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39話 嵐の前の、目まぐるしい日々


それからの日々は、目まぐるしかった。


毎朝イグナレスの執務室に赴き、彼から指南を受けながら書類整理や戦略立案の補助などの簡単な補佐を行う。


昼食の後は、大体同行ワープの練習。これがたまにきつい。精神状態によって負荷が変わるのだ。

変に力んでいたり気がそぞろだったりすると、移動後にどっと疲れてしまう。


そしてその後には、加護の付与の訓練。イグナレスの監督下で、多数の兵士に加護を付与する訓練だ。

以前、グレイナにやったときと同じように、訓練場を貸し切って、呼び寄せた兵士たちに強化を付与したり、救護室の負傷兵の元へ赴いて修復をかけたり。


すっかり疲れて執務室に戻ると、必ずあの不思議な飲み物を、ティーカップー杯出された。

それを飲みながらその日の反省会をするのがお決まりだ。


あの不思議な暖かくてとろりとした...スパイシーな紅茶?みたいなのを呑むと、不思議と疲れが和らいで気持ちも落ち着き、頭が少しふわふわする。

もう後は反省会をしておしまいだって気が緩んでいるのもあるのだろう。


それで少しリラックスしてしまっても、イグナレスは意外にも怒らなかった。むしろ目を細めて満足げだ。


「今日のワープは安定しませんでしたね。何が原因だったかわかりますか?」


「窓の外にフォーゲルさんが飛んでいるのが見えて...目で追っていたら気がそれて...」


「あなたは常日頃から集中力が足りない。自覚なさい」


その日も私は暖かいカップを両手で持って大事に飲みながら、イグナレスと反省会をしていた。


「昨日は変に緊張をしていましたね。精神を一定に保ち集中して、かつもっと術者に身を委ねるように」


気を付けることが多いなあ。一気にできるかなあと遠い目になっていたら、イグナレスがふっと笑った。椅子から立ち上がり、静かに机を回って私の隣へ来た。


「ひとつずつでいい。まずは、身体の力を抜き術者に身を預けることを考えなさい」


ポンと軽く頭に手をのせられて、とろとろしかけていた意識が一気に覚醒した。


「え、…..あっ」


その手が頭を撫でた後、ゆっくり滑り落ち、頬に彼の冷たい手の甲が撫でつけられる。

伝わる体温が、冷たくて心地よくて、私は熱を出した時を思い出した。

あの時も彼の手の温度を気持ちいいと思ったけれど...今は、熱もでていないのに、あの時よりもずっと彼の手にすり寄りたくなってしまった。


そしてふと、今日は手袋をしていないんだ...とぼんやりと思った。


嫌...ではない。嫌悪感はない。それどころかすり、と頬を撫でられて、無意識にうっとりと目を閉じ、頬を寄せてしまった。

どうしたんだろう、なんでこんなに心地が良いのだろう。

お茶(?)を飲んでいる時と似ているような...。


「そう…それでいい」


私の指から滑り落ちそうになったカップを、頬に触れる手とは逆の手で受け止めて、イグナレスは囁いた。

カップを取り上げて、静かに机の上に置く。


「そうやって、私に全てを委ねること......明日はもっと、うまくできるように」


私はぼんやりとしながら「はい...」と返事をした。イグナレスは薄く笑い、私から指を離した。


私は頬から離れていくイグナレスの指に、縋りつきたくなるのを我慢しなければならなかった。



執務室から出ると、リザードマンのガラムが「お疲れさん、ユウカ」と声をかけてくれた。


彼は偶然通りがかったのではない。イグナレスに命令され、私を自室まで送ってくれるのだ。


…やっぱり、過保護すぎる気がする。

わざわざガラムを選んだのは、きっと私の顔見知りで、私が彼に心を許しているのも知っているからだろう。要は気遣いだ。


「最近どうなんだ、補佐官殿」


ガラムは苦笑しながら尋ねてくる。私は困った顔になった。補佐官と言われても。イグナレスのやっている仕事で、私が必要なことなんかひとつもない。むしろ手間と時間を彼にかけさせて、彼の業務を阻害している自覚がある。


