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45話 姉妹喧嘩

「お願いね。ロイ」


私の姉。ハルカが、無表情に告げる。

白い衣に包まれた右腕を無造作に持ち上げ、胸の前で手のひらをぎゅっと握った。

すると、彼女の拳からあふれ出す白銀の光。それはロイの全身も淡く光らせ、強力な魔力を授けた。


ヴァルトは切れた唇を舐めて、大剣を構える。


「待って、ヴァルト……」


私は青ざめる。勝てるわけない。だから逃げて。そう言おうとして。


「ん。ユウカは動けるなら、逃げてほしいな」


ヴァルトがロイから目を逸らさずに言った。その口元には、変わらずうっすらと笑みが浮かんでいる。私が加護を授けられないことに恨みごととか、責めたりとか、そういう様子が一切ない。


責めてもらった方が楽だ。どうして何も言わないの。 私はフォーゲルをそっと横たえて、立ち上がった。


「……私はいいから、ヴァルトが逃げてよ……! このままじゃ、死んじゃう!」


涙ぐみながら、傷だらけの背中に叫ぶ。


「え~やだよ」


すると、ヴァルトが肩を揺らして笑った。


「ユウカが逃げて」


「やだ!」


「あ、そう。じゃあそこにいて」


さらっと、怒るでもなくそう返されて、私は絶句する。


「最後のおしゃべりは終わった?」


ハルカが腕を組んで、ふっと笑って言った。

…一応彼女は救世主で、綺麗な白い法衣を着ているのに、まるで悪の女王様だ。


「随分仲が良いみたいだけど……ユウカ。あんたにまだ彼氏とか、早いから」


「何言ってんの!?」


私は一瞬、この場の命のやりとりとか、緊張感とか、本当に一瞬だけど、忘れそうになって叫んだ。


「違うの? ……ならいいけど」


ハルカがふんと鼻を鳴らした。


「じゃあロイ、さっさとやっちゃって。あの黒い子を倒して、ユウカを連れ帰るの」


ロイがその言葉に応えるように地面を蹴った。

青白い光を纏わせた剣を振り上げ、一直線に来る。


ヴァルトは姿勢を低くして大剣を横なぎに走らせた。

正面から受け止めるのではなく、受け流す様にロイの剣を弾く。

しかし、力んだせいか傷がふさがっていない身体から血が大量にあふれた。


「……!」


私は青ざめて口を抑える。やっぱり、だめだ。このままではヴァルトが殺されてしまう。


「全く──魔族というものは」


ロイが顔を歪めて、受け流された剣をそのまま振りぬいた。


「おぞましいほどに、しぶとい!」


ヴァルトはものすごい速度で反応し、一歩下がって避けようとしたが、ボロボロの身体がそれについてこれていなかった。


ドシャッ


私の足元に、何かが飛んできて落ちた。


「え……」


私が恐る恐る下を見ると、腕。ヴァルトの右腕が、落ちていた。


「うわっ……」


ハルカが小さく声を上げた。ロイとヴァルトがザザ、と距離を取る。


左腕を切り落とされたヴァルトは、だらりと大剣を下げて、血まみれで……それでも、薄く笑った。


「あはは。ちょっと動きにくいな」


ボタボタッと彼の黒いブーツの足元に…人間だったらとうに致死量を超えている、血液が落ちる。


「ヴァ……ルト……」


私は掠れた声で、無力感に苛まれながら彼を呼んだ。


その時。

ヴァルトの肩がぴくんと動き、こちらを振り返った。


そして。


「え?」


大剣を素早く背に戻し、突然。こちらへ突っ込んできた。


彼は駆け寄ってきた勢いを殺さず、無事な右腕でフォーゲルを掴み、その腕をそのまま私のおなかに押し付けるようにして、ひっかけて掬い上げるようにして走った。


「うぐっ!?」


割と容赦のない力に、ぎゅっとおなかが圧迫されて変な声がでる。

正面であっけにとられているハルカと目が合ったが、ロイがハルカの前に守るように立ち、剣を掲げるのが見えた──上空に向かって。


ドゴォォン!!!


空から巨大な何かが降ってきたと思った瞬間、地面が割れた。

私たちがいたところは地面が盛り上がって岩や土の塊が飛んでいる。


ロイが剣で受け止めたのは、巨大な戦斧バトルアックスだった。それを握っているのは。


「ふん!加護を受けた騎士が、なんだという!」


ガァン! とそのまま力任せに振りぬいて、剣を弾く。

その巨大な体、深紅の鎧。黒光りする角を光らせ、私たちの前に守るように立つ。


「グレイナさん……!」


私はヴァルトの腕の中で叫んだ。


「ユウカ、遅くなったな!ヴァルトは……とても、“良いザマ”だ」


軽く振り返ったグレイナがにまりと笑った。ヴァルトはへらりと笑みを返した。ヴァルトはいち早くグレイナが飛んでくることに気付き、私とフォーゲルを退避させてくれたのだ。


