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24話 転がるように、落ちていく


私はベッドの中で、冷たくなった群青色の石をそっとポケットの中にいれた。一晩中泣き明かしたせいで瞼は腫れ、頭は重い。


──ありがとう…シオさん。


言葉はもう届かない。けれど彼の優しい声が、今も耳に残っている。


『自分のために力を振るってください。それが未来を切り開く…』


私は目を閉じた。

この数ヶ月の間に、いろいろなことがあった。

異世界に飛ばされて、最初は救世主だなんだと持ち上げられて、すぐに人違いだって言われて閉じ込められて、お腹がすいて寒くて…このままそこで死ぬんだって思ったらシオさんがお城から助け出してくれた。その先で、人間の敵である魔王軍の幹部…ヴァルトに拾ってくれて。イグナレスが、私をここで生かすと判断して、色々と助けてくれた。


私はこの魔王城の中で、いろんな魔族と出会った。毎日食事を運んでくれるブルゴ。訓練場で私を庇ってくれたガラム。心配して薬草を摘んできてくれたフォーゲル。ツンツンしながらも気にかけてくれるグレイナ。


──わたし、ここで頑張りたい。多分、それが今の私の意思です、シオさん。


鉄格子が嵌まった窓から、曇り空を見上げる。

彼らに迷惑をかけないようにして、そして役に立つことで、きっとこれからもここにいさせてもらおう。そう決意すると、私の心に小さな炎が灯ったようだった。


涙を流し尽くした心に灯る、小さな炎。この城で得た温もり、シオさんの優しさに報いるためにも絶対に生きよう。そう決意した。


その時、ゴンゴン!と強めのノックの音。


「ユウカ。……入っても良いか?」


グレイナの声だった。


「どうぞ」


声をかけると、ギイと扉が開く。私は瞬きをした。

そこに立っていたのは、グレイナだったが、いつもと服装が違う。彼女は深紅の装甲を外し、機能的なチャコールグレーの革製チュニックに身を包んでいる。その武骨な装いも、彼女の美しく巨大な体躯にはよく似合っていた。


「グレイナさん」


「驚かせて悪かった」


彼女は、おずおおずと部屋に入ってきた。その様子は、普段のグレイナからは想像もできないほど、どこかそわそわと落ち着かないものだった。


「その……昨日は、悪かった。いや、先一昨日も、だな…」


彼女は視線を彷徨わせ、唇を噛んだ。


「お前を巻き込み、兄様にもひどく叱られた。兄様、あの後ひどくご立腹で……」


決闘と、その後の炎の治療(?)のことを言っているのだろうか。


「……わたくしの軽率な行動のせいで、お前が倒れてしまった。本当にすまない」


彼女は素直に謝罪した。私はもうすっかり元気だったので、笑って首をふった。


「大丈夫ですよ!それより、グレイナさんの怪我は本当にもう大丈夫なんですよね?私、ちゃんと修復かけられたのか……」


私の言葉に、グレイナは複雑な顔で頷いた。


「お前はあんな状態で、わたくしに修復をかけるなんて……いや、感謝している」


グレイナは表情を緩めた。


「お前は小さくて弱いのに…いつも一生懸命で愛らしいな」


「え」


愛らしい、なんて恥ずかしいことをさらっと言うものだ。同姓であっても照れてしまう。

彼女の言葉に、私は顔を赤くした。


「えっと。空回りして、迷惑かけてばっかりな気がしますけど。特に、イグナレスさんには怒られてばっかりで…」


照れ隠しで頬をかいて言うと、グレイナはにっこり笑った。


「安心しろ!兄様もお前のことは気に入っているぞ。わかりにくいが、私にはわかる」


「……そうですか?」


「兄様は愛情深いんだ。一度懐に入れたら最後まで面倒見てくれるさ」


ペットみたいな言い方だな…と思ったが、悪気はないだろうし、そんな扱いにもだいぶ慣れてきてしまっていたので、私は苦笑いで済ませた。


その時、ガチャリ!と、ベルもノックもなく扉が開いた。


「あっ、グレイナもいる。ユウカ、おはよう」


ヴァルトがいつものようにふらりと入ってきた。


「ヴァルト!またユウカに付き纏ってるのか!」


グレイナが柔らかな空気を消して即座に噛み付いた。


「えー、いいじゃん。だって決闘はナシになったでしょ?」


ヴァルトが首を傾げたが、ふと目を細めて笑った。


「それとも、もっかい戦る?」


ヴァルトが遊び半分で大剣の柄に手をかける。私は慌てて二人の間に割って入った。そして、どちらかというとヴァルトのほうに詰め寄った。


「だめですよ!決闘はもうだめ!」


「わかったよ。ユウカの力は使わないし、外でやるから」


「そういう問題じゃありません」


グレイナが腰に手を当てた。


「わたくしは構わないぞ、ユウカ。今度こそお前の部屋への入室禁止をとりつけてやる」


「…………」


私は、ヴァルトが開けっぱなしにした扉からこちらを覗いている小鬼たちをみた。助けてくれないかな、と思って。


小鬼たちは慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。



執務室。

静かに公務を片付ける。机上にはひび割れた水晶があり、そこにはユウカと、今にも武器を取り出しそうなグレイナ、へらへらとそれを煽るヴァルト。…こめかみが痛む。


「ハァ…」


部下の再教育が必要か。ペンを握りしめた時、室内にノックの音が響いた。


「入れ」


情報部所属の伝令魔が、扉を開けた。


「し。失礼、致します…」


彼の身体は傍目に見てわかるほど制御不能に震えている。肌は青白く、呼吸はひどく乱れていた。


伝令魔青ざめたまま口を開きかけたが、恐怖に声が詰まり、言葉にならない「ひっ、あ、あ……」という音を漏らした。


その異常な様子に、私は眉間に皺を寄せた。


「何事ですか。そのように慌てふためいて」


伝令魔は大きく息を吸い込み、二度、三度と必死に自らを律しようと試みる。


「し、しし、至急ご報告が!……い、異邦人の……」


異邦人。ぴくりと、無意識に頬の筋肉が動いた。すぐに冷静さをはりつけ、表情を取り繕う。


「順を追って説明せよ。 冷静になれ」


伝令魔は震える報告書を握りしめ、ようやく言葉を絞り出した。


「は、はっ。……まず、王都の召喚陣に大規模な魔力残響の異常な高まりがありました。それと同時に、ユウカの波長が一瞬、完全に消滅し…回復いたしました」


「………」


私はペンを握ったまま硬直する。冷たい驚きが背筋を走った。


「さ、再探査の結果、ユウカの波長と並行して、もう一つの波長が、明確に検知されています!」


彼は、完全にパニックに支配されていた。


「異邦人がっ…!イグナレス様、これは一体、どういうことなのでしょうかっ…ユウカがいる限り、新たな召喚はないという話だったのに…!」


悲鳴にも似た声。記憶に新しい、100年前の異邦人との戦争。この伝令魔の脳裏にも浮かんでいることだろう。忌々しい、加護を受けた人間どもの軍勢の姿が。


「異邦人が…召喚されたのです!王都に!ユウカ以外の、もう1人の異邦人が!存在しているのです!」


全ての論理的思考が焼け落ちるような感覚があった。私の胸の中には今、炎のように、恐怖と憎悪が燃え上がっている。


私はふらりと立ち上がった。ペンが指から滑り落ちて床に落ち、固い音を立てる。


「…王へ、報告する」


地を這うような声が落ちた。

次回 いらない子、処刑宣告

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