53話 城下を駆け抜けて
夕刻の城下。
日中とは違う熱気で、やはり魔族の町は栄えている。子どもが家に帰り酒場が開いて、大きな魔族が多くなっているようだった。オレンジ色に光る魔力鉱石のランプやランタンがあちこちに浮いてて、イルミネーションみたいで幻想的だ。
「なんというか……災難だったな、ユウカ」
リザードマンのガラムが苦笑して私の隣を歩いている。私はややぐったりしながら同じく苦笑いを返した。
魔王軍を辞めろ!そして兄か自分と契り(?)を交わせ!とグレイナに詰め寄られて困っていた私を助けてくれたのは、通りがかったガラムだった。 ちょうど兄弟たちに会いに城下に降りてきたそうで、待ちゆく魔族にグレイナと私(マントを被った小柄な幹部という特徴ですぐに分かったらしい)の話を聞き、カフェに顔を覗かせてくれたのだ。
グレイナはちょうどこの後訓練所に行く用事があったらしく(オフなのは夕方までだったらしい)、「ではまたの機会にしよう」としぶしぶ引き下がってくれたが、最後まで次の戦争に出ることを心配してくれていた。
後は任せておけとグレイナを送り出したガラムは、城まで送ると言ってくれたが。
「家族の時間を邪魔したくないし。お城まではすぐだし。一人で帰れます」
私が言うと、ガラムはとんでもないと首を振った。
「そんなことできるわけないだろ。そもそもお前を一人で帰したなんて参謀に知られたら、俺が殺される」
大げさな……と思ったけど、過保護なイグナレスのことを思い出して何も言えなくなってしまった。あの人(魔族)、執務室から自室までの僅かな距離にも護衛をつけていたもんな……。少し悩んだ私は、はっとして顔を上げる。
「じゃあ、同行ワープ!やってみるのはどうですか?」
イグナレスと練習中の同行ワープ。ヴァルトとは大変なことになったけど、ガラムとならあんなことにはならない気がするし、彼の時間をそこまで消費しなくて済む。
「ああ……うーん……そうだな。やってみるか。俺も得意ってわけじゃないんだが」
徒歩で城まで送ってもらうのは断固拒否!といった感じの私の様子に、ガラムが困ったように妥協してくれた。
「私、慣れてきたので大丈夫だと思います。ガラムさんがヴァルトみたいな感じじゃなければ」
「お前ヴァルトとワープしたのか!? よく無事だったな……!」
ガラムが青ざめて(肌が赤いので紫っぽくなった)言う。やっぱりヴァルトと同行ワープって魔族の間でも危険視されているんだな……だというのにどうしてヴァルトは私に「やってみようよ」などと言ったのか……と遠い目になってしまう。
その時、遠くないところから声がした。
「兄ちゃーん!」
トテトテと、私の腰ほどの背丈のリザードマンの男の子が2人、石畳を駆けてきていた。短い両手を突き出し、ガラムよりまだだいぶ短い尻尾を揺らしながらこちらへ向かってくる。
「……!」
私は息を呑んだ。かわいい……! ブルゴが連れてきてくれた小鬼の子たちを思い出す。彼らを見た時の、あのときめきが胸に蘇った。
「げ。お前らうちで待ってろって」
ガラムが焦ったように言う。 ガラムの弟……コロシアムでガラムが、家族の生活のためにと言っていた……その弟たちだろう。 ガラムは今は魔王軍に入ったから(まだ幹部じゃないけど)、家族も城下で暮らせるのだろう。以前どうだったかは知らないけど、ガラムと同じく彼らも鱗に艶がありひもじい思いはしていなさそうだ。
「兄ちゃんの匂いがしたから!この子は〜?」
弟のうちの背の高い方が、私を見上げる。私は身を屈めて視線を合わせた。
「私はユウカといいます。ガラムさんの仲間です」
「ユウカ!?」
するとなぜか大きい方の弟が息を呑み……小さい方の弟が、声をあげる。
ガラムが「あ、おい!」と慌てて彼の口を塞ごうと手を伸ばしたが遅かった。
