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オレはオンナになりたいぜ!  作者: 工事中
遠山草汰の現在4
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遠山草汰の現在4―(5)

 一人暮らしを始めてから約一週間が過ぎた。

 それはつまり、葉子さんと出会ってから、約一週間が過ぎたということだ。

 地元の町から逃げるようにこちらへと越してきて、ゆっくり傷心を癒そうと思っていた矢先、全く予想外の出来事に次々と巻き込まれて、はじめの二、三日は本当に大変だった。

 だが、そのおかげで自らのちっぽけな傷心のことなんて、すっかり忘れてしまっていたし、それどころか、いろいろと目標も出来て、まるで自分が生まれ変わったかのような気分の高揚すら感じていた。

 その後の日々も、充実していたと思う。大学はまだ始まっていないが、掃除、洗濯、自炊などを行う中で、一人暮らしのペースを徐々に掴みつつあったし、人付き合いも良好だ。昼間は時間があれば時々深林さんのアルバイト先に足を運び、夜は葉子さんと見回りのために外を歩く。

 夜の見回りは、日毎に別ルートを通って行った。そうやって監視範囲を徐々に広げていくのだと葉子さんは説明した。

 そして、ときには夜警の警官から注意され、またときには初日のように僕らが追っている事件と全く関係のない連中に絡まれるということもあったが、幸いなことに、僕らが見回りを始めてから今日に至るまで新たな被害が出たという報道はされていない。

 おかげで、僕の緊張感や恐怖心といったものは、夜毎に緩んでいき、いまではほとんど葉子さんと夜の散歩を愉しむような感覚でいた。

 そんな僕個人の満足は別にして、実際は、何事も進展なしという状況だ。事件の犯人は捕まっていないし、葉子さんと深林さんの再会もまだ叶わない。葉子さんが僕を騙しているということの意味も分からないままだ。

 全ては時間が解決してくれる。

 そんなことを考える甘えや油断さえも、僕の心には生じていた。

「事件はもう起こらないかもしれませんね」

 自然とそんな言葉が口に出た。そういえば、結局、桜の花も見ないままだ。今年はもう桜を見られないかもしれませんね――そのくらいの気軽さで僕は言ったと思う。

 すると、隣を歩いていた葉子さんの足がピタリと止まった。僕は二、三歩前を行ってからそのことに気づき振り返る。

「――そんなことは許さない」

 そのとき僕らが歩いていたのは、河川敷沿いの土手だった。車が一台ようやく通ることが出来るくらいの狭い道だったが、夜間は車両の通行は禁止されていた。また、周囲に光源は一切なく、おまけに月も出ていない夜だったので、ほんの数メートルの距離を隔てただけで、お互いの顔が見えなくなってしまう。

 だが、葉子さんの微かに震えを帯びた声は、その苛立ちの色を、闇夜にハッキリと浮かび上がらせていた。

 もちろん、葉子さんは、犯行が行われれば良いと言っているわけではない。ただ、犯人がこのまま罪を償うことなく逃げ(おお)せてしまうことが許せない。また、それ以上に、自らの手で引導を渡せないことに苛立ちを抑えきれないのだろう。

 この数日間で、どこか余裕を覚えるようになった僕とは対照的に、葉子さんの方は想像以上に焦りを感じ始めているようだった。

 余裕と焦り。

 それは、どちらも危険に対する感覚を、麻痺させてしまうものなのかもしれない。また、両者の間の意思疎通をも不自由にしてしまう。

 そのとき僕は、葉子さんの背後の暗闇に一瞬何かが蠢くのを見た気がした。それはまるで、暗闇そのものが空間ごと移動したかのような奇妙な印象を覚えるものだった。

「どうかした?」

 目を凝らして自分の方を見る僕のことを不審に思ったのか、葉子さんが訊ねてきた。

 しかし、白いコートを羽織った彼女の背後には、いまはただ不動の闇が厳かに鎮座するのみであった。

「――いえ、何でもありません」

 そう答えると、僕らは再び前を向いて歩き出した。

 きっと僕の気のせいだ。

 もしも、気のせいではなく、本当にそこに何かがあったのだとしても、それは少なくとも人影ではなかった。それよりももっと大きな何かだ。おそらく、木立が風に揺れる影でも見えたのだろう。

 そんなことを、いまの葉子さんの耳にいちいち入れるのは、いたずらに彼女の焦燥感を刺激するだけだと僕は判断した。

 だが、歩き出してすぐの出来事だった。

 突如、後方から闇夜の静寂を打ち破る爆音が鳴り響いた。

 僕と葉子さんは、反射的にそちらへと振り返る。

 すると、そこからいきなり強烈な光を浴びせられ、僕は目を焼かれたような感じを覚えて思わず両手を顔の前に突き出してしまった。

 その動作が命取りとなった。

 思えば、異変を感じ取った瞬間に、右か左へと飛び退くべきだったのだ。

 次に僕が見たものは、強大な音と光を纏いながら物凄い勢いで迫りくる黒い塊だった。

 間に合わない。

 そう頭が判断したのか、体が判断したのか分からない。とにかく僕は、衝突の瞬間に備え、自らの身を抱くようにして、おそらくは全く意味をなさないであろうガードを固めた。

 ――ドンっと、それは予想外にも体の側面を襲ってきた。

 雑草が大地から引っこ抜かれるように、僕の足は簡単にアスファルトの地面を離れ、体が宙を舞った。そして、芝生の斜面を、体のあちこちを打ちつけながら転げ落ち、土手下の河川敷に倒れ伏していた。

 両手を芝の地面について、何とか上半身を起こす。肺の辺りに圧迫感を覚え、少し咳き込んだが、呼吸が安定してくるにつれ、自分の体が存外無事であることを知った。

 ――いったい何が起こったんだ。

 考えただけで心臓の鼓動が速くなる。全身に鳥肌が立ち、嫌な汗が噴き出してくる。

 ああ、分かっている。僕は車に()ね飛ばされたのだ。それも事故などではなく、明らかに僕らを狙った凶行だ。

 そこまで考えて、僕はあることに気づく。

 いや、違う。僕は()ねられていない。その寸前、体の側面からやってきた衝撃――あれは、葉子さんが僕を突き飛ばしてくれたためのものに違いない。おかげで、僕は大きな怪我もなく助かったのだ。

 だが、当の葉子さんの姿が見当たらない。彼女は、僕と一緒に土手下へと転げ落ちて、危機を回避したのではないか。

「よ、葉子さーん」

 夜のしじまに、僕の声だけが吸い込まれていく。

「そんな、まさか――」

 葉子さんは、僕だけを突き飛ばしておいて、自分は間に合わなかったとでもいうのだろうか。

 そんな馬鹿な話があるわけない。

 そう思いながらも、僕の足は立ち上がるとすぐに、土手の斜面を駆け上がろうとしていた。そして、もう数歩で元の道に戻れるというところで急停止した。

 視線は元の道とほぼ平行の位置にあった。

 だが、そのアスファルトの地面に対し、垂直に突き立つ二本の足が目に止まったのだ。

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