遠山草汰の現在3―(6)
それから長い沈黙が続いた。
葉子さんは立ち止まり、公園のベンチに座っていたときのように、白い月を見上げていた。
僕もやはり同じように夜空を見上げる。そうすることで、僅かでも葉子さんの気持ちを理解出来ればと願いながら。
夜の風が吹いた。
髪を撫でつけられたと思ったら、それは葉子さんの白い手によるものだった。
「さっき草汰君が言ったこと、本当にそのとおりだと思ったよ。女は無茶や危険を冒すべきじゃないって。全くその通りだ。だけど、そのためには、男がしっかりしていないとね。女が無茶しないように、いつでも守ってあげないと」
葉子さんは、そんないままで聞いた台詞の中で一番女性らしくないことを言った。
僕は観念した。それどころか不思議と落ち着いた気持ちになった。なぜなら、それはいままで聞いた台詞の中で、葉子さんの本心を最も表しているようにも聞こえたからだ。
「草汰君は、私を止めるつもり?」
葉子さんは穏やかに言った。
もうこの人の心はしっかりと決まっていて、誰が何を言っても揺るがすことは出来ないのだと悟る。あとは僕が納得するしかない。
「止めはしません。ただ、どうしてそこまでこだわるのかを教えてください」
あるいは、それは触れてはいけないことだったのかもしれない。
いままで誰にも知られず、誰にも知らせずに、彼女が一人で思い、悩み、苦しんできた道が、結果的にそこで語られることになったからだ。
――四年前、今回と同じ手口の事件が別の街でも起こった。男女のカップルを狙った陰湿な犯行だ。ただ、その事件の顛末を知る者はほとんどいない。今回のように犯行が連続化する前に犯人が捕まり、その逮捕に至る経緯についても様々なレベルでの報道規制が行われたからだそうだ。
当時の小さな記事によれば、犯人は、パトロール中の警察官によって現行犯逮捕されたということになっている。だが実際には、その場に偶然居合わせた、当時女子高校生だった一人の少女の働きが犯人逮捕に深く関与していたのだ。
それは本当に偶然だった。
犯人に狙われたのが、たまたま彼女の同級生だった。ただし、狙われた男女は恋人同士というわけではなく、確かに女の子の方は、男の方を少し意識していたようだけど、それでもその日一緒に並んで歩いていたのは、偶然の出来事に過ぎなかった。
そして、さらに偶然が重なって、その場を目撃してしまった件の女子高校生は、そんな二人の後をつけることにした。なぜなら、彼女の幼馴染の少年が、その女の子に恋愛感情を抱いていたことを知っていたからだ。
ところが、二人の後をつけていたのは、その女子高校生だけではなかった。卑劣な犯罪者は、人通りが完全に途絶えた場所で、一気に男の方を殴り倒したあと、女の子に襲いかかろうとした。
そして、そんな突然の犯行を目の当たりにした女子高校生は――何の躊躇もなく現場に飛び出していた。
彼女は犯罪者に立ち向かっていった。
まず、犯罪者と同級生の女の子を引き離し、盾となった。女の子は、恐怖で立ち上がることも出来ず、最初に倒された男の子の方は、いつの間にか意識を回復し逃げ出していた。逃げ出した男の子が助けを呼びに行ったのだとしても、その間、女子高校生は一人で犯罪者と戦わなければならなかった。
力の差は歴然としていた。
女子高校生は、あっさりと犯罪者の足下に散った。女性にしては高い戦闘能力を持っていた女子高校生も、凶器を持った犯罪者相手では為す術がなかった。
犯罪者は女子高校生を尻目に、恐怖で立ち上がれない女の子の方へと向かっていった。だが、女子高校生は最後の力でその足にしがみつき、犯罪者を引き止めた。
結果として、彼女は文字通り体を張って同級生の女の子を守り抜いた。
それはどんなに屈辱的な痛みだっただろう。それでも彼女は泣き叫ぶこともなく、逆転の機会をうかがい耐え続けた。
そして、男が覆い被さっていた彼女の体から離れようとしたときだった。彼女は不意に男の体を抱き寄せた。その瞬間、男は声を上げる間もなく、その場に倒れ伏した。彼女の膝が、男の急所を貫いていたのだ。
それで全ては終わった。
やがて駆けつけた警察官によって、二人の女の子は保護され、男は失神したまま警察車両に乗せられていった。
――それが四年前の事件の真相らしいと、葉子さんは、終始一貫して冷静な口調で語り終えた。
僕は何も言えなかった。
葉子さんはあくまでも客観的に語ったけれど、いまの話が彼女にとって他人事ではないのは明白だった。
僕は、いまさらながら自らの軽率な発言を後悔した。
僕には、そもそも葉子さんを止める権利も資格もなかったのだ。葉子さんが男という性そのものに向ける憎悪を、女性らしくないという理由で否定しようとした僕は、やはり彼女に粛清される側の人間なのかもしれない。
故郷の町を逃げるようにして離れ、この街で葉子さんと出会い、僕は自分の人生にとって何か大きな物語が幕を開けたのだと密かに期待していた。だが、その物語は、もっとずっと以前から僕の知らないところで始まっていたのだ。
僕は、単なる脇役でしかない。
それでも僕は、こう言っては不謹慎かもしれないが、この物語を最後まで見届けることで、そんな自分を変えられるのではないかと、どこか興奮した気持ちになっていた。
それに、物語はハッピーエンドで終わってほしい。葉子さんには過去を振り切って、いつも笑顔でいてほしい。
そのために彼女が危険な道を歩むというのなら、僕も一緒についていく。
僕はやっぱり葉子さんが好きだから。
戦う理由なんて、それだけで充分だ。




