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オレはオンナになりたいぜ!  作者: 工事中
日野葉子の過去1
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日野葉子の過去1―(4)

 放課となったA組の教室のドアが一斉に開かれた。

 後方のドアに張り付いていた私と幹生は、出入りする生徒たちの邪魔にならないように一歩後ろに下がって、改めて教室の中を覗き込んだ。

 多くの生徒が部活の準備や帰り支度を整える中、真樹も机から教科書やノートの類を引っ張り出しては鞄に詰め込んでいたが、その動きは周囲に比べて異様に遅い。一人だけスローモーションで動いているせいか、そこだけ空間が歪んでいるかのように見えるほどだった。

「おそらく深林さんに声を掛けるタイミングを計っているんだろう」

 と幹生が解説を入れる。

「にしても、もっと自然に振る舞えないのかしら。ああ、ヤダヤダ。アイツの間抜けな姿を見ていると、こっちが悲しくなってくるわ」

 私は天を仰いだ。といっても、そこには古びた校舎の黄ばんだ天井があるだけだ。救いも何もない。

「傍から見れば、皆似たようなもんさ。もっとも、真樹は特に不器用な方かもしれないけどね」

 私の頭上約二十センチの天から、そんな有り難くもない声が聞こえてきた。

 そうこうしているうちに、不意に真樹を取り囲む三人の女の子の姿があった。三人とも周囲の女子生徒と比べると、パッと見が派手だ。

 しかし、それぞれが自分に合ったメイクや髪形、制服の着こなしを心得ているようで、決して背伸びをして間違った方向に進んでいるわけではない。等身大の女の子として素直に可愛いなと思える三人組だった。

「ねえ、幹生。もしかして、あの真ん中の子が、深林さん? 少し趣味が変わったかしら」

 私は三人の中でも、特に目を引くモデル体型の女の子について聞いてみた。

私なら、彼女が良い――けれど、真樹にしては、さすがに高嶺の華ではないだろうかと余計な心配をしてしまう。

「いや、彼女たちは、ただのクラスメイトだ。大方、このあと遊びに行くメンバーでも集めているんだろう。ほら、他にも男が集まってきた」

 幹生の言葉どおり、真樹の机の周りにさらに二人の男子生徒が加わり、確かにこのまま六人で街にでも繰り出そうかという盛り上がりを見せていた。

 もっとも真樹はといえば、明らかに乗り気ではないようで、自分の机から、いまかいまかと離れたがる様子が挙動不審にも見えた。

「まったく、優柔不断よね」

 私は思わず溜息を吐いた。見ていて何だかイライラする。

「それにしても、真樹って結構需要があるのね。十年連続、意中の人からふられているくせに、意外だわ」

「需要って、真樹はモノじゃないんだから」

「何よ、人気があるとでも言えば良いわけ? 猿やパンダじゃあるまいし」

「葉子、何をそんなに苛立っているんだ? そんなに、真樹が他の女の子と仲良くするのが嫌なのかい?」

「そんなんじゃないわよ!」

 私は、幹生の脇腹に拳を放った。

 さすがの幹生も、人体の柔らかい場所を攻められ、体をくの字に曲げる。

 目線の高さが一緒になったところで、私は幹生に言った。

「男とか女とかは関係ないの。ただ単に、私たちの方が付き合いが長いんだぞって気分になるでしょう。アンタだって幼馴染なんだから分かるでしょう」

「まあ、分からなくもないけどね――」

 幹生は悶絶しながらも余裕のあるところを見せたいのか、右手の人差指で眼鏡のブリッジをクイッと上げながら言った。

「でも結局、真樹は俺たちのところに戻ってくるだろう。いままでだって、クラスが別になっても、真樹が誰を好きになっても、結局三人で一緒にやってきたじゃないか。そのことを思えば、そんなに不安がる必要はないと思うけどね」

 諭すような幹生の言葉に、私は不覚にも納得してしまった。

「――悪かったわね」

「謝る必要はないさ。これからも、そういう素直な感情を俺にぶつけてほしい。そのために無駄にデカい体になったんだろうからな」

「アンタ、Mでしょ?」

「服のサイズはLだけどな。――それより見てみろ、真樹が動き出すぞ」

 幹生の言葉に従い教室の様子に目を戻すと、真樹が自分の周りに集まったメンバーに手を合わせながら、自分の机から離れる様子が見てとれた。

 しかし、なお教室内に別の用事があるのか、私たちが待ち構えている廊下側ではなく、窓側の方へと足を運んでいた。

「ついに、深林さんに話しかけるつもりね。どの子?」

「いま、ちょうど真樹の視線の先――窓際の列の後ろから三番目に座っている子がそうだ」

 幹生が示すと同時に、真樹が声をかけたのか、それまで何か書き物をしていたその女子生徒が顔を上げた。

 さらに真樹が何事かを話しかけると、彼女は上品に口元に手を当てて、自然な笑みを浮かべながら受け答えをしていた。

 さっきの三人組の女の子たちとは違い、真面目で穏やかな印象を受ける子だ。だからといって、決して地味ではなく、高嶺の華とまでは言えないが、野原に咲く花のように、見る者に安心感を与える美しさを持っていた。

「ねえ、あの子がそうなの?」

「ああ」

 私も幹生もすっかり毒気が抜かれてしまったみたいに、しばらく黙って二人の様子を眺めていた。

 幼馴染の私から見ても、深林さんは、真樹のことを数年来の知人であるかのような親しみを込めた自然な態度で接していた。むしろ、気持ちに焦りが見える真樹の態度の方が素っ気なくて不自然だった。