「救世主のユウカ!?!?」
城下の魔族たちの視線が、一気に。本当に、一気に私たちのほうへ向いた。 ちょっとホラーですか? というくらい、突然街が静まり返ってすべての視線がこっちに向いた。大げさではなく、本当に…。
まずひとつ、私が絶対に主張したいことは。
軽率に名乗った私がいけなかったんだろうということだ。
私はすっかり自分の立場を忘れていた。気が緩んでイグナレスの忠告も忘れていた。城下ではマントを深くかぶり、顔を隠し──そして絶対に、名乗るなと。言われていたのに。
だからガラムの弟は悪くない。
救世主……とつぶやいて、怯えガタガタ震える者。人間……いわれてみれば匂うぞ……!と唸る者。 後は、無言でこちらを見つめる者、睨む者、まあとにかく、「救世主だ!こんにちは!」みたいなポジティブな視線はひとつもなかった。
「走るぞ!」
ガラムが私の手を掴んで叫びながら走り出した。ポカンとした弟たちを置き去りに。
「お前ら、うち戻ってろ!このバカ!」
彼らに向かって捨て台詞みたいに叫び、ガラムは私の手を引き路地裏に飛び込んだ。
「馬鹿なのは私です!怒らないでください!」
私が慌てて言い返すと、「んなこと言ってる場合じゃねえんだよ馬鹿!」と、ガラムが青筋を立てて叫んだ。 瞬間、彼ははっとして私の頭を片手でぐいと下げさせる。
つんのめるようにして伏せた私の頭上で瓶が割れた。それはレンガの壁にあたって、ジュワァとやばそうな緑の煙を立てている。
慌てて振り返ると、恰幅の良いオークの女性が、瓶を両手にいっぱい持って鬼の形相で立っている。
「救世主……!息子の仇〜〜ッ!!!」
「おい! こいつ(ユウカ)は味方だ、あと魔王軍幹部だぞ!手ぇ出したら処罰が……アツッ!?」
ガラムが私の前に立ち、怒り狂って次々と瓶を投げつけてくるオークの女性に叫ぶがその瓶の一つが腕に当たった。すごい音を立てて、皮膚が一部焼けてしまっている。
「ガラムさん!」
私が咄嗟に指を組んで、素早く修復をかけると。
「あっ、馬鹿!いいから……!」
ガラムが慌てて叫ぶが、時すでに遅し。黄金に輝き、修復される彼の腕。
私は一拍置いて思い出した。
御前試合で、この金色の光を見て怒り狂っていたイグナレスのことを。
それを見て、時が止まったようにこの場が一瞬静まり返る。
「その女、やっぱり救世主だ!!!!!」
誰かが叫んだ途端、それが合図だったみたいに。もう群衆が全員同じ意思を持ったように私たちに向かってわーっと突進してきた。
色々なものを投げつけてくる。やばそうな液体の入った瓶、花瓶、食べ物、ナイフ、牙……。
「うおおおお!お前余計なことばっかりするな!!!!!」
ガラムが叫びながら私を小脇に抱えて走りだした。本当に申し訳ない。
「ごめんなさい!あっ、ガラムさん、ワープしましょう、城まで逃げるんです!」
私が彼の腕の中で叫ぶと、ガラムは全速力で走りながら「無理だ!」と短く叫んだ。
「えっ、なんでです───ウッ!?」
私は息を詰まらせた。ガラムが路地裏の樽を蹴倒しながら跳躍し、屋根の上に飛び乗ったからだ。
「自分だけならまだしも!人間(お前)を抱えて、こんな状況で魔力の調節なんかできない!」
「そっ、そうなんですか!すみません!」
でも、屋根の上に来れたので私は胸をなでおろした。下の通りでは怒号が渦巻いているが、ここまで追ってくるものはいないだろう……そう思ったのも束の間。
「いたぞォオオ!!!屋根だ!!」
低い唸り声とともに、瓦がガラガラと崩れる音が響いた。振り返ると、さっきの恰幅の良いオークの女(母親?)が屋根に飛び乗ってきていた。瓶を投げていたあの女だ。大きな鉄の棍棒を振り回し、瓦を割りながら迫ってくる。
「うぉおおおお!!息子の仇!!元戦士の名に懸けてここでェ!!」
