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オレはオンナになりたいぜ!  作者: 工事中
日野葉子の過去2
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日野葉子の過去2―(3)

「やめてくださいっ」

 そんな悲鳴にも似た女性の叫び声を聞いて、私は振り返る。

 夕暮れの街の雑踏で、無数の人影が一斉に同じ方角に目を向けていた。

 そこには頭の悪そうな三人組の男と、彼らに取り囲まれてひどく怯えた様子の女性の姿があった。女性は私と同じくらいの年齢だろうか。顔はハッキリとは見えなかったが、その佇まいと、先ほどの悲鳴から、まだ若い女の子だろうと予想できた。

 助けなきゃと、私は考えるよりも先に体が動いていた。地面を蹴って、女の子の元まで一直線に駆けつけるつもりだった。

 だが、つい先ほどまで女の子の悲鳴を聞いて立ち止まっていた人影たちが、今度は私の進路を阻むかのように縦横無尽に動き出したのだ。

 それは、まるで影絵を見ているような光景だった。スローモーションで動き回る顔のない黒い人影たちは、やがて巨大な黒い人波となって、私を飲み込もうとした。

 何て理不尽なんだ。

 誰も彼女を助けようとしない。皆、見て見ぬ振りをする。それどころか、私の邪魔をする。何より一番理不尽なのは、私自身の力のなさだ。

 私は黒い波から逃れようと、必死に手を伸ばす。きっと誰かがその手を握り返してくれる。きっとアイツが私を助けてくれる。そう信じて――。

(ようやく、自分が女だってことを認めるのね)

 それは、いつだったか、幹生と廊下で勝負をした際に、耳元に囁いてきた聞き慣れた女の声だった。

(本当に、十年間も良く頑張ったと思うわ。周りの人間だけじゃなくて、自分自身さえも騙し続けるなんてね)

 女は久しぶりに再会した旧友のような図々しさで、際限なく喋り立てた。

(でも、私は騙されない。ずっとアナタと一緒だったもの)

 伸ばした手に、ひんやりとした何かが触れた。それは細く冷たい女の手だった。

(もう分かるでしょ。私はアナタ。アナタが捨てきれなかった女のワタシ)

 女は私の手を散々撫で回すと、最後に掌を合わせてこう言った。

(さあ、もうお休みなさい。この辺で私と交代しましょう)

 薄れゆく意識の中で、私は女の手を握った。

 握って、握って、握り潰した。

「ふざけんなっ」

 私は伸ばした手で拳を握った。全身に力が溢れ、漲ってくる。

 体に纏わりつく薄っ平い影たちを、片っ端から吹き飛ばし、獲物を狙う肉食獣のようなスピードで夕暮れのストリートを駆け抜ける。

 誰かが私を助けてくれるなんて、とんでもない思い違いをしていた。

 私が、彼女を助けるのだ。

 一人目の獲物が間合いに入る。

 私は大地を蹴って、天高く跳ぶ。

 それは矛盾を孕んだ奇妙な感覚だったが、まるで自分の体ではないみたいに、体の各部が、頭で思い描いたイメージ通りに自由自在に動かせた。

 跳んだ瞬間、私は独楽(こま)のように自分の体を回転させ、空に見えた一番星をめがけて蹴りを放つ。すると、遠心力と重力をたっぷりとのせた蹴り上げた方の足の踵が、獲物の顔面を蹂躙する。突き抜けるような感覚と共に、男の体は真横へと吹っ飛んでいった。

 続いて私は華麗に着地を決めると、そのまま腰を落とした状態から、しっかりと足の指で大地を掴み、唖然とした表情の二人目の男の鳩尾に正拳突きをお見舞いする。無防備な急所を撃ち抜かれた男は、たったそれだけでアスファルトの地面へと沈む。

 さらに殴りかかってきた三人目の男――これが労力的には一番楽な相手だった。男の放った拳は、攻撃であって攻撃ではない。迫り来る危機――つまり私から己の身を守るために繰り出されたテレフォンパンチだ。私は難なく男の拳をかいくぐり、その体に密着すると、がっちりと背中をロックして渾身の膝蹴りを腹部に叩き込んだ。

 それで、全てが終了だ。

 ハッキリ言って、まだ暴れ足りないくらいに全身に力が漲っていた。素晴らしい肉体のポテンシャルだ。私はついに己の限界を超えたのだと、自分の手をまじまじと見る。

 そこで初めて、私はある違和感に気付く。

 あれ、私の手って、こんなに指が太くてごつごつしていたかしら――と。

「あの、ありがとうございました」

 不意に後ろから声をかけられ、私の思考は中断した。そういえば、男どもに絡まれていた女の子のことをすっかり忘れてしまっていた。

「いや、当然のことをしたまでだから――」

 そう言って振り返った私は、目に飛び込んできたその人物の姿に度肝を抜かれた。

 そこに立っていたのは女装をした真樹――いや、どこからどう見ても女性と化した朝原真樹その人だった。

「マ、マキちゃん……」

 私は思わずその名前で呼びながら、ごくりと唾を飲み込んだ。その姿は、まさに私がかつて夢見た理想の少女そのものだった。可愛すぎる。出来ることなら、いますぐにでも抱き締めたい。いや、抱き締めても問題はないだろう。だって、私たち同性なんだから。

 そんなことを考えながら、少しずつマキににじり寄っていくと、不意に下半身に何か引っかかるものを感じた。いったい何だと眉根を寄せていると、マキが「大丈夫ですか。どこか、お怪我でもされたのですか」と言って、私の顔を見上げてきた。

 そこで、私はまたも違和感を覚えた。確かに真樹はそんなに背が高い方ではなかったが、それでも私を見上げるということは、これまでになかったことだ。それとも、マキになった影響で、身長が縮んでしまったのだろうか。

 しかし、そんな私の考えは、マキ自身の発言によって否定されてしまった。

「あの、お強いんですね」

 マキは顔を赤らめながらそう言った。

 そして、体をモジモジとくねらせながらこう続けた。

「私、あなたのような強い男性がタイプなんです。もしよければ、お付き合いしてください」

 その瞬間、私は全てを理解した。自分の体のあちこちをぺたぺたと触り、全ての違和感の元を確認した。

「ちょっと、あんた、鏡は? 鏡持ってない?」

 焦って動揺を隠せない私に対し、マキは何食わぬ顔で何処から手鏡を取り出し、私の顔に向けた。

 そこに映った男の顔を見た瞬間、私は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受け、その場に卒倒してしまった。

 と同時に、目が覚める。

「ひ、日野さん、まだホームルームは終わっていませんよ」

 突然席から立ち上がった私に対し、担任の女性教師がそう注意した。

 わたしは咄嗟の機転を利かせ、「済みません、テスト勉強で寝不足でして」と答えたが、クラスメイトからの嘲笑を避けることは出来なかった。幹生の奴もちゃっかりと笑っていたので、後でお仕置き決定と心の中で思いながら屈辱に耐えた。

 それにしても酷い夢だ。

 しかし、そう思ったのも束の間、私は既に夢の内容のほとんどを、思い出すことが出来なかった。

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