「補佐官なんて名前だけですよ..私、何も役に立てていませんから....」


「お前が真に活躍できるのは戦場だろう。

それに、負傷兵の修復をできているのだってものすごい事だぞ。あまり気にするなよ」


ガラムが、気遣うというよりは事実を言っているという口調でさっぱりと言った。


私はちらりと彼を見た。彼の鱗は、以前にもまして艶があり、大きな怪我をしているようにも見えないので安堵した。

彼は魔王軍にスカウトされて兵士となったらしいが、あの無法地帯じみたコロシアムで荒稼ぎするよりずっと待遇が良いのだろう。

家族も元気にしているそうで、本当に良かった。


怪我といえば....ずっと気になっているのは、ヴァルトのことだ。

あの御前試合...イグナレスとの決闘の後、森の中で体を休めておくと言われてから早数週間。彼の姿を見ていない。


まだ、あの森で巨体を休めているのだろうか。大丈夫だろうか。やはり修復、必要だったんじゃ。あと、一人で寂しくないかな。フォーゲルに頼んで連れて行ってもらって、お見舞い(?)に行こうかな。などなど。


「ガラムさん....ヴァルト、大丈夫ですかね。まだ身体...治ってないのでしょうか」


私が真剣に、心から心配しながら尋ねると、ガラムは「何を言っているんだ」みたいな顔で私を見下ろした。


「とっくに治っているぞ」


「え」


「昨日も一昨日も、元気に任務で敵を叩き潰していたそうだし、特に問題ないと思うが....なんだ?どうしたんだ、そんな...なんというか」


ガラムが戸惑って私の顔を二度見した。


「…怖い顔をして」



私は、ものすごくヴァルトを心配していたのだ。


イグナレスに腹部を貫かれ、左腕を砕かれ、死んでもおかしくないような傷を負ったヴァルト。

私の魔力を気遣ったのか、加護による修復を拒んで自然治癒を選んだ、巨人であるという正体を明かして自分の事を語ってくれたヴァルト。


......怪我が治ったら会いに行くねって、私に言ってくれたヴァルト。


そう。「治ったら会いに行く」とヴァルトが言っていたから。こっちから会いに行ったら迷惑かな?とか、分からないけど、治癒に悪影響が?とか。


色々考えて、気遣って、今日まで我慢してた。


魔王城の大玄関。

様々な魔族が行きかう、エントランスホール。


私は気まずそうなガラムと並び、そこに立っていた。


巨大な扉が開いて、ぞろぞろと帰還した兵士たちがやってくる。


その中で、ぼろぼろの黒いマントを織った小柄な影。


「あれ、ユウ力だ」


ヴァルトは怪我ひとつなく。紅い眼を丸くして私を見つめ、「おはよ~」と言って片手を振った。

その手は、あの時失われたはずの左腕だった。私はすっと息を吸い込んだ。


「おはよ~、じゃない!今、夜だし!」


少し声を荒げて言った。


「そうだね。ユウカとは大体おはようだったから、夜に会うのふしぎだね」


ヴァルトは笑って言った。ちょっと声を荒げたくらいでは怒りが伝わっていないようだったので、私はずいとヴァルトの目の前に進み出た。


「怪我、治ってたんだ?」


「うん。7日前くらいに」


ヴァルトが悪びれもせずさらっと言うので、私の内心はますます荒れた。


「そう!元気になって、随分経ったんだね!私、知らなかったな!ヴァルトが怪我治ってるって!まだ森で休んでるのかと思ってた!」


大きな声で言うと、ヴァルトは「ん?」という顔をして首をかしげながら。


「あれ?ユウカ怒ってるの?なんで?」


やっと伝わった。


「私はヴァルトをずっと心配してたの!なんで部屋に来てくれなかったの?」


「え。行っていいの?」


ヴァルトは首を傾げた。


「俺、最近は日中に任務が多いから。行けるとしたら夜になるよ」


「それはそうでしょ。私だって日中はいないもん」


「うん。それでいいの?」


「なんでそんなこと聞くの。いいよ、たぶん夜ご飯をひとりで食べてるし」


管理時代(?)は、イグナレスが夕食を持ってヒヤリング(という名の尋問)をしに来てたけど、最近はそれはない。食事は、目も合わせてくれないシャドウの侍女が運んできてくれる。

