっている。そんなことは彼女が許さんだろう。そもそも無謀だ。幻想郷の実力者が総力を挙げれば、あんな船はすぐに沈んで鉄屑の仲間入りさ」
そう本人が言っていた。この程度で脅威にはならない。
「それに、あれは河童が飽きたら分解して、モノポールドライブだけ残すそうだ」
「放置安定ね」
「輝夜、女王は頂いたわよ」
「なっ…おのれ黒騎士!王の入城で避難しましょう…」
「チェック」
「伏兵?!」
二人が楽しそうで何よりである。苦労して作った甲斐があった。
「お茶をお持ちしました」
障子を開け鈴仙が入ってくると、同時に激しい雨音も侵入してきた。夕立である。先程から遠くで雷鳴が轟いていた。きっとあの嘘吐き兎は部屋でぶるぶる震えているだろう。巨大な耳を持つ自分にとって雷の音はまさしく轟音だ、と言っていたが、いささか誇張された表現である。
「しかし、今日のは随分強いな」
ひょっとすると台風でも接近しているのではと錯覚しそうな豪雨だ。幻想郷は結界で隔離されているとはいえ、如何せん外の日本とは地続きである為、台風の影響は避けられない。その時は強烈な暴風雨が、山の木々をかき乱し、玄武の沢を破壊して、多くの森の生き物を死に至らしめるだろう。
「そうね…妹紅、今夜は泊まっていきなさいな」
「え、いいの?」
鈴仙の淹れた茶もそっちのけで話す輝夜と妹紅を尻目に、俺は傍らの無線機のスイッチを入れた。電話回線の通っていない幻想郷に於いて、遠方への連絡手段はにとりが作ったこの無線機位なものである。周波数を合わせ、コールする。
「雨が酷いぞ。翔子は帰らせたのか?」
「今夜はパジャマパーティーです。翔子のお母さんにも伝えておきました」
「雨降ってなかったら小櫃さんも呼んだんだけど…」
コール先は、ファンタズムキャリアにいる素子と翔子だ。俺が帰った後も二人は船内に残っているようなので、少しばかり心配になったのだ。
「どうせ女子会だろう。俺が行っても肩身が狭いだけだ」
「いえ、一応男の人もいますよ。今代わりますね」
男。その言葉に、俺は無意識に反応していた。理由は定かではないが、幻想郷の実力者は大抵が女で、俺のような者は稀だ。女は男が立ち入れない世界を持っていて、また逆に男は女が理解できない世界を持っている。故に時折話について行けないことがあるのだ。男の友人が増えるのは、俺には非常に喜ばしいことだった。
「あー、もしもし?四島小櫃さんですね?初めまして、葉月欧我です」
無線越しに聞こえてきたのは、いかにもな好青年の声だった。どことなく、俺の親友の霧崎剣弐に似ている気がする。
「ああ、そうとも。四島小櫃。元フリーランスのバウンティハンターで、インフィニタスだ」
しかし、どうも彼の声に聞き覚えがあるように思う。そう、あれは確か素子と文の、幻想郷最速を賭けたスピード勝負で、惨敗し傷心の文を慰めていたーー
「…まさか、あの写真屋か?文と恋仲だと聞いているが」
「そうそう、その葉月欧我です!」
「その様子だと文も乗船しているな?」
「はい、今回は二人で取材に来ています」
少し考えを改めることにした。この青年は、俺よりもずっとここの環境に適応している。相手も適応が不十分だと楽観していた。
しかし、どのみち俺が懸念することはないといえるだろう。
「…ん?」
電波状況が悪くなったのか、無線が通じなくなってしまった。だが、俺にはそれが「無用な心配はするな」というファンタズムキャリアの啓示であるようでならず、故に俺は無線機のスイッチを切った。
夕飯の時間が近い。俺は鈴仙を伴い、一人分多くなった飯を炊くべく、台所へと向かうことにした。
ハーメルンの最終更新でも幻想郷文写帳は完結していませんが、時系列としては完結後を想定しています。