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3話 救いの手、届かない刃

私は、冷たい石の床に膝を抱えて座っていた。


薄暗い独房には窓もなく、時間の感覚はとうに失われていた。

最初の一日は、誰かが来るのではないかと耳を澄ませていた。

二日目には、喉の渇きが痛みに変わり。

三日目には空腹と寒さで震えが止まらなくなった。


「どうして......」


声はかすれ、誰にも届かない。


召喚されたときは、あんなに丁重にもてなされていたのに。

「あなたは世界の救世主です」と、みんなに笑顔で言われたのに。

それが、王様のひと言ですべてが変わった。


今はただ、食事も水も与えられず、ただ死を待つだけの存在。

私はなんとなく察した。多分、私がここから生きて出られることはないんだ。


もう立ち上がる力もなかった。目を閉じれば、姉の顔が浮かぶ。


──お姉ちゃん。会いたい…。


王様は言った。必要なのはこの者の姉だって。そしたら召喚士の人たちも、なんか水晶とかそういうので色々みていた人たちもそうだそうだって。


そして私は、気がついたらこの冷たい牢屋に押し込められていた。


──夢なのかな。


悪夢なら覚めてほしい。この飢えも寒気も孤独も、ただの夢だって安心したい。家に帰りたい。


そのとき、扉が軋む音がした。身体が緊張でこわばった。でも、満足に動けない。気力もない…。


足音が近づき、誰かがしゃがみ込む気配。


「.....ユウカさん」


その声に、涙があふれた。


「.....シオ、さん......?」


華奢で透き通るような、肩まで伸びた灰色の髪。最初はとっても綺麗な女の子だと思っていたけど、彼は男性だったのだ。

召喚されたばかりの私を気遣って、いろいろ助けてくれた恩人。


シオさんは水筒を差し出し、もう片方の手には小さなパンを握っていた。


「これを。食べられますか…?」


私は答えることもできずに、パンに齧り付いた。パンの塩気が染み渡るようだった。水筒の水もすぐに飲み干して、咳き込んでしまうと、シオさんは優しく背中を撫でてくれた。やっと落ち着いた私が、シオさんを見上げる。


「シオさん…ありがとう」


私がお礼を言うと、シオさんは苦しそうな顔をして首を振った。


「とんでもない。僕たちが勝手に呼んだんです。あなたは、何も悪くないのに」


私は涙を拭った。


「立てますか?今すぐ逃げる必要があります」


「え?逃げる?…どこに…?」


「王都から離れます。誰にも見つからないように…なるべく遠くへ行くべきです」


シオさんは言うが早いか、私を引き起こした。


「でも…あ、あの。ロイさんは、相談できませんか…」


ふと、私をずっと守ってくれていた騎士のロイさんの名前をお守りみたいに持ち出した。ほとんど無意識だった。


「いけません」


けれど、シオさんの固い声に、すぐに我に帰った。


──そうだよね。


心のどこかでわかっていた。ロイさんが私を助けるつもりなら、とっくに行動に起こしてる。勇気を出して、ここまでしてくれたのはシオさんだけだ。ロイさんは…王様に仕える、騎士なんだから。


「ユウカさん」


シオさんが気遣わしげに声をかけてくれる。私は小さく頷いた。シオさんの、意外と大きな手を握り返して、そっと牢屋を後にした。




剣の柄を握りしめたまま、扉の前で立ち尽くしていた。


王命は絶対。それは騎士としての自分の誇りであった。けれど今は、今に限っては、呪いのようにも思われた。


ユウカの顔が脳裏に浮かぶ。


怯えながらも、必死に笑おうとしていた少女。


「お役に立てるよう、頑張ります」


その声が、耳に残っていた。本当に戦場に出たことのない、インプにすら怯えて腰を抜かしてしまうような少女だった。その手に傷はひとつなく、瞳には困惑と怯えが常にあった。けれど、俺を信じると言ってくれた。俺は王の命令に従い、彼女を守ると誓ったのだ。


──その彼女を、飢え死にさせる?


王の命令は「手を下すな」だった。

異邦者を殺せば、神罰が下るかもしれない。だから、誰にも知られぬように、静かに死なせると。

手を汚さず、静かに衰弱し、飢えて渇き死ぬのを待つと──


──冗談じゃない。


剣を抜いた。


せめて、ひと思いに。苦しまないように。俺は彼女を、助けてやることができない。これがせめてもの償いになると思った。


牢の扉を開けた。


「…!」


見張りが、眠っている。いびきをかいて、倒れている。


そしてその奥の、閉ざされた牢。そこには、誰の気配もなかった。


念の為に扉を開く。部屋は無人。

冷たい空気と、かすかに残るパンの香り。床に落ちた水のしずくが、光を反射していた。


「……逃げたのか。いや…逃がされたのか」


見張りは魔法で眠らされたのだろう。眩暈がした。


剣を鞘に収め、壁に手をついた。胸の奥が、じくじくと痛む。


──俺は、国を、王を守る、騎士。


剣が固い床に落ちる。


固く目を閉じる。感じてしまった安堵と、何かへの深い後悔から、目を背けるように。


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