25話 いらない子、処刑宣告
「ユウカは、我々の希望の光だ」
朝日が差し込む王都の庭。
騎士のロイさんが静かに言った。
白銀の鎧が陽を受けて煌めいていた。あまりに綺麗だったので、この人は王子様なんじゃないかな、と思った。
そんな人が、まっすぐに私を見つめてそんなことを言うものだから。
「わ、私。普通の人間です。ただ、なんか、すごい力を貰って…召喚されただけの」
その視線から逃げるように、ごまかすように俯いた。頬は燃えるように熱かった。
ロイさんは、こんなに私が恥ずかしがっているのに、視線を外してくれなかった。怖いくらいまっすぐ、綺麗な剣のようなまなざしで私を見つめていた。
「救世主の召喚が成功したのは、100年ぶりだ。きみが現れて、俺たちがどれだけ救われたことか」
私がこの世界に呼ばれたのは、救世主として人間に力を与え、魔物の軍勢に打ち勝つ助けをするためなのだという。
この世界では、ある時突然現れた魔物の軍勢が世界の半分くらいを占拠してしまい、それからは領土を取り戻すための闘いがずっと続いているのだそうだ。
魔物は強いので、魔法や武器を駆使しても人間では敵わない。けれど、救世主の加護があれば魔法も刃も敵に届く。
100年前の闘いでは、加護を受けた騎士の刃が、あと少しで魔王の喉元というところまで差し迫ったのだとか。
だから救世主の召喚は、この世界の人間にとっては重要なのだという話だ。
ということでものすごい期待をされている私は...やってみろと言われて、救世主の加護を王都の兵士につけてみたけれど。
魔術師の人たちには、「救世主の力は、記録ではこんなものではない」「もっと力を引き出せるはず。頑張りましょう」と言われている。
私が今まで過ごしてきた人生で、ここまで多くの人に期待されることってなかった。とにかくみんな必死だし、だからこそ私も頑張ろうと思った。思っているんだけど...
うまくいかない。
どんなに一生懸命加護を与えても、もっとできるはず、こんなものではない...魔術師の人たちからはそんなふうに言われてばっかりで。
ちょっと落ち込んでいた時に、ロイさんが私をお城の中庭に連れ出してくれた。
薔薇園があって、綺麗に整備されている。王様の居室からも見える、特別な場所なんだとか。
「...だが、ユウ力が特別なのは、ただ召喚されたからだけではない...と俺は思っている」
ロイさんはそういうと静かに剣を抜いて、地面に突き刺した。そして跪き私の手をとった。
私はびっくりして一歩下がろうとしたが、優しくつかまれている手を振りほどくことはできなかった。
「ユウカはいつも、心から懸命だ。そんなきみだからこそ、心から守りたいと思う」
ロイさんは、私の手の甲に口づけた。
おとぎ話みたいな光景だった。目の前で陽の光に輝く剣は夢のように美しかった。
あの瞬間の、ロイさんの言葉はきっと嘘ではなかったと思う。
だからきっと...仕方なかったんだ。私が救世主ではないと言われて、牢屋に閉じ込められて。それは状況が変わったからで。
──でも。でもね、ロイさん。
冷たい牢屋の中で私は、ずっと思っていた。
──せめて...会いにきてくれないかな。助けてくれなくてもいいから、声をかけてくれないかな。
そして、できれば。
──私を殺してくれないかな。
よく知らない牢屋の見張りの人に見られながら死ぬのが嫌だった。できれば私のことを知っていて、私が好きな人にそばにいてほしい。あの綺麗な剣で、私のこと殺してくれないかな。ロイさん…ロイさん…。
◆
夢をみた。美しいけど、悲しい夢。
私は目覚めてからぼんやりとベッドの上で、シオさんの石を眺めていた。曇り空から漏れる、微かな陽の光。それが鉄格子つきの窓から注いで、石を静かに煌めかせている。
ガチャリ、と鍵が開く音がして、私はポケットに石を押し込んだ。
「おはよー、ユウカ」