彼女らはさっと来てさっと帰ってしまうので、ちょっと寂しい。


ヴァルトがいちいち確認してくるのがわからない。横でガラムが何か言いたそうにそわそわしている。


「そうなんだ。グレイナに行っちゃダメって言われたから、そーいうものだと思ってた」


「グレイナが?どういうこと?」


「ユウカ...」


ガラムが言いにくそうに口を開いた。


「お前の休息時間帯は、お前の部屋周辺は護衛以外は立ち入り禁止区域となるんだ」


「え?」


休息時間帯...まさか。


「そうそう。人間は一日の半分くらいなきゃいけないんでしょ?大変だよね」


いや私はコアラではないんですけど。


イグナレスが睡眠は8時間以上とか言ってたけど、それが更に大げさになってみんなに伝わっているのだろうか。


「いや....そんなにいっぱい寝ないよ...」


というか私の部屋の周り、わざわざ立ち入り禁止にされてたのか。

だから夜、とても静かだったんだ。

魔族は夜行性が多いし、そもそもあまり寝ないって聞いていたのに....


まず思ったのは、絶対にこれはイグナレスが命令したんだろうということ。やっぱり彼、過保護すぎる。

私の健康管理まで魔王様に命令されたのかもしれないけど、いくらなんでもやりすぎでは。


「そうなんだ。でもいっぱい寝ないと死ぬんでしょ?大変だね」


「個人差があるけど、私は一日の半分も寝ないよ.......あと、そんなすぐに死なないよ.......」


私は脱力しながら言った。となると、ヴァルトは私の事を(一応)気遣ってくれていたということだ。

いきなり声を荒げて悪かったな、と反省して「ごめんね」と言うと、不思議な顔をされた。


「…腕、治ってよかった」


私はヴァルトの左腕に触れた。

さっきひらひら振ってたから、もう動かすのに支障はないのだろう。


「うん。休んでたら大体治るよ」


ヴァルトは笑った。


「なんだかユウカと会うの久しぶりな気がするな」


「久しぶりでしょ。10...何日も会ってなかっただから」


「そうかなあ。いつもだったら、それくらいだったらすぐに感じるけどな」


多分ヴァルトは、あんまり変わっていない。

相変わらず血の香りを漂わせて、底知れない笑みを浮かべて、たまに変なことを言う。

変わったのは私だ。ヴァルトの視線や言葉を怖いと思わなくなった。


私はヴァルトの左手を掴んで軽く引いた。


「ヴァルト、今日は一緒にご飯食べよう。私の部屋で」


苦笑いをしているガラムに、「イグナレスさんには内緒でお願いします!」と伝えると、彼は「わかったよ」と言って片手をあげた。


ヴァルトは大人しく私についてきていたが、人通りの少ない廊下に差し掛かった時「あ!」と言った。


「ねえユウカ。ワープの練習してるんだって?」


「うん、同行ワープ。イグナレスさんと。だいぶ慣れてきたよ」


今日はちょっとぐらっときたけど、調子がいい時は何ともない。

ヴァルトが面白そうに私を見る。


「じゃあさ」


私がヴァルトの左手を掴んでいたら、逆にそれを引き寄せられた。


「俺とも試してみようよ」


「え…嫌だよ!」


即答する。だって忘れもしない、ヴァルト本人の口から「俺とワープしたら死ぬよ」と教えてもらったんだから。


私は慌ててヴァルトの手から逃れようとしたが、相変わらず馬鹿力で、軽くつかまれているだけなのにびくともしない。


「いっぱい練習したんでしょ?大丈夫だよ」


「そんなの私の練習みてないヴァルトは分からないでしょ!」


「でもさ。ユウカは実際、俺と戦争行くんだろ?」


ヴァルトは首を傾げた。


「俺とのワープができるようになっておかないとじゃない?イグさんはめったな事ないと戦場に出ないし」


それは…そうだ。確かに。


「俺も手加減は苦手だけど、頑張ってみるよ」


