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29話 嘆いて足掻いて転がって

「そうこなくっちゃ」


ヴァルトは満足げに笑い、私の腕を掴み直し、軽々と横抱きにした。


次の瞬間、目の前の景色が歪んだ。

ヴァルトが大地を蹴った。一歩の跳躍が、森の木々を、地面のぬかるみを、全て無力化する。風を切る音と、木々の残像が水のように流れていく。


──ワープ……!?じゃない……速い、速すぎる……!


彼は私を抱きかかえたまま、その異常な膂力と脚力だけで、魔王の領地から戦場へと、超高速で駆け抜けているのだ。


強烈な浮遊感と、全身を叩く風圧に、私は思わず目を閉じてヴァルトの胸にしがみついた。


その移動が終わる時、地面に叩きつけられる衝撃が走る。しっかり抱かれているから、怪我することはなかったけれど。


「うっ……!」


「つーいた」


ヴァルトの軽い声に、恐る恐る目を開ける。ここは…小高い丘の下のようだった。


「イグさんが話してるの聞いたんだけどさ。新しい異邦人が早速、超強力な加護与えて、東の俺らの領土に侵略開始してんだって」


ヴァルトは私をおろし、ふらふらの私の手を引いて歩き出した。丘を登っていく。嫌な予感がする。西とか東とか、全然わからないけど。この会話の流れからするに…。


「だからさー、俺らでそれ、ぶっつぶそう?」

「…!?」


私たちは敵の勢力に、真正面から向かっているのだ。

明朝処刑されるはずの私の手を引き、ヴァルトはその歩みを緩めない。


すぐに人々のざわめきと、金属の音、そして微かに魔力反応の奔流が感じられた。

やがて、進軍中の王都軍がよく見える、小高い丘の上に辿り着いた。


木々が途切れた丘の上から、眼下を見下ろす。


そこには、巨大な軍勢が展開されていた。王都の紋章を掲げた旗が風になびき、鎧が太陽を受けて鈍く光る。一糸乱れぬ隊列は、戦いに慣れた精鋭の証だった。そして、その全てが、金色に淡く輝いていた。


──あれが。新しい救世主の、加護……。


彼らは、私が王都にいた頃に加護を与えた兵士たちよりも、遥かに強く、速く、そして圧倒的に訓練されているように見えた。私が与えた加護は、こんなにも弱いものだっただろうか、と呆然とする。


超強力な加護を付与済みというヴァルトの言葉が、私の脳裏に響く。


ヴァルトは私の手を離し、振り返った。風が吹き荒れて、彼の黒いマントを揺らす。


「城で加護を与えるんじゃなくて、戦場での加護の付与。目の前には、きみを捨てて、殺そうとした人間の軍」


ヴァルトは歌うように言って、私の顔を覗き込んだ。


「俺はねー、思うんだ。こいつらぶっつぶして帰ったら、イグさんも魔王さまも、他の異邦人がどうのこうの言ってるやつらも、なーんも文句言えないんじゃないかって」


ヴァルトは薄く笑った。答えなんかわかりきってるけど一応聞くね、みたいな表情だった。


「どーする?やる?」


私は、ポケットの中の冷たい石を握りしめた。


──自分のために、力を振るって…。


シオさんが最後に言ってくれた言葉だ。


目の前には、私を殺そうとした人間たち。そして、彼らを打ち倒せば、私の命は繋がる。私は迷いを断ち切った。


「…ヴァルト」


私が目を閉じ、彼の名前を呼び、胸の前で指を組む。その瞬間、私の体から、これまでの実験やコロシアムで発動させた時とは比べ物にならない、強い加護の奔流が、ヴァルトに溢れ出した。


ヴァルトが、小さく吐息を漏らす。彼の身体が、その奔流を余すところなく吸収し、紅い魔力と金色が混じり合う、禍々しいオーラを放ち始めた。


「だよな、ユウカ。やろう!」


ヴァルトが、獣のように歓喜の声を上げる。


彼は背中の大剣を抜き、丘を駆け下りた。


ヴァルトの動きは、もはや人知を超越していた。


最初の数秒で、王都軍の最前線が、黒い奔流と金色の光によって薙ぎ倒された。剣が、魔法が、バリアが、まるでガラス細工のように砕け散る。


しかし、相手も「新たな異邦人の加護を受けた王都軍」の精鋭だ。彼らの反撃は激しく、炎を纏った矢や、魔術の奔流がヴァルトに降り注ぐ。


ドォン!


黒い装甲が砕け、ヴァルトの軽鎧の胸に直撃した魔法が、彼の体を大きく吹き飛ばした。


「ヴァルト!」


私は思わず叫んだ。しかし、彼はすぐに立ち上がる。その顔は、血に塗れ、紅い瞳はさらに爛々と光っていた。


「あはは、いいね。もっとかかってこい!」


ヴァルトは、その痛みを歓喜に変えるように笑い、さらに深く敵陣へと突っ込んでいった。

彼の身体は、弓矢を受け、剣で斬り裂かれ、幾度となく地面に叩きつけられた。しかし、その度に、私から注がれる加護が、彼の肉体と魔力を押し上げる。


戦いは、やがて一方的な蹂躏へと変わっていった。ヴァルトは、笑いながら、踊るように全てを叩き壊した。


やがて、遠吠えと爆発音が止んだ。


丘の上から見下ろす谷間には、もはや整然とした軍勢は存在しなかった。ただ、血と土煙、そして砕かれた鎧の残骸だけが、荒涼とした光景を形作っていた。


いつのまにか、夜が明けていた。朝の陽が、凄惨な戦場を照らしている。


私は息を呑んで立ち尽くした。


「みなよ、ユウカ」


血に塗れたヴァルトが、丘を登ってくる。彼は全身傷だらけで、左腕はだらりと垂れ下がっているが、その表情は喜びで満たされていた。朝日に照らされたその笑みは、血だらけでなければ穏やかにみえる。


「俺ときみで、踏んづけてぶっ壊した」


私が青ざめる。魔王軍が恐れていた、異邦人の加護を受けた軍勢を、自分とヴァルトだけで。恐怖と戸惑いに、私の全身が震えている。


彼は私のそばに立ち、その血まみれの顔で笑った。


「俺、きみとなら、なんでもぶっこわせる気がする」


凶暴で、だけど美しい赤い瞳から、私は目が離せなかった。しかしその言葉を言い終えると同時に、ヴァルトはふらりと大きくよろめいた。


「あっ!」


私は慌ててその体を抱き止めた。しかし、彼の体は予想を遥かに超える重さだった。小柄な少年の外見とは裏腹に、まるで鉛の塊だ。


私の貧弱な体では、支えきれるはずがない。


そのまま私は、ヴァルトの重さに耐えきれず、彼を抱きしめたまま丘の上の地面にずるずると倒れ込んだ。土煙と血の匂いが鼻につく。


「ヴァルト、大丈夫!?」


私は彼の重い体を抱きしめ、すぐに修復の加護を注ぎ込んだ。傷ついた彼の身体が、私の掌の中で微かに光を放つ。


「どうして……どうしてあなたは、ここまでしてくれるの?」


彼の首筋に顔を埋めたまま尋ねる。


「んー……なんでだろうね」


荒い息を吐いて、でも笑いながらヴァルトは言う。


「……まだ、きみと遊びたいんだな。たぶん」


少し考えてからそう言って、彼は満足そうに目を閉じた。


次回 魔王様に売り込み

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