ノックもせずに入ってきたのは、ヴァルトだった。彼はいつもと変わらない、屈託のない笑顔を浮かべていた。
しかし、その血のような紅い瞳の奥は、どこまでも冷たく、何の感情も映していない。底知れない、暗い穴のような笑みだった。なんだか、おかしいと思った。ヴァルトはベッドサイドにゆっくりと歩み寄る。
「お迎えだよ。ユウカ」
ヴァルトの言葉に、私は疑問符を浮かべた。いつもなら、彼がただ部屋に入り浸るか、あるいは勝手に外に連れ出すだけだ。改まって「迎え」に来ることはない。
「迎え……ですか? どこへ?」
「イグさんが呼んでる」
ヴァルトはそう言って笑う。
ヴァルトの様子は普段と変わらないはずなのに、会話も少なく、ただ「迎え」に来たという事実だけを伝える…。私の胸に言いようのない、嫌な予感が広がった。でも、私に選択肢なんてなかった。
「……はい」
私はポケットにそっと指を入れた。冷たくなった石が、微かな重さとなって心細い指先に触れる。
「行こう」
ヴァルトが手を差し伸べる。私はポケットから手を出して、その手をとって立ち上がった。
◆
部屋を出て廊下に足を踏み出した瞬間、嫌な予感は確信に変わった。
廊下に、屈強なオークの兵士が数人、鉄の壁のようにものものしく並び立っていたのだ。
彼らは、私を一瞥すると、すぐに視線を前に戻した。彼らの表情は、一様に硬く、その手に持つ長槍が、異様な緊張感を帯びていた。
──やっぱり何か、あったんだ。
私は、この異様な光景に言葉を失い、無言でヴァルトの隣を歩き始めた。
ヴァルトは相変わらず笑顔のまま、一切の言葉を発しない。ただ私の横に立ち、静かに促しているだけだ。
私は、ポケットの中で、シオさんの冷たい石を強く握りしめた。 その石の冷たさだけが、かろうじて現実につなぎとめてくれているみたいだった。
この魔王城の廊下が、果てしなく長く感じられた。歩くたびに、足取りは重くなっていった…。
◆
大広間へ足を踏み入れた瞬間、異様さに息を呑んだ。
玉座の間から続く荘厳な空間には、異常なほどの静寂と、凍りつくような緊張感が満ちている。
魔族たちは、それぞれの段位ごとに、整然と隊列を組んで並んでいた。
その配置を見て、私はグレイナと距離が離れていることを理解した。
グレイナは「角位」の幹部列、壇上の比較的近い位置にいる。
私はヴァルトと共に、そのやや後方に立った。
いくつかの魔族たちの視線は、なぜだか意味深に私に向けられている気がする。
───あ。
私は、その列の中に、見知った顔を見つけた。
リザードマンのガラム。彼は、新しい斥候服を着た鳥人族のフォーゲルと共に、下級幹部たちが並ぶ後方の列に立っていた。二人の顔は、緊張で固まっているみたいだった。
そして広間の最前列、一段高い壇上に、イグナレスが姿を現した。
その立ち姿は、感情を完全に排した彫像のようだった。
イグナレスは、広間に集まった全ての魔族を一瞥した後、私に一瞬だけ視線を向けた。その視線は、今までで一番冷たく、何の感情も含まれていないように見えた。
イグナレスは壇上から広間を見下ろし、冷徹な声音で告げた。
「急な召集、ご苦労である」
広間に、冷たく朗々とした声が響き渡る。
「結論から告げる。
今朝、王都において、大規模な魔力残響が検知され、新たな異邦人の召喚が確認された」
その瞬間、広場の静寂は、いくつかの恐怖の波動によって打ち破られた。
「ッ……」
私の耳にも、複数の魔族の喉がひきつる音、息を呑む音が響いた。広間に満ちるのは、絶望と、戦争への戦慄だった。
イグナレスは一切の動揺を見せず、事務的に言葉を続けた。
「人間は新たな異邦人を擁し、近いうちに侵攻を開始するだろう。全軍は、直ちに大規模な戦争に備えよ」
その「戦争」という言葉にも、広間は重い沈黙を保ったままだ。私は、ポケットの中で冷たい石を握りしめた。
