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オレはオンナになりたいぜ!  作者: 工事中
日野葉子の過去2
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日野葉子の過去2―(2)

 深林さんと一緒に下校した翌日の昼休み、私は真樹を学校の屋上に呼びつけた。

「――アンタ、いったいどういうつもりよ」

 真樹の制服の胸ぐらを掴み上げながら詰め寄ると、幹生が「葉子、落ち着け」と言って後ろから抱き付いてきたので、その腹部をめがけて思いっきり左肘を叩き込んだ。

 幹生は「うっ」と短い悲鳴を上げ、コンクリートの地面に倒れ込むと間もなく、「うわ、熱っ、熱っちー」と言いながら転げ回っていた。

 雲ひとつない空の下、遮蔽物もほとんどなく、真夏の太陽の光をいっぱいに浴びた屋上は、さながら灼熱地獄のようであった。

 私の脳みそも、昨日の放課後からずっと沸騰寸前で、いまではすっかり煮えたぎっていた。

 真樹の方を向き直ると、何故か一人だけ涼しい顔をしており、これがまた頭にきた。

「静花のことだったら、昨日説明したとおりだ。家が近いから一緒に帰る。ただ、それだけだ」

 事も無げに言う真樹の体を突き飛ばし、後ろの壁にぶつけると、私はその整った顔面をめがけて右の拳を繰り出した。

「――痛っ」

 そう言ったのは、私だ。

 私の右拳は、真樹の顔の真横の壁を殴りつけていた。だが、おかげで真樹の顔色を変えることは出来たようだ。

「馬鹿、葉子。お前、何しているんだ」

 そう言うと、真樹は急いで私の右手を取り、怪我の具合を確認した。私は折れてはいないと右手を握ったり開いたりしたが、その度に皮膚の剥けた部分がズキズキと痛んだ。

「幹生、何か冷やすものを持ってきてくれ」

 真樹がそう言ったときには既に駈け出していた幹生を、「待ちなさいっ」と叫んで引き止める。こういうとき、決して板挟みにならず、必ず私の言うことを優先する幹生を、私は深く信頼していた。だからこそ、この場に留まってほしかった。

 しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。

 やけに遠い耳鳴りを感じるなと思ったら、それは、雲一つない青空を、斜め一線に切り取っていく銀色のジェット機のエンジン音だった。

 私は先ほど真樹を突き飛ばした壁を背にして、地べたに座り込んだ。

「アンタらも座りなさいよ」

 この灼熱地獄の中、そこだけが唯一の日陰になっていた。

 幹生は私の右隣りに、真樹は私の左隣に座った。別に示し合わせたわけではないが、それが三人で並ぶときの定位置のようなものだった。

「真樹。私はね、この際、深林さんのことなんてどうだって良いのよ」

 ジェット機の行方を目で追いながら私は言った。ポケットからハンカチを取り出し、右手の拳にきつく巻き付ける。真樹の顔色を変えた私の拳は、私自身に、自分の苛立ちの正体を教えてくれていた。

「ただ、アンタ。私たちに何か隠し事をしているでしょう。私は、それが気に入らないの」

 左隣から、くっくと堪えるような笑いが聞こえてくる。何がそんなに可笑しいのか、私には分からない。だが、それは何処か自嘲的な響きを含んでいるかのようだった。

「別に隠し事なんて何もないさ」

「嘘よ。だったら、何でアンタは深林さんのことを静花って名前で呼ぶようになったの? 私の記憶が正しければ、確か春先早々に、深林さんがアンタに脈なしってことが分かって、ふられたんじゃなかったっけ?」

 私は、A組の教室で会った気障男のことを思い出しながら言った。もっとも、どんな顔だったかまでは覚えてはいなかったが。

「別に、オレはふられてない」

「はあ? それじゃあ、なに。逆転して上手くいっているってこと? もしそうなら、それを隠し事って言うのよ」

「いいや、現状は春先から何も変わっていない。静花は相変わらず気障男――森嶋って奴のことが好きみたいだ。だから、オレは何も隠していない。だけど、ふられてもいない。なぜなら、告白すらしていないからだ」

「バッカじゃないの。なに子供みたいなこと言ってんのよ。ただ未練タラタラなだけじゃない」

 情けない。格好悪い。惨めだ。恥ずかしい。私は散々罵倒した後で、右隣に向かって「アンタも何か言いなさいよ」と勧めると、幹生は「真樹らしい」と言って笑った。

「アンタ、それ一番酷いこと言っているわよ」

 でも、そういうところが「幹生らしい」と言って、私も笑った。

 いつの間にか、ジェット機の影は青空の中にすっかり溶け込んでしまい、いまでは白い飛行機雲だけがその行方を示していた。

「――それで。だったら、なおさら名前で呼ぶことが疑問なんだけど」

「そんなにこだわらなくても、葉子のことも名前で呼んでいるだろう」

「それは、幼馴染だからじゃない」

「だったら、静花も同じだよ。小学校、中学校とずっと一緒だったんだから」

「違うわよ。いくら出身が同じでも、一度も同じクラスになったことがない。一度も一緒に遊んだことがない。私たちにとっては、昨日今日初めて会った人と何も変わらないじゃない」

