繰り返す教訓
無限者で語られない小櫃の過去の一部を紹介しました。
紅魔館の一室。
「煙に巻かれた?」
「玄武の沢を経由したらしいわ。吸血鬼の弱点を突いたやり方ね」
フランからの無線の内容を、霊夢が告げた。
「発信機は付けたのか?」
「何とか付けたみたい。本人曰く、思っていたより大変だったそうよ」
ルーミアから聞き出した情報によれば、弾蔵というあの妖怪は、地上及び地底の妖怪を大量にスカウトし、高度に組織化された機構を作り上げているらしい。無線連絡を傍受したところ、人里の襲撃に『幻想郷解放軍第3小隊』が当たっているようだ。
「…発信機の反応が大蝦蟇の池で途絶えたわ。基地の入り口があるみたい」
レーダーを監視していた鈴仙の報告を聞き、今一度これからの動きを確認する。
「それでは、作戦を開始するぞ。まず文と欧我が基地を襲撃し、奴等を撹乱する。その隙に俺が基地内部に潜入し、鈴仙とにとりは霊夢を護衛しながら俺を無線でサポートする。いいな?」
「ちょっと待って、貴方一人で行くつもり?!」
鈴仙の心配性は今に始まったことではないが、こればかりは俺の正当性を主張しておかねばなるまい。
「この中で潜入任務の経験があるのは俺だけだ。それに一人の方が動きやすいこともある」
俺はコーカサスに於いて、バウンティハンターとして数々の依頼をこなしてきた。その中には、マフィアの本拠地に単身潜入・壊滅させるようなものも存在した。故にここにいる人員で最も適任なのは、間違いなくこの俺なのだ。
「無線を傍受される危険がある。今後はお互いをコードネームで呼び合うことにしよう」
名前をコードネームに置き換えるのは素子の提案によるものだ。因みに、素子は翔子と二人合わせて『マクスウェル』である。
「ふーん…あれ?小櫃、『霊夢』をアルファベットにして逆さにすると何になる?」
「REIMU…UMIER…ユーマー?」
「なるほど、じゃあ私はユーマーね」
早速、霊夢のコードネームが『ユーマー』に決まった。
「ルナメディックがいいかな」
「私はセカンドで」
「文、まだ引きずってるの?…まあいいや、俺は…うーん…うーん…」
「私はリキッドでいいや」
欧我がまだ悩んでいるが、取り敢えず自分のコードネームを教えることにした。
「俺のコードネームは『ビツケンヌ』。ジェネラルカスタムを使う前のアームキャノンの名だ」
「ビツケンヌ…変な名前」
「俺に言うな。師匠が付けたんだ」
予想通り霊夢が突っ込む。俺の師匠はネーミングセンスに難があったのだ。未だビツケンヌの由来はわからないままである。
「とにかく、出発は日の出直後。欧我はそれまでに自分のコードネームを考えておくんだな。今のうちに寝ておけ」
作戦はこれから最も重要な段階に入る。酷使してしまった自分と仲間の体を癒す為、暫し休憩時間とした。
しかし、俺は2時間と眠らぬうちに起きてしまった。ファンタズムキャリアの侵入前に寝溜めしたせいだろう。
かの有名な枕草子の一節を借りるなら、「紫立ちたる雲の細くたなびきたる」といったところだろうか。闇に閉ざされた時間は徐々に遠ざかり、弱々しい光が僅かな明かりを作り出す。欧我なら迷わずシャッターを切るだろう景色だ。尤も、俺にとってはサングラスの必要な時間が刻一刻と迫っている訳で、少々恨めしい。
咲夜の能力で空間の拡張された紅魔館内部をこれでもかと歩き回って、ようやく見つけたキッチンからコーヒーを拝借した。テラスに出、ミルクも砂糖も入れずにカップの中の黒色を味わう。何の品種かはわからなかったが、ブレンドのバランスが良いことは、芳醇な香りと豊かな風味が教えてくれた。
「小櫃さん」
不意にかかる声。振り向けば、そこには欧我の姿があった。
「…起きていたのは俺だけではなかったか」
「すみません。何だか緊張してしまって」
緊張で眠れない、というのはよくあることだ。友人が5年ぶりに学校に行くことになった時も、緊張で目が冴えてしまい、俺は夜通し彼のメールの相手をさせられ、寝不足の憂き目を見る羽目になった。無論その当時は万年寝不足であったが。
「…あの、もしよかったら、小櫃さんの師匠の話を聞かせて貰えますか?」
その言葉で、俺は自分が師匠のことを少しだけ口にしたのを思い出した。俺はテラスの柵に手をかけ、コーヒーを一口飲んでから、やおら口を開いた。
「…あれは、もう10年以上前のことだ…」
6歳の時に、俺はとある事情で警察に捕まって孤児院に入れられていた。自分では正しいことをしたつもりだったのに、何故こんな目に遭わねばならないのだ。そう言って、いつも自分の殻に閉じ籠って嘆いてばかりいた。その時に師匠に出会った。名前は、岡部展人。
彼は俺に言った。「法に従うだけじゃ守れない正義がある。法に従うことが招く悪もある」とな。俺は彼と一緒に孤児院を脱走し、移住船に密航、コーカサスに高飛びした。彼の伯父に当たる人物に匿って貰う為だ。無精子病を患って子供のいなかったその四島夫妻は、俺を養子にしてくれた。
展人は、一言で言えば変人だった。高度な戦闘技術と豊富な知識を持っていた変人だった。彼に弟子入りした俺は、それはそれは過酷な修行を行なった。厳しい日々だったが、その頃から目的のあった俺にはさほど苦ではなかったし、何より師匠は優しかった。俺の為にわざわざアームキャノンを買ってくれた時など、涙が止まらなかった。
教えの中で最も強調されたのは、『憎しみだけで正義を下してはならない』、『自分の家族・友人であっても悪事を許すな』、『常識が変わっても変わらない人としての当たり前を生きろ』、の三つだ。無論言われる前からそのつもりだったが、自分の信条に初めて形が与えられた気がした。
一人前と認められて師弟関係は終わっているが、今でも岡部展人は俺の中では師匠だ。
「法に従うだけじゃ、守れない正義がある…?」
「そうとも。時に超法規的なやり方でなければ殲滅できぬ悪が存在する。俺への教えで、俺への慰めだ」
「え?」
「…欧我。お前は、人を殺したことはあるか?」
「いえ、ありません」
「…お前が殺す人が、どうか全ての人間にとっての害悪であらんことを」
「…?…?」
俺はカップを片付けるべく、室内に戻った。
ほんのりと茶色くなった陶製の曲面からは、まだ強いカフェインが香っていた。
貴方の家族が、友人が罪を犯した時、貴方はその人を許しますか?