イグナレスは顔を上げ、冷徹な視線で私の目を真っ直ぐ射抜いた。
──あ。
「王命により、お前の沙汰が決まった。異邦人ユウカ」
そして、一拍の沈黙。広間の空気が凍りついた。
「明日の朝、お前を処刑とする」
その宣告は、遠い異国の法律を読み上げるように、何の感情も伴っていなかった。
私の胸の中で、必死に灯したばかりの小さな炎が、乾いた音を立てて消え去った。
──ああ。そっか。
動揺が広がっている。誰も声を出さないが、心が乱れているものが多いことがわかる。
私はふと、隣のヴァルトを横目で見た。彼はうっすら笑みを浮かべて、私を静かに見つめている。…彼だけは、いつも通り。
私は、瞳を閉じた。
頭に浮かんだのは、王都の騎士、ロイさんの姿だった。
「きみだからこそ、心から守りたいと思う」
跪いて、手の甲に口付けてくれた。心から、そう思って口にしてくれた言葉だと感じた。
でも、私が鉄格子の嵌まった牢屋に閉じ込められて、寒くて、お腹が空いて、どうしようもなく孤独だったあの時、ロイさんは来てくれなかった。
私は、助けを求めていたわけではない。助けなんて、もう期待していなかった。
でも、あの時、あの牢屋の中で、私は心の底から思っていた。
──あなたに、殺してほしい。
よくわからないところで、よく知らない見張りの人に、何の感情もなく殺されて、このつらくてしんどい毎日を終わらせるより。
私を守ると誓ってくれた人。私を好きだと、言ってくれた人。私のことを知っている人。助けてくれた人。
───その人に、最後の瞬間に、私を終わらせてほしかった。
それは、絶望の中で私に残された唯一の、自由への渇望…みたいなものだったのかもしれない。
私は瞳を開く。
結局のところ...この世界に、私の居場所はなかったんだろう。シオさんには、もう会えないんだ。どこか他人事のように、そう思った。
途中で助けてくれる人はいた。王都から連れ出してくれたシオさん、私を拾ってくれたヴァルト。そしてこの魔王城で出会った魔族たち。
でも、私がずっと居ても良い場所はなかったんだ。今回も、王都の時と同じだ。事情が変わって、私はいらない子になった。
静まり返る大広間。全ての異形の眼が、私に向けられているようだ。
その中で一番冷たく、不思議な色で私を見つめているのが、イグナレスの金色の双眼だった。
──イグナレスさんは、やっぱり私のこと、嫌いなんだろうな。でも、私は…。
イグナレス。私を管理すると言って、ここで生かすと決めた人。私に口付けて体内で暴れ回る魔力を吸い取り、熱で倒れた時は冷たい手で額を冷やしてくれた人。
私は彼の瞳を見た後、吸い寄せられるように彼の美しい白い手を見つめた。綺麗な手だなと思った。
そして自然と、ロイさんの剣を思い出した。
明日の朝。私を殺すのは誰なんだろう。もう決まっているのかな。
涙は出なかった。諦めみたいな、疲れちゃった、もういいや、みたいな。
でもひとつだけ、今回はお願いしてみようかなと思って、私は顔を上げた。
「あの…ひとつだけ、いいですか」
声は、自分でも驚くほど平坦だった。震えてたり、涙声になったりしてない。
シオさんの石が冷たくなってしまった時とは大違いだ。自分が死ぬ時だっていうのに。
イグナレスは無言で私を見つめた。彼は何も言わなかった。
でも、話すなとは言われなかったから、私はまっすぐ彼を見つめながらそのまま言葉をつづけた。
「イグナレスさんに殺してもらうことって、可能ですか?」
彼の、冷たい瞳が見開かれた。広間が、更に痛いほどの沈黙に包まれた。
「........は?」
小さく、本当に小さく。イグナレスの口から、困惑の音が漏れた。
聞こえなかったのかな。そう思ったから、私は彼の眼をみて、もう一度。
「あなたに、殺してほしいです」
しっかり伝えた。今回はちゃんとお願いしてみよう。そう思ったから。
次回 悲鳴を聞かせろ