 私は猛反発した。真樹の話は全く荒唐無稽で、とてもではないが受け入れられない。十年間ずっとそばにいた私と、最近ようやく少し仲良くなっただけのクラスメイトの深林さんが、同じだと真樹は言っているのだ。そんな馬鹿な話はない。

「だけど、それはオレたちの側の理屈だよ。昨日一緒に帰ってみて分かっただろう。静花の通学路は、本当に、オレたち三人の通学路と丸かぶりなんだ。アイツは、昔からオレたちのことを見ていたよ。それこそ小学校に入ったときからだ。いつも三人で一緒に帰っていたオレたちのことを、後ろから一人でトボトボと歩きながら、仲間に入れてほしそうにして見ていた。――そのことを、オレは最近になって思い出したんだ。お前らにだって、きっと覚えがあるはずだ」

 そう言われて、私は反論できなかった。

 かつて真樹を救うために、幹生とA組に乗り込んだときのこと――深林さんは、私と幹生の名前を覚えていたばかりか、私たちの取った行動の意味を理解して、「ありがとう」とお礼を言って微笑んだ。

 そして昨日は、私たちと一緒に帰ることになり、本当に心の底から嬉しそうな笑みを浮かべ、「これから、よろしくね」と言って真っ直ぐな瞳をぶつけてきた。

 その微笑みを、真っ直ぐな瞳を、私は記憶の中に浮かんだ小さな女の子に重ねてみた。

 ――そうだ。彼女は確かにいつもそこにいた。深林静花は、私たちの幼馴染になっていたかもしれない女の子だ。

「でも、何で――?」

 考えるより先に、私の口から出た疑問の言葉を幹生が拾って答えた。

「子供は残酷だからな。きっと気づかない振りをしていたんだろう」

 まるで他人事のような語り口だったが、それゆえに真実味を帯びた言葉だった。

 だが、もはや時計の針は戻せない。いまさら四人で仲良くしたところで、それは三人と一人の関係だ。そうなったときに一番傷付くのは誰か――当然、深林さんだ。

 そのことが分からない真樹ではないと、私は知っている。ならば、いったい何故いまさら深林さんを、この幼馴染の輪の中に引き入れようとしているのか。

 私は嫌な人間を演じるしかなかった。

「それで、真樹の狙いは何なの? 幼馴染を利用して深林さんと仲良くなって、あわよくば自分に振りむいてもらおうってわけ?」

 せめて目を逸らさずにと思いながら真樹を見ると、私から見える顔の右半分は、まるで自嘲するかのように唇の端を吊り上げた不自然な笑みを浮かべていた。きっともう片方の顔は、泣いているに違いないと私は思った。

「葉子の言うとおり、オレは自分のために動いているんだと思う。幼馴染を利用していると言われても仕方がない。でも、静花に振り向いてもらおうっていうのとは少し違うんだ」

「それは、興味深い話だな」

 幹生がそう言って先を促した。きっと、眼鏡のブリッジを右手の人差指でクイッと上げながら言ったのだろう。

「オレが静花のことをどう思おうと、そしてお前ら二人がどう考えようと、静花自身はオレのことを一人の友人として考えているみたいだ。いや、自分で言うのも何だが、静花にとって、いま最も親しい友人がオレだ。実際に、静花は森嶋のことをオレだけに相談しているみたいだ。つまり、静花はオレのことを全く男として見ていない」

 胸を張って自分のことを指差す真樹に対し、私は正直な感想を漏らす。

「アンタ、いま凄く格好悪いわよ。言ってて悲しくならないの」

「これが不思議とな、それでも良いかって気になるから自分でも困惑してしまう。いまの関係のままなら、ずっと一緒に居られるかもしれないなって。そう思ったら、頭の中で、静花の顔の隣に、葉子と幹生の顔も浮かんでくるんだ。本当、お前らにとっては失礼な話かもしれないけどさ」

 そう言って自嘲気味に笑う真樹のことを、何故か私は笑えなかった。

 真樹の言い分を聞いていると、ひどく心がざわついた。

 要するに真樹は、深林さんと一緒にいたいという欲望を満たすために、彼女を女の子としてではなく、私や幹生と同じ性別を超えた幼馴染という枠で捉えようとしているのだ。

 いくら何でも、その感情は歪み過ぎている。

 だが同時に、何故かとても良く理解できる感情でもあった。

「それは無理よ」

 そう言いながら、私は自分の胸がズキッと痛むのを感じた。まるで自分自身の言葉に傷つけられたみたいだった。

「やっぱり、そうだよなあ」

 おどけるような真樹の言葉を受けて、幹生が続けた。

「俺たち三人がこうしてずっと一緒にいられるのは、まだ男も女もない無垢だった子供の頃に結んだ絆があるからだ。一度でも恋愛の対象として見てしまった人間を、いまさら俺たちと同列に並べることには無理がある」

 その幹生の声にも、何故かいつもの強い自信が感じられない。私も幹生も、いったい何をそんなに恐れているというのだろうか。

「幼馴染が無理だったら、オレはオンナになりたいぜ」

 不思議なことに、三人の中で唯一人自分の弱みをさらけ出した真樹の言葉だけが、夏空の下、力強く響いて聞こえた。

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