ヴァルトがにこ、と笑って私を見つめる。私は少し考えた。距離が遠くなればなるほど、負担は大きくなる。逆に近ければ負担は軽い。


ここはもう立ち入り禁止区域(勝手に決められた私の就寝時間のため)であり、私の部屋は目と鼻の先。次の曲がり角の向こうの扉だ。


私だって、コツを学んだし。大事なのは、術者に全てを委ねることって、イグナレスは言っていた。ヴァルト相手なら、きっとできる。


「じゃあ、私の部屋までね」


「うん!」


ヴァルトが嬉しそうに笑った。

試してみたかったのかな、人間とのワープ。

相変わらず好奇心旺盛だ。なんでも試してみたいんだもんね、と思うとちょっと微笑ましい。


私はヴァルトにそっと寄り添った。


「ヴァルト、優しくね」


一応、もう一度念を押す。ヴァルトは頷き、私を抱き寄せた。

加減されているのはわかるけど、イグナレスよりも力強い。


私はヴァルトにぴたりと身体をくっつけた時、彼の魔力を感じた。


静かで冷たいイグナレスの魔力とは違う、平常状態なのに内で暴れ狂ってるような、暴力的なそれ。


最近、魔族と一緒に過ごしているからだろうか。魔力に少し敏感になってきたというか、魔力の質や量が、わかるようになってきていた。


つまり…あれ…なんか、やばいんじゃないか?


そう思った時には遅かった。


まず、世界が音を失った。


視界が赤と黒の渦に染まり、足が触れていた地面と重力が消えて体が投げ出されたかのような感覚。

ついで、身体が押しつぶされそうな重圧がかかった。


「う゛   あ   ッ?」


私は必死にヴァルトにしがみついたが、喉から変な声がでた。


なにかに押しつぶされそうなくらい苦しくて、耳鳴りがひどくて、自分が今何か話してるのか、目をあけているのか、何も分からない。


イグナレスとワープしたときは、こんな重圧とかなかっ──────



「ユウカ!」


誰かの声だ。ヴァルトの声じゃない....。


ぐわんぐわんと揺れる視界。黒い天井の複雑な様..古い本の匂い...ここ、私の部屋じゃない....。


──ここ、執務室?


視界が回復すると、見たことないくらい焦ったイグナレスの顔。


私は床に投げ出され、彼に抱き起されているようだ。頬に触れている冷えた指が心地よい。

私が目を覚ましたことに気付くとイグナレスは目を見開き、私の首に触れて小さく息を吐いた。


「俺さあ」


今度はヴァルトの声だ。私はぼんやりと視線を彷徨わせ、執務室のデスクの上に座っているヴァルトを見つけた。


「誰かとワープ、成功したことなかったんだよ!」


明るい、少しはしゃいだ声だ。やったね、みたいな。


つまり...ワープが成功した?到着地点が私の部屋から随分遠いイグナレスの執務室になってるし、私は死ぬかと思ったのだが...これは、成功...?


イグナレスが、そっと私を抱き上げ、壊れ物を扱うように丁寧に、巨大な黒い革張りのソファに寝かせた。


「──ユウカ。お前には回復次第..経緯を説明させる」


とてつもなく低い声が落ちた。御前試合でもこんな低い声は出さなかったんじゃないかというくらい。


青ざめながら顔を上げると、全ての表情をそぎ落としたイグナレスが、昏い瞳でヴァルトを見つめていた。


「ヴァルト........」


「ん、なあに?イグさん」


私は全身をガタガタ震わせて言葉も出せなかったが、ヴァルトは笑いながら不思議そうに首を傾げた。




「───表に出ろ」




いつの間にかイグナレスの片手に、美しい氷の剣が現れて冷気を放っており、それをみたヴァルトは瞬きをして────


「いいの!?」


それは嬉しそうに、紅い瞳を輝かせた。


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