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26話 悲鳴(こえ)を聞かせろ!

数刻前。


謁見の間は静まり返っていた。

高い天井に吊るされた燭台の炎が、長い影を床に落としている。


玉座は黒いベールに覆われていた。ベールの向こうに、この世の魔の頂点が座す。


「陛下、申し上げます」


私は胸に手をあて跪き、先ほど伝令魔から得た火急の報せを口にする。


我々魔族の大敵。か弱き人間くずどもに万力を与え、我々に刃を届かせる忌々しい術者。異邦人の新たな召喚!


「人間側で、新たな異邦人の召喚が確認されました」


そのお方が、ひどく動揺することはなかった。何かしら感じ取っておられたのかもしれない。


「強大な力です。王都は既に、その者の加護を兵士に与え始め、強化された兵団を東の領地中心に派遣しております」


炎の揺らめきが、長い影を床に落とす。私は言葉を続ける。


「危険な状況です、どうかご判断を………我らが、魔王陛下よ」


そこでようやく、ベールの向こうの陛下は唇を開かれた。


「人間は必ず新たな異邦人を擁し、全面戦争を仕掛けてくるだろう」


声は冷たく、感情の色を一切帯びていない。


「疾く、戦争の用意を。戦力を首都へ集中させよ」


「は」


「...して。旧き異邦人は」


ユウカのことだ。私は瞳を昏く光らせ、ベールを見つめた。


「......旧き異邦人...ユウカはまだ力を保持しております」


ユウカは異邦人。新たな救世主の召喚を阻止する盾だった。この世界に異邦人(救世主)はただひとり。ユウカが生きていれば、新たな異邦人は召喚されない。我らの脅威は生まれない……はずだった。


だが、新たな異邦人が召喚された。

ユウカが生きていて、魔力も、おそらく能力も失っていないと言うのに。

ユウカが世界に対して『異邦人』のカウントから外れることがなにかあったのだろう。それがヴァルトの初日の魔力供給か、数回にわたる加護の使用か、或いは我々の魔城にその身を置いたことが原因か。定かではないが──


「強化の付与も、完全修復も可能かと思われます。盾としての用途は失せても、彼女は戦力として───」


そう。彼女はまだ使える。忌々しいことに、新たに現れた異邦人に立ち向かうための武器となりうるのだ。異邦人たる彼女が。だからこそ───


「災厄だ」


陛下のその一言は、刃のように鋭く空気を裂いた。思わず、私は言葉を失った。


「異邦人は、魔族にとって災厄の象徴。奴らの力を恐れる者も、憎む者も多い。城内の空気は不安定になっている」


確かに、兵の間では動揺が広がっている。たった100年前の戦争。まだまだ記憶に新しい。


「明朝、処刑とする」


処刑。その言葉を理解するのに、ほんの一瞬だけ、時間を要した。


処刑?誰を?決まっている。憎い憎い、あの異邦人を。ついに。


「人間との戦争は避けられぬ。士気を高める必要がある。異邦人の処刑は、最も効果的な示威となろう」


王手だ。私が待ち望んでいた瞬間だ。


私は魔王陛下の右腕。この王国軍の脳。だというのにこの時は、その仕事をほぼ放棄していた。ただ、歓喜に打ち震えていた。たったひとつの望み、自分勝手な私情、憎悪と執着に身を焦がして。


「戦力としての価値など、組織の安定には及ばぬ。異邦人がいるだけで兵は法え、疑念が広がる。戦場に出すより、見せしめにする方が千倍の価値がある」


その瞬間、我慢ならなかった。

口元が歪む。抑えきれない愉悦が、唇の端を吊り上げる。咄嗟に手を、口元へ。指先で笑みを隠し、深く頭を垂れる。


──嗚呼、ユウカ!


「広場で執行せよ。幹部と兵を集める。異邦人の未路を、全軍に刻み込むのだ」


──やっとお前を、この手で殺してやれる。


「陛下の、御心のままに」


苦しめて、苦しめて、お前の命乞いを、断末魔を限界まで絞り出させ。一番近くで、その甘美な響きを味わうのは、この私だ。


絶対に、誰にも、その席を譲るものか───



待ち望んでいた瞬間だった。焦がれるほどに、渇いていた。


憎き異邦人。弱く脆い人間に、加護などという忌々しい力を与え、我らを追い詰める存在。


その力を封じるためとはいえ、徹底的に管理し続けた数か月──その間、心中で煮えたぎる憎悪を押し殺し、冷静を装ってきた。


何度も己に言い聞かせた。

必ず、この者の断末魔で報われる時が来る、と。


その声を、悲鳴を、苦痛の喘ぎを、この耳で聞く瞬間を夢見てきた。


その音は甘美だろう。その顔は絶望に染まるだろう。その瞳は、恐怖で濁るだろう。


──そう、信じて疑わなかったのに。






「あなたに、殺してほしいです」





少女は、まっすぐに私を見つめてそう言った。無防備に、その身の全てを差し出すように、そう言ったのだ。


「…は?」


困惑が、喉から漏れた。期待していた恐怖も、絶望も、命乞いもない。


ただ静かな声で、私を選ぶという言葉だけ。


胸の奥で、何かが軋んだ。


怒りか、愉悦か、わからない。或いはこれは痛みでもあった。正体不明の、胸の奥の車むような痛み。


次回 枕投げ大会

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