30話 魔王様へ売り込み
夜が完全に明ける頃。
ヴァルトは私を抱えて魔王城へと舞い戻った。
彼の体は、修復の加護である程度癒えてはいたが、グレイナからの王都兵との連戦で魔力と体力を消耗していた。また、新たな異邦人の加護を受けた攻撃の傷は深く、全治はできていない。
魔王城の門前。 門番の獣人が、私とヴァルトの血まみれの姿を見て、剣を抜きながら吠えかかってきた。
「…!逃亡中の異邦人ユウカ!そして反逆者のヴァルッぐあ!?」
「あっちょうどよかった」
しかしヴァルトは大して気にした風もなく私を地面に降ろすと、門番の獣人の頭をひっ掴んで笑顔で話しかけた。
「魔王様に取り次いでよ!」
「ふざけるなっ、この反逆者がっあっぎゃーーっ!?」
獣人の悲鳴が響き渡る。ヴァルトはその馬鹿力で獣人の首根っこを引っ掴んで歩き出した。蛇女が呆然としていたので、私は頭を下げて慌ててヴァルトを追いかけた。
「ユウカ、こっちだよ。おいでー」
ヴァルトが獣人を片手に掴んだまま、ひらひら手を振っている。彼の進行方向には、巨大な扉。「ここにラスボスがいます!」という感じの扉。後から聞いたが、やはり魔王様の謁見の間の大扉だったらしい。
とにかくヴァルトはそこまで獣人をひきずっていって、何をするのかと思いきや──そのまま叩きつけるようにぶん投げた。とんでもなく重厚な扉に向かって…。
「ンギャアァーーッ!?!?」
ドガァン!!!
獣人の断末魔、そして轟音と共に、扉が蝶番から外れ、木材と鉄の破片が広間に飛び散る。
「……………」
こんなことしたら、外でどんな実績を作っても問答無用で殺されるんじゃないだろうか。
でも、明朝処刑予定の囚人を勝手に外に連れ出したのだから、もう何をしたって同じか…とも思った。
「よし!なんかバリアはってあったからさ。でもこれで破れたね」
全然よし!ではないと思う。取次ぎって何だっけ。
けれどもう、私はヴァルトのこの感じには慣れてきていたのかもしれない。
彼は誰よりも制御不能で、予測不可能。でも……
ヴァルトの差し出された血まみれの手を、私は静かに取った。
──いつも、私が一番ほしいものを目の前にぶらさげる。
私たちは、白目をむいている獣人の横を通り抜けた。
壊れた扉の先、謁見の間は広間よりも広く、重苦しい空気が支配していた。
中央奥の玉座には黒いベールがかかっており、その向こうに、とにかく強大な気配を感じた。私は全身に鳥肌がたった。
ここには多くの幹部や部下が集められており…おそらく、ヴァルトの叛逆が伝えられているところだったのだろう。
…もちろん、イグナレスもいる。
彼の姿が視界に入った瞬間、私の胸が締め付けられた。イグナレスは壇上の少し手前で、いつもの黒い外套を纏っている。
彼は私たちの姿を見た瞬間、全ての表情が抜け落ちたようだった。
その場にいた魔族全員の視線が、血まみれのヴァルトと、その手をとって歩いている私に集中する。
「ヴァルト…お前…」
イグナレスが地を這うような声を出した。
「ここを何処だと心得る。処刑予定の囚人を連れ去り、あまつさえ御前に土足で踏み込むなど」
瞳孔が開き、その金色の眼は怒りと狂気に燃えているようだった。
「処罰は覚悟しているのだろうな…!」
ヴァルトは首を傾げる。彼の顔には微塵の罪悪感も、恐怖もない。
「処罰?ご褒美ならあってもいい気がするけど」
あまりに傲慢な言葉に、部下や幹部らが色めき立つ気配があった。しかし、それは次の瞬間に崩壊する。
「だって俺たち、東の領地にきてた王都軍を壊滅させてきたし」
謁見の間に、衝撃が走る。静寂が、驚愕のざわめきに変わった。
「な、なんだと……」
「ありえない」
「そんなこと…」
幹部たちが口々に戸惑いをこぼし、息を呑むのが聞こえる。
東の領土を脅かしていた、新しい異邦人の加護を受けた軍勢が、たった一晩で壊滅させられたという事実は、彼らの思考を停止させたようだった。それだけとんでもないことだったのだ。
「ユウカ、おいで」
ヴァルトは私の手を強く引いた。堂々と、魔王の御前に連れてくる。私は震える脚を叱責して歩き、彼に寄り添った。
ヴァルトは玉座を見据え、その紅い瞳を真っ直ぐに輝かせて、いつもの酷薄な笑みを浮かべた。
「ねぇ、陛下。俺、イグさんたちみたいに難しいことわかんないけどさぁ。雑魚どもの士気?ってそんなに重要なことなの?」
ヴァルトの無礼な言葉が、謁見の間を凍りつかせる。
「異邦人が脅威だのなんだの騒いでるやつってさぁ。俺とユウカよりたくさんの王都兵を殺せんの?」
ヴァルトは私を玉座へ押し出すように見せつける。そこで笑みを消し、真剣に玉座を見上げた。
「ユウカは盾なんかじゃない。剣だ」
静かな声。そして、うっすらと不敵に笑った。
「俺はユウカとなら、なんだって踏み潰せる。陛下が望むなら、それを……ここで、もう一度証明してやったっていい」
