遠山草汰の現在3―(2)
「ところで、静花のことなんだけれど、君と話している間、何か不自然なところはなかった?」
その問いかけは、葉子さんに変わったところはなかったかと聞いてきた深林さんの問いと上手く重なっていた。
「いえ、特に変わったことは何も」
僕の答えもあのときと変わらない。しかし、深林さんとは違い、葉子さんは、明確にそして意外な続きを話してくれた。
「静花はね、ある時期から男性不信なんだ。でも、そうか。草汰君なら、そんな心配は必要ないものね」
「そ、そんな、馬鹿にしないで下さいよ」
僕は半ば本気で抗議しながら、自分でも説得力がないなと感じていた。確かに僕は弱虫で、こんなことを言っては失礼かもしれないが、葉子さんの方が良い意味でずっと男らしい。
ファストフード店で一緒のテーブルに座ったときは緊張したが、いまでは不思議とそれがない。短時間のうちに、僕の葉子さんに対する見方は結構変わってきたみたいだ。
それはともかく、深林さんが男性不信というのは、言われてみれば頷けるところがあった。例えば、昨日のナンパに対する過剰な反応や、転んだときに僕の手助けを拒んだことなどが、その表れだったのかもしれない。
だが、それらのことは、言われて初めて意識するもので、僕が見た限りは、深林さんの態度は普通の人と変わらないように思う。もちろん、葉子さんの言うとおり、僕が男として認識されていないだけなのかもしれないのだが――。
私見を述べるならば、昨日の男たちに対する態度のことについていうと、むしろ葉子さんの方こそ男性不信なのではないかと疑ってしまう。
そうだ。これこそ核心に迫る問題ではないかと僕は思った。葉子さんは深林さんを男性不信だと言いながら、自分自身もまたそうである。この辺りに二人の過去の秘密が隠されているのではないだろうか。僕は思い切って葉子さんに聞いてみた。
「――そうね。私の場合は不信というより呪いなんだけどね」
「呪い、ですか?」
普段あまり耳慣れない言葉に、僕は戸惑いを覚えた。しかし、葉子さんの口調は重く、それ以上はないという説得力を秘めていた。その迫力が逆に、もう踏み込むところまで踏み込んでしまおうと僕を焚きつけた。
「教えて下さい。葉子さんと深林さんの間に何があったんですか?」
真っ直ぐに見据える僕の視線から、葉子さんは視線を外さなかった。やはり真っ直ぐに僕の目を見つめ返す。
奇妙なシンクロを感じた。見つめているのは互いに相手の目なのだけれど、僕たちはまるで一つの同じものを見ているかのような錯覚を覚えた。
葉子さんが口を開く。
「何かあったというよりも、何も出来なかった。何の力にもなれなかった。ただ、それだけ――」
何だ、それは。そんな言葉が、葉子さんの口から出てくるなんて信じられない。だって、葉子さんは強いじゃないか。昨日だって、深林さんを助けたじゃないか。何も出来ない、何の力にもなれないなんて、まるで僕の台詞だ。
「ごめんね、草汰君。私は、確かに君を騙している。ここまで連れ出したのも、そのことと関係がある。そして、その全ては過去のある事件と繋がっているの。私と静花と、あと二人の私の幼馴染に関係する過去の――」
葉子さんの二人の幼馴染――それを聞いて僕は、深林さんの言葉を伝えるのは、いましかないと思った。
「彼を返して下さい」
たったそれだけの言葉だったけど、僕は、そのときの深林さんの真剣な表情を思い出しながら、葉子さんの心に届くように一語一語丁寧に伝えた。
「そんな――」
葉子さんが、息を呑むのが分かった。その表情に浮かんだ色は複雑すぎて、僕には読み取ることが出来ない。だが、確実に葉子さんの心に伝わったのだということは確信出来た。
葉子さんは、腕組みをして何事かを考えているようだった。顔を歪ませて、何かを言うべきかどうか悩んでいるようだった。
「深林さんに会った方が良いんじゃないですか?」
少しお節介かもしれないなと思いながらも、僕はそう提案した。
「いや、いまはまだ――」
「会う勇気がありませんか?」
「正直分からない。いままでは会うべきではないと思って、自分で納得していたつもりだったけど、静花の言葉を聞いて、いまは迷っている。嫌なものだね、自分の弱さを自覚するということは」
それを聞いて、葉子さんが、本当はずっと深林さんに会いたがっていたのだということが、僕にも分かった。
これはもう会うべきだと僕は思った。二人の間に、目を反らすことの出来ない深い溝があるというのなら、少しずつでも埋めていけば良い。お節介だなんて言ってはいられない。
僕は、彼女たちの力になりたいんだ。
「葉子さん、それは会うべきですよ。その『彼』も交えて三人で、いや、もう一人の葉子さんの幼馴染も加えて四人でじっくり話し合うべきです」
僕は、おこがましいかもしれないが、葉子さんを勇気づけようと力強く断定した――が、「それは無理」と逆にあっさりと断定し返されてしまった。
「何故なんですか?」
いきなり出端をくじかれた僕は、当然の疑問をぶつけたが、葉子さんは困ったような表情を浮かべるだけで、すぐには答えてくれなかった。
僕たちの間を、冷たい夜風が吹き抜ける。木の影が頼りなく揺れ、ただ不安だけが加速していくようだった。
「終わったら、全部話すつもりだったけど――」
葉子さんは伏せていた顔を上げ、白い月を見上げた。僕もそれに倣う。
下弦の月が失われた半身を求めるように、不安定な格好で夜の海に浮かんでいた。
「幼馴染の二人はね――」
それは注意して耳を傾けなければ聞こえないくらいか細い、独り言のような呟きだった。
「死んじゃったんだ」
二人で同じ空を見上げながら、僕たちは、多分違うものを見ていたのだと思う。