「ああもう、何なの! 倒しても倒してもわいてくる!」


ロイの足元で頭を抱えて伏せていたハルカが立ち上がり、叫んだ。向こうもロイが剣とシールドで守ってくれたらしい。


「ハルカ、落ち着け」


ロイが剣を振って、土煙を払った。鋭い瞳でグレイナを見つめる。


「何匹来ようと、同じことだ」


「……それもそっか」


ハルカがロイの後ろで、グレイナを一瞥した後に私を冷ややかな目で見やる。


「ユウカ……彼氏も友達も、人間の方が良いに決まってるでしょ」


腰に手をあて、目を細めた。


「その女のモンスターもぶっとばされたくなかったら、こっちに来なさい」


「……!」


私は唇を噛んだ。

グレイナをよく見たら、彼女もヴァルトほどではないが傷だらけだ。

息が荒く、魔力も枯渇寸前で顔色が悪いし、その美しい顔にも切り傷が入っている。

いや……たとえ万全な状態で彼女が来たって、勝てないのだ。私が加護を与えることができないのだから。


「お前…新しく召喚されたとかいう異邦人だろう?」


グレイナが眉をひそめ、角の生えた頭をわずかに傾げた。


「いやにユウカに馴れ馴れしいな。何者だ?」


すると、ハルカはよく聞いてくれましたとばかりに胸を張った。


「ユウカのお姉ちゃんですけど!」


グレイナはその切れ長の目を見開いた。


「あ……姉!? 嘘だろう……!」


戦斧を突き出してハルカを指し、私とハルカを交互に見て、信じられないという顔をする。


「ユウカはこんなに小さくて愛らしいのに!お前みたいに暴力的で凶暴そうなやつが、姉!?」


「…………」


ハルカの片頬がひくり、と引きつった。

ロイが戸惑いながらハルカに「ハルカ……ここは、戦場だから」と囁いた。 お喋りはやめてそろそろ戦いを再開しよう。そう言おうとしたんだろう。


しかし私が覚えている限り、私の姉・ハルカは言われっぱなしで黙っていることのできる人間ではない。


「ユウカは私に似てるからか・わ・い・い・の!」


怒りに頬を紅潮させ、グレイナをびしっと指さす。


「そもそも凶暴な女とかあなたに言われたくないんですけどぉ! 大体ねぇ──」


ハルカの怒号が戦場に響き渡る。


「ハルカ! 頼むから集中してくれ!」


なおもべらべら怒鳴ろうとしているハルカに、ロイがさすがに叫んだ。

ハルカはそれに眉を寄せながら「はいはい!」と苛立ちを隠さず叫んで、再び胸の前で拳を握った。


「──ここ、埃っぽくて最悪だし。早く帰って着替えたいし、ユウカとじっくり話もしたいし」


先ほどの激昂から一転。

すう、と冷ややかに冷静な瞳で、私たちを見据えた。


「さすがに、終わらせようか」


瞬間、空気がドンと重くなった。圧力が、かかっているみたいな。


「うっ」


私は地面に膝をついた。ヴァルトが目を細めて、背中の大剣に手をかけながら私を下がらせた。


ロイの剣が、これまでで一番強く光り輝いている。あれを喰らったらまずいと肌で分かった。即死したっておかしくない。そんな、強力な魔力。


「やめて、グレイナさん! もういいからっ、逃げて!」


恐怖に駆られて私は叫んだ。


「私は殺されないの! だから、大丈夫だからっ!ヴァルトと、フォーゲルさんと一緒に!お願い…!ー


もう、ここにいたいとか、人間のところに帰りたくないとか、そんなのはどうでも良かった。

ヴァルトが、グレイナが、フォーゲルが。ここで死ぬことの方が、耐えられない。


「ユウカ! 大丈夫だ」


しかしグレイナは私たちの前に壁のように立ちふさがりながら、一歩も引かずに戦斧を構えた。


「──わたくしと兄様を信じろ!」


私は涙にぬれた瞳を瞬いた。


──グレイナさんと……イグナレスさんを? 信じるって……どういうこと? どう考えても、勝てないのに……。


「終わりだ」


ロイが、剣を振りかぶった。 ああ、もう、だめだ──


その光が私たちを灼こうとした、その瞬間。


ドクン。


世界が、歪んだ。


「……え?」


ロイの剣の光が、私たちの目の前で──虚空に吸い込まれるように霧散した。いや、違う。 空間そのものが、ひび割れている。


そして私たちの足元に赤黒い印が走り──


『強制転移、執行』


脳裏に聞き慣れた、冷たい声が響いた。


──イグナレス、さ…!


バリィィン!!


ガラスが割れるような音と共に、私たちの足元の空間が砕け散った。 強烈な引力。 重力が反転したような浮遊感。これは…ワープの時の感覚と同じ!


「なっ……!?」


ハルカが目を見開き、慌てて手を伸ばしてくる。


「待っ──!」


彼女の指先が、闇に沈みゆく私のマントを掠める。 ハルカはそのまま、私を掴もうと、空間の裂け目に身を乗り出した。


「ハルカ!駄目だ!」


叫んだのは、ロイだった。彼はハルカの腰を背後から力強く抱きかかえ、強引に後ろへ引き倒した。


「離してっ!ユウカが…!」


「いけない!転移の余波に飲み込まれる、敵陣へ連れ去られたら終わりだ!」


ロイはハルカを抱き留めながら、裂け目の奥へ落ちていく私たちを、悔しげに睨みつけた。


私は、血だらけのヴァルトに抱き寄せられながら、遠ざかる視界の中。


ロイの腕の中でもがき、こちらに手を伸ばす姉を、見つめていた。

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