魔王の玉座を、私という処刑予定の囚人を使い、人質に取るようなその態度。全ての者は、言葉を失っていた。痛い沈黙が落ちる。
そこでヴァルトは私へ振り返った。
「…はい。じゃ、次はユウカ」
え、と私は目を見開く。ヴァルトは私の目をまっすぐに見つめた。
「言いたいこと。言っときな?」
急に話を振られ、私はビクリと肩を震わせた。
ベールの向こう。姿は見えないけど、わかる。魔王の、深淵のような瞳が私を見ている。
怖い。 でも、ここで黙っている訳にはいかない。私は、決めたのだから。
私はポケットの上から、シオさんの石を抑える。そして震える膝に力を込め、一歩前へ出た。
「私を───」
すう、と息を吸う。
「ここで、使ってください!」
叫んだ。
声は震えているけれど、大丈夫。話せる。ヴァルトが横にいる…だからだろうか。玉座の上のとんでもなく禍々しい気配を前に、私1人だったら立っていることもできなかっただろう。
「私は、人間側には戻りません。だって私は、捨てられたんです!」
必死に、声を張り上げる。
「加護も、修復も、強化も。私にできることならなんでもします」
自分の胸に手をあてる。
「新しい異邦人に、勝てる力を。魔王軍に、与えてみせます!」
再び、痛いほどの静寂。
私の顎から、ひや汗が伝った。ヴァルトは静かに私の横で玉座を見つめている。イグナレスは昏い瞳で私を見下ろしていた。他の魔族らも、音ひとつ発さない。そして、沈黙の玉座。
誰もが、玉座からの言葉を待っていた。
「──命乞いではなく、売り込みか」
初めて聞いた魔王の声は、どこまでも、腹の底に響くような低音だった。
そこには怒りではなく、微かな「興味」の色が混じっていた。
「面白い」
その言葉に、謁見の間の空気が揺らいだ。本来なら、ここで誰かが反論してもおかしくない場面だ。 「人間など信用できない」「処刑すべきだ」とか。
けれど、誰も声を上げなかった。 上げられなかったのだ。
静まり返った空間で。ただ一人、イグナレスが。異様な沈黙と殺意を放っていたからだ。
彼は叫びもせず、否定もせず、ただ彫像のように立ち尽くしていた。表情は抜け落ち、能面のように凍りついている。けれど、その全身からは、周囲の魔族たちが思わず後ずさるほどの、冷たく重く、鋭利な殺気が噴き出していた。
魔王の視線が、その沈黙の参謀へと向けられた。
「──イグナレスよ。 予てより、異邦人の処遇については全てお前に一任している」
魔王は、試すように言葉を紡いだ。
「お前がこの娘の利用価値を認め、納得するというのなら、私は何も言わん。我らの戦力として加えることを許す」
ボールは、イグナレスに投げられた。彼が頷けば、私は生きられる。
広間の全員が、彼に注目した。イグナレスはゆっくりと、深々と、魔王に向かって頭を下げた。肯定の礼かと思われた、その時。
「……………………」
彼が顔を上げた。その瞬間、私とヴァルトは、物理的な圧力を伴う視線に射抜かれた。
能面のような無表情。けれどその双眸は、光の一点もない深淵のような暗闇であり、私たちを──いいや、私という存在そのものを、明確な「敵」として捉えていた。
「……認めるものか」
静かな、けれど広間の隅々まで届くほど通る声。
「異邦人の力など、我々には不要」
彼は瞬きをせず私を、私だけを見据えたまま、呪詛のように言葉を吐き出した。
「ユウカ。……お前は、我らの死神だ。災いを招き、安寧を乱し、破滅をもたらす光」
私は呆然と、憎悪に塗れた瞳を見つめ返した。
「異邦人に、呪いあれ」
本当に、純粋な憎悪。それはきっと参謀としての判断を超えた、彼個人の魂の叫びだった。
彼が私をどう思っていたのか。その答えが、冷たい刃となって突きつけられている気がする。
「……ふむ。やはり、そうか」
魔王は、驚きもしなかった。まるで、彼がそう答えることを最初から知っていたかのように、さもありなんというように。
「では、示せ」
魔王が告げた。
「言葉で納得せぬのなら…力で語るほかあるまい」
彼はベール越しに私と、私の隣のヴァルトを見下ろしている気がした。
「ヴァルト。そして異邦人ユウカ」
命令が下る。
「お前たちの力をもって……イグナレスを撃破せよ」
私は息を呑む。
「かなえば力を認めよう。かなわなければ……お前たち両者ともども、この場で即刻処分とする」
重々しい声で宣言された───御前試合。
「御意」
イグナレスが進み出て、すらりと氷の剣を抜き放った。 その切っ先が、真っ直ぐに私へ向けられる。
ヴァルトが私の前に進み出た。
大剣を持ち上げ、ぶわりと横凪に払った。獰猛な笑みを浮かべる。
「いいね。最高だよ、陛下」
私は胸の前で指を組む。まっすぐに、立ちはだかるイグナレスを見つめた。
命と居場所を賭けた、最後の試練。きっとこれが、最後のチャンス。
次回 御前試合




