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28話 どうか優しく殺されて


窓を蹴り破ってからの脱出は、驚くほど容易かった。


ヴァルトは私を抱きかかえたまま、森の木々を縫うように、驚異的な速度で駆け抜けた。時折現れる見張りの魔族も、彼の冷たい笑みと一瞬の魔力で容易く撃沈されていた。


魔王の領地を出て、夜の森の林道に足を踏み入れた瞬間、ヴァルトが立ち止まる。


「……おや。追いつかれちゃったか」


背後の闇から、重装甲の足音が響いた。そこには、深紅の鎧を纏ったグレイナが、息を切らして立っていた。


彼女の顔には、焦燥と、悲痛な色が浮かんでいる。


「ヴァルト!ユウカを降ろせ…!」


グレイナは決死の形相で、戦斧を構えた。


「ユウカ!たのむ、もどってくれ。お前のためにも……」


彼女は懇願するように私に叫んだ。私はヴァルトの腕の中で戸惑った。グレイナは、尋常ではなく動揺しているようだった。


「兄様は、必ずお前を優しく殺してくれる」


グレイナは俯き、噛み締めるように続けた。


「わたくしにはわかる、兄様はお前を愛しているんだ!だからきっと、痛い思いも苦しい思いもない、だが……!」


グレイナの瞳に、恐怖の光が宿る。


「叛逆してしまえば、待っているのは長期の拷問と惨たらしい最期だ。お前をそんな目にあわせたくない……!今ならまだ間に合う。だから……」


グレイナは私を、拷問という地獄から救うために、優しい死を選べと懇願しているのだ。その愛はあまりにも重く、悲しかった。


ヴァルトは私をその場に静かに下ろした。そして、グレイナにではなく、私の顔を覗き込んだ。


「だって。ねぇ、ユウカ。どうする?」


彼は、いつもの底知れない笑みを浮かべていた。


「イグさんに殺してって。言いに行く?」


私は俯き、グレイナの言葉とヴァルトの問いかけを反芻する。


──優しく、殺される……。


それは、処刑宣告をされた私が、最後に望んだことだった。好きな人に、知っている人に、守ってくれた人に、終わらせてほしいという願い。

それでいい、せめてそれをくださいって強く思っていたのに。


いつもヴァルトは、「それでいいの?」と言って、私の目の前にぶら下げるのだ。本当に私が、望んでいるものを。


「行かない」


私の声が、夜の森に小さく響いた。


「わたし……」


やっと、掴み取れそうなんだ。本当に望んでるものを。


「死にたくない!」


心の奥底に沈んでいた、本能的な叫び。その叫びが迷いや恐怖、全てを凌駕した。

私は、胸の前で指を組んだ。 自らの意思で、初めて、強く強く祈る。


──私を、助けて!


瞬間、私の体から、これまでの実験やコロシアムで発動させた時とは比にならない強い加護の奔流が、ヴァルトに流れ込んだ。


「……いいね。グレイナ強いから、ほんとは楽しみたいんだけどさ」


ヴァルトは、その膨大な魔力に笑みを浮かべた。静かに背中の大剣を抜く。


「今は急いでるから。すぐ終わらせちゃうね」


グレイナは、ヴァルトから溢れる魔力の奔流に、顔色を変えた。それでも彼女は、戦斧を構える。


「ヴァルト……お前を倒して、ユウカを連れ戻す」


彼女の瞳は、決死の覚悟だった。


「わたくしには…それしかできない!」


私は静かにグレイナを見つめた。グレイナは、できる限りのことを自分のためにしようとしてくれている。あの時のシオさんと同じだ。その愛が悲しくて、でもとても嬉しかった。



ヴァルトの動きは、私の魔力を得て、もはや目にも止まらない速度だった。轟音と衝撃。ただそれだけ。


気づけば、私は地面に倒れ伏すグレイナを見ていた。彼女は血溜まりでうめき、戦斧は折れて転がっている。


私は思わず、グレイナに駆け寄ろうとした。その時、ヴァルトが私の腕を掴んだ。彼は無傷だったが、魔力の消耗があったのか少し息が荒い。


「ユウカ、追手がくる。俺は全部潰してもいいけどさ、イグさんがきたらさすがに大変かも」


「……っ」


「ユウカ……」


グレイナが血溜まりでうめく。


「行かないで……お前を、苦しませたく、ないんだ……」


「…………」


グレイナの言葉が、私の足を引き留める。


「ユーウカ。やっぱ戻る?」


ヴァルトが、私に最後の選択を迫る。


私は静かに首を振った。


「そうこなくちゃ」


ヴァルトは満足げに笑い、私の腕を掴み直し、軽々と横抱きにした。

次回 嘆いて足掻いて転がって

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