ガラムが私を置いて素早く剣を抜き、投げつけられる瓶を叩き割った。 が、背後から音がして慌てて振り返ると、インプの群れが壁をよじ登り屋根の端からピョンピョンこちらへ飛び移ってきていた。
小さな翼を羽ばたかせながら甲高い声で「捕まえろー!」「四肢を引き裂いてやる!」と恐ろしいことを叫んでいる。
一匹一匹は軽いけど、数が多すぎて屋根が揺れている。
インプが放った矢が私の肩に当たったが、マントが跳ね返して全く衝撃は無かった。しかしそれに腹を立てたインプたちが一斉に矢をヒュンヒュン打ち込んできたので、私は慌ててマントで顔を覆って数歩下がる。
さらに、スライム系魔族が屋根の隙間からぬるっと這い出してきた。どうやら下水道から魔法で飛び上がったらしい。半透明の体が瓦に広がり、足が触れたらやばそう。
「きゃあ……!?」
それを避けようとしてまぬけにもバランスを崩し、私はガラムの背後で屋根から転がり落ちた。
「ユウカッ……!」
ガラムが青ざめて手を伸ばす。
私は「あれ? これ、死ぬのでは?」と思った。
この屋根の高さなら、普通に転がり落ちたって当たり所悪ければ死ぬかもしれないのに、階下を埋め尽くしているのは私を殺そうとしている魔族の群れ。
次の戦争で魔族のために頑張ろうと思ったのに……戦争じゃなくてなんか、こんな感じで魔族の街中で死んじゃうんだ、私……と、なんだか現実感のない感じで思った。憎いとか悲しいとか悔しいとかなかった。なんか驚きすぎて、「マジか…」みたいな。
私は空中に投げ出され、ぎゅっと目をつぶってマントを握りしめ、そして。
ドサ!
と暖かい腕の中に落ちる衝撃に、咳き込みながら目を開けた。
「何やってんの?」
紅い双玉が歪んでいる。私は瞬きをした。
へら、と。ヴァルトが私を覗き込んで笑っている。
私は確かに屋根から転がり落ちたはずだ。
そして階下には、地面を埋め尽くすほどの殺気だった群衆がいたはず。しかし階下にはヴァルトしかいなくて、私はヴァルトに受け止められている。
「俺、ちょうど城の屋根にいてさ。上から見てたけど、なんか面白そうだなって思ってみてたら、ユウカが屋根の上で転がり始めたからさぁ」
ヴァルトがのんびり言った。
ヴァルトの肩越しに、街の者たちが路地裏の影や店の軒先に逃げ込んでこちらを伺っているのがみえた。
「ユウカは脆いんだから、気をつけないと」
ヴァルトはふと、首を傾げるようにして周囲を見渡した。
「で、これなに?」
その時、私たちの横に赤い塊がどさっと落ちてきた。ガラムだ、ぼろぼろである。
「ガラムさん!」
「あれ?きみまた負けてるの」
ヴァルトが半笑いで言う。
「ヴァルト……!?」
ボロボロのガラムが、這いつくばったまま目を見開いた。彼の鱗は剥がれ、あちこち火傷を負っている。
ガラムがこんな一方的にやられるなんて…いや、彼は軍人だ。そして何より、優しい魔族だ。きっと、守るべき民である彼らに反撃できず、それでも私を守ろうとしてくれたのだ。
「ぐ…逃げろ、ヴァルト……!ユウカを、連れて…!」
ガラムが血を吐きながら叫ぶ。けれど、ヴァルトは「うーん?」と興味なさそうに首を傾げただけだった。
周囲の空気は凍り付いていた。
魔王軍最強の「災害」。その姿を見て、怒り狂っていた群衆もさすがに足を止めている。恐怖で震え上がっているのが分かった。けれど、硬直は一瞬だった。
「ひ、怯むな……!相手は一人だ!」
「救世主を殺せ!魔族の仇だ!!」
恐怖が極限を超えて、逆に殺意へと転化したのか。群衆の中から、一本の矢が放たれた。それはヴァルトではなく、彼の腕の中にいる私を正確に狙っていた。
「あっ──」
当たる。そう思った瞬間だった。
パァン
乾いた軽い音がして、目の前で矢が弾け飛んだ。いや違う。ヴァルトが空いている片手で、飛んできた矢をまるで羽虫でも払うように裏拳で薙ぎ払ったのだ。 矢は木っ端微塵になった。
