表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/46

32話 憎悪の正体

「……忌々しい」


視界を埋め尽くす、金色の光。ヴァルトの全身から噴き出すその輝き……祝福などと笑わせる。

私にとってはそれは、吐き気を催すほど禍々しい、呪いの色に他ならない。


その光を見た瞬間。脳裏に、封じていた百年前の記憶が、汚泥のように溢れ出した。



かつての戦場。我々魔族は、人間など容易く蹂躙できるはずだった。脆弱で、魔力も少なく、寿命も短い下等生物。何匹湧いて楯突いて来ようが関係ない。


だが、異邦人が現れたあの時。あの瞬間から、戦場は地獄と化した。


『救世主様万歳!』『我らは不滅だ!』『祝福の光よ!』


狂信的な叫びと共に、人間どもが突撃してくる。腕を切り落としても、腹を裂いても、止まらない。背後に控える“異邦人”の加護を受けた彼らは、傷口から金色の光を放ち、ゾンビのように瞬時に再生し、笑いながら我々の喉元に剣を突き立てた。


私の部下が、次々と殺された。 誇り高い魔族の戦士たちが、死なない人間たちの数の暴力と、尽きない体力によって、ゴミのように無惨にすり潰されていった。

最期に私を庇って死んだ副官の、絶望に染まった顔。


そして──

加護を受けた薄汚い騎士の刃が、あろうことか魔王陛下の玉座にまで届きそうになった時の、あの身の毛もよだつ恐怖。絶対的な主が、羽虫ごときに傷つけられそうになった屈辱。


──理不尽だ。命のやり取りにおいて、一方的に「死なない」などという反則が、許されていいはずがない。


あの光は、希望ではない。世界の理を犯す、おぞましいバグだ。



「……ッ!」


ガギィン!

ヴァルトの大剣が、私の氷の盾を粉砕する。思考の淵から引き戻された私は、目の前の光景に、かつての地獄を幻視した。


ヴァルトの背後にいる、小さな少女。ユウカ。彼女が、祈っている。

その姿は、かつて私の部下を殺したあの異邦人と、完全に重なった。


「…お前が…」


そう思った瞬間。私の中で、何かが決壊した。


「お前のような存在が……その、身の毛もよだつふざけた力が! かつて私の部下を、私の誇りを、泥泥になるまで踏み躙ったのだ!」


私の叫びに、ユウカが、ビクリと身を震わせる。私は、ヴァルトの剣を弾き飛ばして慟哭した。


「私がなぜ、お前を城に置き、衣食住を与え、徹底的に管理していたと思う!」


ユウカの琥珀色の瞳が揺れる。


「抑止力だ。お前が生きていれば、新たな異邦人は召喚されない!ただそれだけの、便利な道具だったからだ!


私は、彼女の心を踏みにじる言葉を残酷に紡ぐ。


「情が移ったなどと、一度でも思ったか!?」


私は、理解していた。ユウカが私を見つめる眼差しには、怯え以外にも様々な感情が含まれていた。そこにはおそらく…親愛も。嗚呼、なんとも馬鹿げた、滑稽な話だ!


「人間どもを根絶やしにし、世界を我々のものにした暁には──不要となったお前は、この手で始末するつもりだった!」


だからこそこの言葉は、決定的な刃となって彼女を貫いただろう。その証拠に、ユウカの瞳が見開かれる。それに歪んだ愉悦を感じ、私は。


「初めて会った時から、お前に対して憎しみ以外の感情を抱いたことなど、一度もない!!」


叫んだ。ただ、その心を完膚なきまで傷つけるために。

そしてその期待通りに、彼女の唇がわななき、そして──硬直した。


フッ、と。 ヴァルトを包んでいた金色の光の加護が、動揺によって揺らぎ、薄くなった。

私は、その瞬間を見逃さなかった。 憎悪のままに、氷の剣を突き出す。


ズリュッ


「が……っ」


私の剣が、光の薄れたヴァルトの腹部を深々と貫いた。ヴァルトが苦悶の声を漏らし、口から鮮血を吐く。


手応えがあった。致命傷に近い。厄介な盾は砕けた。これで邪魔者はいなくなった。


──あとは、お前だけだ。


私は、串刺しにしたヴァルトの肩越しに、ユウカを睨みつけた。


──殺す……いや!ひと思いになど殺してやるものか!


私の脳裏に、昏い愉悦が駆け巡る。

そうだ。私はこの時を待っていたのだ。この小娘を地下牢に引きずり込み、その四肢を砕き、希望を削ぎ落とし、散々苦しめ、泣き叫ばせてから殺してやる。

かつて私の部下たちが味わった苦痛を、倍にして返してやるのだ。さあ、泣け。喚け。命乞いをしろ。その絶望に歪んだ顔を、特等席で眺めてやる──。


そう思って、ユウカの顔を見た、その時。


ドクン、と、心臓が嫌な音を立てた。


彼女は、私の望み通り泣いていた。

しかしそれは、恐怖からの涙ではない。怒りでもない。ただ、悲痛な悲しみだけを大きな瞳に浮かべ、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。そして、呟いた。


「──イグナレス、さん……」


縋るように。噛み締めるように。


胸の奥に、鈍い痛みが走った。嗜虐的な歓喜が湧き上がるはずの場所に、焼け付くような苦しみが広がる。


剣を握る手が、無意識に一瞬だけ強張る。思考が、空白に染まる。


その、一瞬の隙。 殺し合いの最中に生じた、致命的な停滞。


ヴァルトが、それを見逃すはずがなかった。


「──隙あり」


楽しげな声と共に、眼前で黒い刃が閃く。


「ッ!?」


私は反射的に、突き刺していた氷剣を引き抜き、防御に回った。


ガギンッ!


重い衝撃。腹を貫かれていたはずの男が、信じられない膂力で大剣を振り抜いてきたのだ。


「チッ……!」


私は舌打ちをし、氷の防壁を展開して彼を弾き飛ばす。ザザッ、と氷の床を削りながら、互いに距離を取る。


──まだ動けるのか……!


私は彼を睨みつけた。

見れば、ヴァルトの腹の傷は塞がりきっていない。私の氷剣による傷は、再生を阻害する呪いを含んでいる。普通なら立っていることさえ不可能なはずだ。 だが、彼は平然と立っている。


ヴァルトは、剣をだらりと下げると、ボロボロと泣き崩れているユウカを一瞥した。

そして、視線を私に戻し、口から垂れる血を拭いもせずに、まるで難解なパズルの答えを見つけた子供のように、ポンと手を打った。


「あ」


彼は、目を細めて無邪気に唇を開いた。


「なるほど。……イグさん。俺、それ知ってるよ」


ガシャン、と大剣を肩に担ぎ、嗤う。


「それって。やつ当たり、だろ?」


凍りついた思考。思考回路が、その予想外の単語を処理しきれずに停止する。


「…………は?」


喉の奥から、心から。殺意のこもった音がでた。

次回 やつ当たり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