 何だか二人の周囲にだけ、花畑が見えるようだ。

「ねえ、これって上手くいきそうじゃない?」

「ああ、奇跡みたいだ」

 有り得ない光景を目の当たりにして、私は自分の中に湧き上がる複雑な感情をどう処理すれば良いのか分からなくなった。

 真樹をとられるのは嫌だ。

 でも、真樹が幸せならそれでも良いか。

 いや、しかし幸せが長く続くとは限らない。

 そうすると、幸せだった分、余計に真樹は不幸せになるのではないか。

 ――分からない。

 いくら頭で考えても分からないので、私はもう一度冷静になって、深林さんの姿を目で追った。すると、「あれ?」と、俄かにある疑問が口をついて出た。

「私どこかで彼女を見たことがある気がする――」

 その疑問に対し、幹生は優等生らしく、いとも簡単に答えを出した。

「ああ、気付いていなかったのか。彼女――深林さんは、小学校、中学校ともに俺たちと同じ出身だぞ」

「そうだったの?」

「まあ、俺の記憶では、俺も葉子も真樹も彼女とは一度も同じクラスになったことはないと思うが、それでも見かけたことぐらいはあったかもしれないな」

「ふーん」

 私は納得しつつも、どこか腑に落ちないところがあった。

 幹生の言うとおり、同じクラスになったことはないはずだ。しかし、それなら深林さんの真樹に対するあの親しげな様子は何なのだろうか。一度でも同じクラスになったことがあるならば、まだ分かるのだが。

「――君、少し良いかな」

 不意に後ろから幹生以外の男に声をかけられ、私の思考は中断した。

 振り返ると、いかにも気障ったらしい顔をした男子生徒が、品定めでもするかのような顔で私のことを見ていた。

 ――何、コイツ。

 と思うのも束の間、私は静かに幹生に腕を引かれた。

「やあ、どうも」

 男はそう言って、A組の教室に入っていった。

 私は、どうやらいつの間にか、真樹と深林さんの様子を覗うことに夢中になって、ドアを塞いでいたらしい。

「幹生、ありがとう」

「うん、気にするな」

 それにしても、道を塞いでしまっていたことは確かに私が悪いのだけれど、嫌な感じのする男だ。いわゆる生理的に受け付けないってやつだ。

 私は、しばらくの間、嫌悪感をいっぱいにした視線をその背中に送っていたのだが、その気障男が急に、「よう、深林」と声を上げたものだから驚いた。

 さっと深林さんの方を見ると、彼女は先程まで真樹に見せていたような自然な笑顔ではなく、いかにも作ったような不自然な笑みを浮かべていた。

 しかし、それは決して目の前の気障男に対する嫌悪感から来るものではない。むしろ、先程まで真樹が深林さんに対して見せていたような、少しはにかんだような笑顔だった。

 男は、真樹など存在しないように二人の間に割って入った。

 深林さんも、少し困惑の表情を浮かべながらも、気障男の方ばかりを見ていた。

 真樹はといえば、気障男と深林さんの間に漂う妙な空気に気圧されながら、どうにも居心地の悪そうな表情を浮かべていた。

 先程まで真樹を囲んでいたクラスメイトたちも、その光景に対し、憐れむような視線を送っていた。

 そんな中、私はといえば――。

「真樹―、待たせちゃってごめんね。さあ、今日もいつものように一緒に帰りましょう」

 強引に幹生の腕を引っ張りながら、A組の教室へと殴り込みをかけていた。

 私は、まず真樹を囲んでいたクラスメイトたちを睨み、次に気障男を睨み、最後に深林さんを睨みつけた。

 よくも真樹を酷い目に遭わせたわね。文句のある奴は掛かってきなさい。

 それは、私なりの宣戦布告だった。

「いやー、本当に遅れて悪かったな。もう帰る準備はできているんだろう?」

 幹生が場の雰囲気を察して穏やかに言うと、真樹はようやく「あ、ああ」とだけ言って立ち上がった。

 その間、他の誰も言葉を発しなかった。

 深林さんは大きく目を見開いて、口元に手を当てたままだ。

 勝った――と私は思った。

 ここで何も言えないような弱い人に、真樹を渡すわけにはいかない。もっとも、そんな心配は万が一にもないようだけど――と、私はその部分だけは気障男に感謝したい気持ちだった。

 私は、幹生と真樹の三人でA組の教室を後にしようとした。

 だが、そのときだった。

「日野さん、ありがとう」

 聞き慣れない女子生徒の声に、私は振り返った。

「高村君も、ありがとう」

 そう声を上げていたのは、深林さんだった。

 何なの、この女――それが私の正直な感想だった。

 私や幹生の名前を覚えていることも吃驚(びっくり)だが、何よりその感謝の言葉は、私たち三人の関係や思考をすべて理解していなければ出てこないはずだった。

「それと朝原君、ごめんね。また明日、話の続きを聞かせてね」

 深林さんがそう言った瞬間、真樹はようやく救われたような穏やかな表情を見せた。

「ああ、また明日」

 そう返すと、真樹は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて教室から出て行った。

 ――勝った? 誰が?

 私は教室を出ていくとき、もう一度だけ深林さんの方へと視線を投げた。

 その視線に気付き、深林さんは私に手を振ってきた。

 本当に何なの、この女。

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