一瞬の出来事だった。シーン、と。今度こそ完全に場が静まり返る。
「……あー…」
ヴァルトが、私の頭の上で溜息をついた。
「なんだろう。なんか…」
見上げると、ヴァルトは笑いながらゴキ、と首を傾げていた。いつもの、無邪気で、子供みたいな笑み。けれどその瞳は底冷えするような冷たい光を放っていた。
「……なんか……うざったいな?」
ゾクリ、と背筋が凍る。殺気だ。
ヴァルトの片手が、背中の大剣の柄にかかった。私を片手で抱き上げたまま、反対の手で柄をするりとなぞっている。
「よくわかんないけど、胸がむかむかするんだよな。でも…」
「ひっ……!?」
群衆が悲鳴を上げて後ずさる。ヴァルトの瞳がギラリと紅く輝いた。彼は笑っているのに、いつもみたいに楽しそうじゃなかった。目が全然笑っていなくて、声は地を這うように低かった。
私は言葉を失って彼を見つめていた。彼のこんな様子は初めてみたから…。
「全部ぶっこわしたら、すっきりしそう」
冗談じゃなく、彼は本気だった。そしてこの一撃を振るえば、目の前の人々はおろか、この区画一帯が消し飛ぶ。それは──ガラムの弟たちも、家族も、全部。
「だ、だめッ!!!」
私は咄嗟にヴァルトの胸倉を掴み、力いっぱい叫んだ。
「だめ!ヴァルト、だめ、お願い、止まって!」
「えーなんで?ユウカ、こいつらに襲われてたんじゃないの?」
ヴァルトは大剣を引き抜きかけながら、不思議そうに私を見る。その純粋な瞳が、今はなんだか恐ろしかった。
「ガラムさんの家族もいるの!ガラムさんが守りたかった人たちなの!」
ヴァルトはチラリとガラムさんを見下ろし、首を傾げた。
「…え。だから何?」
「…!お、お願いヴァルト、言うこと聞いて!ここを壊さないで!」
私は必死に彼の胸元にしがみついた。
ヴァルトはしばらく私をじっと見つめていた。底知れない、紅い瞳。
「─────…」
──やがて、ヴァルトは目を伏せた。そしてガシャンと大剣を背中に戻す。
「……分かったよ」
カチン、と大剣が鞘に収まる音がした。途端に、周囲を押しつぶしそうだった重圧が消える。
「よっと」
ヴァルトは私を抱き直すと、片手でボロボロのガラムさんの襟首を掴んで持ち上げた。
「じゃ、帰ろう」
「……うん」
私は小さく息を吐いて、ヴァルトの服に顔を埋めた。周囲からの視線は、もう憎悪ではなく、純粋な恐怖に変わっているようだった。
…軍でだって、私に怯えたり、複雑そうにする者たちはいる。それは仕方のないことで。
でも軍ではイグナレスが厳しく統制したり、私を彼の側に置いて連れ回したりすることで牽制してくれていたんだろう。だから私は、当たり前のことを忘れかけていた。
私は、すべての魔族に受け入れられたわけじゃない。
むしろ、畏怖や憎悪を抱いてる者の方が多いんだろう。そんな少し考えれば分かることを、私は忘れていた。
ふと、ガラムの弟たちが遠くで震えているのを見てしまった。あの子たちにとって、私は大好きなお兄ちゃんを傷つけた原因で、ヴァルトは街を壊そうとした化け物なのだろう…。
いつか彼らと分かり合える日が来るだろうか。私がここで頑張って戦って、みんなの力になれたら、仲間だと認めてもらえる時が来るだろうか。
…今の私は、それを信じて進むしかない。
だって私は、大切な彼らと一緒にいたいのだから。
その帰路、ヴァルトはずっと無言だった。いつもは結構話したり、質問してきたりするのに、この時は初めてじゃないかというくらい、静かだった。
私はそっとヴァルトの顔を伺った。ヴァルトは静かに前を見ていた。いつも通り、口元に微かな笑みを浮かべている。けれどその瞳は、なんだか彼らしくない冷えた光を宿しているようだった。




