5話 こちらが魔王城
どれくらい進んだだろう。
たまに走ったりして、私が苦しがるとスピードを緩めて歩いてくれて。
そんなことを繰り返しているうちに、「こちらが魔王城です」という感じの城門が視界に入った。
一言でいえば、禍々しい城門だ。
黒い尖塔が曇り空を突き刺すようにそびえていて、門は巨大な口のようだった。
ヴァルトが歩みを止め、私をそっと地面に下ろした。
「歩ける?」
低い声が耳に落ちる。
「.....はい......」
足に力を込めるけど、膝が笑っている。まあなんとかなるかもしれない、くらいの感じだ。
門の前には二人の魔族が立っていた。
一人は蛇のような鱗をまとった女。瞳が縦に裂けていて、舌がちらりと覗く。
もうー人は獣人の男。肩幅が異様に広く、腕は丸太みたいだ。二人とも、こちらを見て怪訝な顔をした。
「や。ただいまー」
ヴァルトが軽い声で言う。
その瞬間、空気が変わった。蛇の女が目を見開き、獣人が牙を剥いた。どちらも目が血走っている。
「異邦人ではないか!!」
殺気が、刃のように私の肌を切った。
「ひっ......!」
声が漏れる。
「おい、ヴァルト!貴様、任務はどうした!なぜ、それを連れて帰ってきた!?」
獣人がたたみかけるように吠えた。
「この子、イグさんに会わせたいんだよね」
ヴァルトはまったく動じない。笑って答えた。
しかし門番たちは話を聞く気なんてなさそうだった。
鼻息荒く、ズイッと進み出てくる。ヴァルトが私を背後に回した腕でぐいと下がらせた。私は恐怖に足がすくみ、思わずヴァルトのマントの裾を掴んでしまった。
「今ここで殺す!貸せ!」
獣人が吠え、蛇の女が舌を鳴らす。二人の視線が私に突き刺さる。私はガタガタ震えるしかなかった。
「困ったな〜」
ヴァルトがあまり困ってなさそうに呟いた。
「ぶん殴ろうかな~.....でも、手加減できるかなあ」
「手加減だと!?お前、最近幹部に上がったからって調子に乗って...」
獣人のほうが、勢いよくヴァルトに掴みかかる。しかしヴァルトの小柄な体は、背丈が倍以上はありそうな獣人に掴まれても、杭を地面に打ったようにびくともしなかった。獣人が目を見開いた。
「あ、助かるよ。そっちから手を上げてくれたらさ」
ヴァルトが、自分の胸倉をつかむ獣の手を笑顔で掴んだ。
「潰しちゃっても、俺は怒られないよな?」
軽くつかんでいるふうにしか見えないのに、ミシッと軋む音が響いた。
「ウ...ヴァア.....ツ!?」
獣が悲鳴をあげそうになった、そのときだった。
「騒がしいですね」
低く、冷たい声が門の奥から響いた。振り向くと、黒い外套をまとった長身の魔族が歩いてくる。ツノが闇に光り、瞳は氷のように冷たい。
「あ、イグさん」
ヴァルトは笑顔で手を離した。目の前にズド、と獣人の巨躯が沈んだ。ヴァルトに掴まれてた腕をおさえて震えている。隣の蛇女は、怯えて後ずさった。
「イグナレス様…!」
それらには目もくれずに、彼はゆっくりとこちらへ向かってきて...ヴァルトのマントを掴んで震えている私を、昏い瞳で見下ろした。
「これは一体…どういうことでしょうか」
その言葉は、ヴァルトに投げられたものだった。けれど、その眼はずっと私を捉えて離さない。不自然なほどに。
私はますます指先の震えが強くなるのを感じていた。
その魔族は、長い紫がかった黒髪を一つに束ね、軍服のような、しかし貴族の礼服のようにも見える精密な装飾の施された服を纏っている。
切れ長の瞳は理性に満ちていて、その顔立ちはヴァルトとは違う方向性で、冷たく整っていた。
彼が、イグナレス…イグさんとヴァルトが呼んでいる魔族。
「それがさあ。俺、ちゃんと仕事に行ったんだけどさ。なんかこの子、護衛も誰もいなくて。森で一人で倒れてたんだよ」
ヴァルトは、イグナレスの放つ威圧感など一切意に介さず、まるで今日の晩御飯の献立でも話すかのように、ことの次第を説明し始めた。
イグナレスは、ヴァルトの(おそらく要領を得ないであろう)報告を、ただ黙って聞いていた。 その間も、彼の視線は私から外れない。 冷たい、氷のような瞳。
──あれ。この人が「ここで殺しましょう」と言ったら、私ここで殺されるよね…?
私は今更ながらそう思って、ごくりと喉を鳴らした。
「───というわけで、俺どうすればいいかわかんないから、連れてきちゃった!」
ヴァルトがそう締めくくると、イグナレスは(何を考えているのか全く分からない無表情のまま)小さく頷いた。そしてようやく、私から視線を外した。
「事情は理解しました…ヴァルト、上出来だ。殺さずに連れてきた判断は、正しい」
その言葉に、門番たちが「なぜ!?」と息を呑むのが分かった。
「私の判断です。文句はあるか?」
イグナレスはそう一蹴すると、再び私に向き直った。
「ようこそ、ユウカ。魔王軍の要塞へ」
その声は、恐ろしいほど平坦で、冷たかった。
「あなたが異邦人である限り、あなたの命は……我ら魔王軍が管理させていただきます」
…どうやら、生かしておいてもらえるらしい。




