36話 おしゃべり好きな巨人
高い。たぶん、お城のお部屋よりも高い。
ヴァルトの手のひらの上で、私は魔王城と、その向こうに広がる森を見渡していた。風が気持ちいい。
『俺ね』
ヴァルトが、ぽつりと話し始めた。
『昔はずっと、動けなかったんだ』
「動けなかった?」
『うん。ただそこに在るだけの、災害みたいなものだったの』
ヴァルトが語る昔話。
曰く、彼は元々、自我も曖昧な強大な魔力の塊だったらしい。
嵐のように荒れ狂うこともあれば、山のようにただそこに在り続けることもあった。考えることもなく、感じることもなく。ただ本能のままに、近づくものを砕き、飲み込むだけの存在。
『退屈、って言葉も知らなかったけど。今思えば、すっごく退屈だったんだと思う』
そんな彼を見つけ出したのが、イグナレスだったという。
『ある日、イグさんが来てさ。俺の周りの氷を全部溶かして、「お前は使えるか?」って聞いてきたんだ』
イグナレスは、言葉を持たなかった彼に言葉を教え、「ヴァルト」という名を与え、人の形をとる術を教えた。そして魔王軍にスカウトしたのだそうだ。
『自我を持って、動けるようになって。初めて、世界を知った』
ヴァルトの声は、弾んでいた。
『何かを食べて美味しいとか。自分の足で歩くのが楽しいとか。強いヤツと戦うのが気持ちいいとか。全部、最近知ったことなんだ』
だから彼は、あんなにも子供のように無邪気で、好奇心の塊だったんだ。 全ての経験が、彼にとっては生まれたての感動だったから。
善悪の区別なく、ただ楽しい、面白い、を貪欲に求めていた理由が、なんだか腑に落ちた気がした。
『戦うのが、一番好きかな。壊すのも好き。えーと。あとは』
ヴァルトは少し悩むように空へ目線を向けた。
「…話すのも、好きだよね」
私が尋ねると、彼は私を乗せた手を、少しだけ顔に近づけた。紅い瞳が、細められる。
『そうだな。ユウカと話すのも好きだ』
私の胸が、じわりと温かくなる。
「……私もだよ」
私は彼の指を撫でながら答えた。
「私も、ヴァルトとお喋りするの好き。ヴァルトが部屋に来てくれるの、実はいつも楽しみだったよ」
『へぇ。枕投げて怒ってたのに?』
「あれは……タイミングでしょ!いつもは枕投げないし、怒ってないでしょ!」
私が顔を赤くして抗議すると、ヴァルトは『あはは』と大地を揺らして笑った。
『ユウカは小さいのに、俺に平気で怒るし、話すし。変なの。
俺、この姿に戻るとさ。思考もちょっとぼんやりして、破壊衝動ばっかりになっちゃうんだけど……ユウカといると、すごく落ち着く』
ヴァルトは、空を見上げた。私はふと、心配だったことを尋ねる。
「ヴァルト、左腕は?巨人の姿だと、山みたいでよくわからないけど。私、修復するよ」
『ああ、大丈夫。じーっとしてたら治るから』
ヴァルトは目を細めた。
『元気になったらちっちゃくなって、またユウカの部屋に行くよ』
「ふふ、ドアは壊さないでね。ベルも鳴らしてね」
『んー』
生返事。絶対に忘れるやつだ。私は苦笑いをする。
森の風が吹き抜ける。巨人の手のひらの上で、人間に捨てられた元救世主の私は、これからの日々に思いを馳せていた。
きっと大変なことはたくさんある。戦争も、まだ終わっていない。けれど今はこのぬくもりを、大事にしたい。ここで出会った大好きな魔族たちを、守れるようになりたい。そう決意を新たにした。
◆
「ユウカ。わしの背に乗ればひとっとびだぞ」
のしのしと私の隣を歩くフォーゲルが気遣わしげに言った。
「歩きたい気分なんです」
私は森の木のざわめきに耳を傾けながら、フォーゲルと一緒に魔王城への帰路についていた。
ヴァルトが言ってた、自分の足で歩くのが楽しいって言葉。
山のように聳え立つだけだったヴァルトが、自由に動ける身体を得て動き回れた時、ただ歩くことすら楽しいと思ったんだろうなって思ったら、なんだかたくさん歩きたくなったのだ。
「フォーゲルさんは先に帰ってもいいですよ?」
「いやいや…お前さんをこんな所に1人で置いていくことなどできん。あと、参謀殿に殺されるわい」
お城は見えるくらい近いのに、大袈裟な…と思ったし、今のイグナレスが果たして、以前のように私を案じてくれるかと思うと疑問だ。ちくりと胸が痛くなって、誤魔化すように前を向いた。
すると、森の入り口。城へと続く小道に、人影があった。
「……ユウカ」
そこに立っていたのは、グレイナだった。いつもの深紅の鎧が、陽に輝いている。彼女は私を見つけると、どこか気まずそうに視線を泳がせた。
フォーゲルが優しい目で私を見て、肩を叩いた。私は頷いて、彼女に向かって進み出た。
「グレイナさん」
私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせた。
無理もない。彼女は私を、拷問から救うためとはいえ、殺そうとしたのだから。そして、私がその選択を拒絶し、ヴァルトと共に彼女を倒して去った。あの日以来の再会だ。
「……兄様が、呼んでいる。執務室へ来いと」
グレイナは、硬い声でそれだけを告げた。
以前のような威圧感はない。むしろ、どこか小さくなっているように見えた。
私はそんな彼女に歩み寄り、精一杯の笑顔を向けた。
「迎えに来てくれて、ありがとうございます」
「ッ……」
グレイナが息を呑む。
「お前……怒っていないのか? わたくしは、お前に……」
「怒ってませんよ。グレイナさんが私のために必死になってくれて…嬉しかったです」
私がそう言うと、グレイナの大きな瞳がみるみる潤んでいった。
彼女は唇を噛み締め、何かを堪えるように拳を握り──そして。
「ユウカッ……!」
感極まったように名前を叫び、私に抱きついてきた。
「ひぃっ!?」
「おいッ!?」
フォーゲルの悲鳴。私は反射的に身を強張らせた。脳裏に蘇る、彼女の馬鹿力。以前、軽いスキンシップで骨がきしみそうになった記憶。そしてあの戦斧を振り回す豪腕。つっ、潰される──! ?と覚悟して、目を瞑った。
けれど。
「よかった……!本当に、生きていて、よかった……!」
私の背中に回された腕は、驚くほど優しかった。まるで、壊れ物を扱うように。震える彼女の腕から、温かい体温だけが伝わってくる。
「ごめんな……怖かったろ、辛かったろう……」
耳元で、彼女の嗚咽が聞こえる。 大粒の涙が、私の肩を濡らしていく。
「もう二度と、あんな思いはさせない。わたくしが、絶対に守ってやるから……!」
グレイナは、私のために泣いてくれた。その優しさと、ちゃんと手加減してくれている気遣いに、私の体から力が抜けていく。フォーゲルも気づいたのか、背後で安堵の息を吐く気配があった。
私は、彼女の背中にそっと手を回し、抱きしめ返した。
森の風が、私たちを優しく包み込んでいた。
次回 管理改め、指導宣言




