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31話 御前試合


──イグナレスを、撃破せよ。


魔王の命令が下り、謁見の間に重苦しい静寂が満ちる。


イグナレスは私に向けた切っ先を、ゆっくりと下ろした。


そして手袋を外し、自身の左手を無造作に刃に這わせた。スッ、と鮮血が飛ぶ。赤い血が、冷たい石床に滴り落ちた。


「──我が血を以て…陣を敷く」


ゆっくりと、低い声で口上を述べる。

かつてグレイナと決闘を行った時と同じ儀式。けれど、その威圧感は別次元だった。


血が落ちた一点から、バキバキと凍てつく音が響き渡る。赤い魔法陣ではなく、青白く輝く氷の紋様が、広大な謁見の間を瞬く間に侵食していく。


「応じるならば、我が円環へ」


途方もない重圧をもって、イグナレスが告げる。瞳孔の開き切ったその瞳は、氷点下の殺意で私を射抜いていた。彼の双角が、鈍い光をうけて不穏に煌いていた。


「……来なさい。ここが、お前の処刑場です」


空気が、凍りつく。比喩ではなく、物理的に。 吐く息が白く濁り、肌が粟立つほどの冷気が謁見の間を支配した。


「んじゃ、イグさんが勝ったら、俺たちが死んで…」


ヴァルトはにこやかに言った。


「俺たちが勝ったら、ユウカは仲間入りってことね」


イグナレスは無言で肯定した。


そしてヴァルトは、自分の命がかかっているというのに一切の躊躇いをみせずに。

静かに陣の中へ脚を踏み入れた。コツン、と彼の固いブーツが石畳を叩く音。そして、そのかたわらで。私も、彼と共に陣へ脚を踏み入れた。


陣が光り輝き、決闘が成立した。


私は強く祈りを込めた。ほぼ同時に、ヴァルトが石畳を蹴った。


金色の光に一瞬包まれた彼は大剣を振りかぶり、禍々しい風圧を伴ってイグナレスに突っ込んだ。その速度は、先ほどの王都軍との戦いと同様、目にも止まらぬ速さのはずだった。


イグナレスが緩慢に動いた。その細く美しい剣を持ち上げる。


キィン。

澄んだ音が一つ。 ヴァルトの渾身の一撃は、イグナレスの細く美しい氷の剣によって、呆気なく受け止められていた。


「おっ」


ヴァルトは目を丸くする。

イグナレスは、足元の氷に根を張ったように一歩も動かず、片手だけでヴァルトの剛剣を支えている。 涼しい顔を乱さず、彼は手首を軽く返した。


ガギィッ!


氷の剣が閃くと同時に、ヴァルトが弾き飛ばされた。


ヴァルトは空中で身をひねり、氷漬けになった床にざざーっと滑りながら着地する。その拍子に、彼の身体から赤黒い血が溢れ出し、氷の床を汚した。塞がり切っていない傷から、血が溢れたのだ。


「…っ、あはは。やっぱ硬いなぁ、イグさんは」


ヴァルトが笑いながら、肩で息をする。笑っているけど、見ているだけで痛々しい。今のヴァルトは、文字通り満身創痍だった。


グレイナとの全力の決闘。そこから休む間もなく、私を抱えての長距離移動。そして、数千の王都軍をたった一人で壊滅させるという、常軌を逸した大立ち回り。いくらなんでも連戦が続きすぎている。


傷は私の修復魔法で少し塞いだが、失った血液や体力、そして底をつきかけた魔力までは戻らない。 そんな状態で、彼は今、魔王軍最強の男と対峙している…。


それでも彼は、一歩も引かない。笑みを浮かべて、剣を持ち上げる。


「……考え無しも、ここまでくると見上げたものです」


イグナレスが冷淡に吐き捨てた。


「その死に損ないの体で、私に勝てるとでも?」


イグナレスの言葉通り、ヴァルトの黒い服は赤黒い血で重く濡れていた。 対するイグナレスは、傷一つない万全の状態。纏う魔力の桁が違う。


誰の目にも、勝敗は明らかだった。 けれど。


「関係ないよ。俺は、やりたいことをやるだけだから」


ヴァルトは、私の前に立ちふさがったまま、肩をすくめて笑った。その表情には、悲壮感など微塵もない。


「……愚かな」


イグナレスが、指先を僅かに動かした。それだけで、無数の氷の刃が空中に生成される。号令もなく、氷の雨が私たち目掛けて降り注いだ。


「伏せて」


ヴァルトが私の前に立ち、短く指示する。私は慌てて頭を押さえ、ヴァルトの足元に伏せた。


ヴァルトは大剣を風車のように回し、氷を叩き落とす。 ガギギギッ! 重い衝撃音。防ぎきれなかった氷の礫が、ヴァルトの頬を、腕を掠め、新たな鮮血が舞う。けど、それらが私の身にふりかかることはなかった。


私は息を呑んだ。ヴァルトの動きが、いつもより僅かに鈍い。万全の彼なら、あんな単純な軌道の氷、鼻歌交じりで全て叩き落としていたはずだ。 やっぱり、限界が近いんだ。ただ立っているだけでも不思議なくらい消耗しているのに、イグナレスの魔法が触れた箇所の体力をさらに奪っていく。その上、こうやって私のことも庇って…。


「ヴァルト……!」


私が悲鳴をあげるみたいに名を呼ぶと、彼は血を拭いもせずに見下ろし──にこ、と笑った。言葉はなかった。


──やらなきゃ。私が、ヴァルトの剣になるんだ。


その笑みを見た瞬間、強くそう思った。その時、より強い冷気が前方から吹き荒れた。


「まずはお前から処分する。巨人の子よ」


イグナレスが低い声で宣言した。

氷の剣を構え、滑るように歩みを進める。 一歩踏み出すたびに床が凍りつき、冷気が私の足元まで侵食してくる。


彼は左手をかざした。 頭上に、さっきとは比較にならないほど巨大な、城壁をも貫くような氷の槍が出現する。 その切っ先は、ヴァルトへまっすぐに向けられているようだった。


ドォッ!と風切り音と共に、死の槍が放たれる。


──力を。ヴァルトに、力を!


私は胸の前で組んだ指に、全身全霊の祈りを込めた。シオさんが教えてくれたこと。私がこの世界で唯一、胸を張ってできること。


ドクンッ。

心臓が早鐘を打ち、身体の奥底から熱い奔流が溢れ出した。いつもの倍……いや、今までで一番強い光。それが、私からヴァルトへと一直線に繋がる。


光を受けたヴァルトの身体が、金色に輝いた。開きかけていた傷口が瞬く間に塞がり、枯渇しかけていた魔力が爆発的に膨れ上がる。彼の背後の影が、天井に届くほど大きくなった。


ヴァルトが小さく笑い、大剣を一閃させる。その風圧だけで、迫りくる巨大な氷槍が粉々に砕け散った。


キラキラとダイヤモンドダストのように舞い散る氷の中で。限界を超えて強化されたヴァルトが、獰猛な笑みを浮かべてイグナレスを見上げた。


「まだまだ付き合ってね?イグさん」


イグナレスの表情は変わらない。けれど、その視線がヴァルトの纏う「金色の光」に向けられた時。


彼の瞳の奥に、押し殺していたどす黒い憎悪が、ゆらりと燃え上がるのを私は見た。


「……忌々しい」


イグナレスが、低く吐き捨てる。


「その光……見ているだけで、虫唾が走る…!」


次回 憎悪の告白

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