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23話 召喚士の祈り


「おはよ〜ユウカ」


何事もなかったかのように。

ベルも鳴らさなければノックもせずに部屋に入ってきたヴァルト。そこはもう、諦めているけれど。


あなた、私のこと面白半分に脅して能力を使わせて、私が倒れて発熱で苦しんでいた時もへらへら笑って、挙句に氷漬けにしようとしてたよね。何のつもりなの?


と。聞きたいというか、問い詰めたいことがたくさんあった。ありすぎて、どこから言おうかという感じだ。


私が難しい顔をして黙っていると、ヴァルトは首を傾げ、「ああ」と言った。


「決闘はね、無効になっちゃった。だから俺、段位変わってないし、ユウカに近付くなっていう向こうのご褒美?もなしになったよ」


いや……そんなの……どうでもいいんだけど!私は拳を握りしめた。


「そんなことより!」


「うん。なに?」


「ヴァルトさん、あなた、ちょっとひどくないですか」


ヴァルトが不思議そうに首を傾げた。わかってたけど、この反応。なんだか雲をつかもうとして暴れている気分だ。


「なにが?」


「決闘の時!グレイナさんを、本気で……彼女が死んじゃったら、どうするんですか!」


「えー、グレイナ頑丈だからそんなすぐに死なないよ。ユウカは俺がグレイナを攻撃するのが嫌だったの?」


「嫌ですし、それに、私の能力だって!あんな風にいっぱい使わせて!おかげで私、倒れて大変でした!」


「そうそう、あの時ね!気が付いたらユウカぶっ倒れてて、イグさんが怒り狂っててびっくりしたよ」


悪びれなく同調してくる。私はなんだかどっと疲れてしまった。


「……戦うの、本当に好きなんですね」


諦めたように、ぐったりとつぶやく。


ヴァルトはにっこり笑った。


「うん、最初に言ったろ。でも、こーやって話すのも好きだよ」


ヴァルトはベッドに座って足をぶらつかせた。


「やっぱりこの姿の方が楽しいな。俺、小さくなって良かった」


私はふと、前から抱いている違和感を思い出した。


「ヴァルトさんって……今の姿、本当の姿じゃ、ないんですか?」


「そうだよ。でも、見ない方がいいと思うな」


ヴァルトは薄く笑って言った。底知れない笑み。私はかなり興味があったけど、口を閉じた。珍しく少しだけ突き放された気がして、言いたくないのかも、と思ったのだ。


「そーいえば、ユウカが加護を与えたトカゲ君。イグさんが直々にスカウトしたらしいよ」


「え!ガラムさんを!?」


リザードマンのガラム。コロシアムで無意識に加護を与えてしまった魔族だ。家族のために一生懸命、コロシアムで結果を残そうとしていた…。


「うん。ユウカの力で強くなってたけど、素質?があって使えそうだって。イグさんがそう言うなら、そのうち強くなって幹部入りするかもね」


軽く話してくれた内容だったが、私からするとフォーゲルの斥候復活に続く素敵なニュースだ。私は目を輝かせた。


「そうなったら……!」


「そうなったら、ユウカはまたトカゲ君に加護を与えてね。それでまた、俺と戦お!」


「…………」


「あれ?どうしたの黙って。まさか、また死にそうになってる?」


ヴァルトは不思議そうに私の顔を覗き込んだ。私は無言で、背中の後ろに置いていたクッションをヴァルトに投げつけた。


「あはは、何それ」


ヴァルトは子どもみたいに無邪気に笑った。


変なひと(魔族)だ。訳が分からないし、恐怖を感じることもある。


でも、彼がいなかったら私は今ここにいなかった。


私は、彼のことをもっと知りたい。怖い所も、そうでないところも、もっと。


ここにいればきっと、それは自然と叶うことだろう。

その時の私は漠然と、しかし疑いようもなく、そう考えていた。



その日の夜。


私はいつも通り、ベッドにもぐりこんでシオさんの石を握りしめ、頭の中で声をかける。


──シオさん。こんばんは。お話、できますか……?


『…………はい、ユウカさん』


その日は、少し反応が遅れたみたいに、数秒経ってからシオさんの返事が来た。


『良かったです。声を聞くに、少し元気になったみたいですね』


──はい。シオさん、一昨日はありがとうございました。ええと、私、変なこと言ってましたよね」


『変な事?言っていませんよ』


私はつい照れ隠しで言ってしまったが、シオさんは不思議そうに言葉を返した。


『嬉しかったです。ありがとう』


私は頬が熱くなるのを感じていた。もうとっくに熱は下がって健康になったはずなのに。それとも、石の熱がうつったかな。


──いえ、はい。それはその、良かった……です。あっそうだ、シオさんは最近どうですか?なんか私ばっかり近況話してて、シオさんは今大丈夫かなとか……


『僕の方は、心配いりませんよ。あなたが心配するようなことは、何も』


シオさんの静かな声。ふと、違和感を覚える。声の調子が、なんだかいつもと……違うような。


──シオさん?何か、あったんですか?


『…………』


シオさんが、数秒沈黙した後。


『ユウカさん。この石に込めた魔力が、もうすぐ尽きます。そうなったら、こうしてお話することができなくなります』


「え」


思わず、念話を忘れて声を出してしまった。


『……伝えるのが遅れて、ごめんなさい。多分、これが最後の会話になると思うんです』


「そん、な……」


私は真っ青になってベッドから起き上がり、縋るように石を持ち上げた。暖かな、群青色の石。シオさんがくれた、おまじないの石。


「ま、魔力を込めればいいんですよね?魔力なら結構あるって言われたんです!やり方を教えてくれれば、私がっ、」


『……僕の魔力でなければいけないんです。だから、どちらにせよ……』


私は言葉を失った。


『ユウカさん、あなたは強くなりました。いや……もともと、強かったのかもしれません。僕が思うより、ずっと』


シオさんは静かに続けた。


『だから、大丈夫。あなたの力は、自分のために振るってください。それがきっと、あなたの未来を切り開くはずだから』


私は、震える唇を噛んだ。嗚咽がでそうになったが堪えて、涙をぬぐった。


「……もう、そんな。お別れみたいなこと言うのやめてくださいよ」


声は、泣くのを我慢しているのが丸分かりなくらい震えていた。


「私、今度シオさんに、直接お礼を言いたいです……だから」


私は石を握りしめた。


「また、会いましょう?シオさん、それまでお元気で」


『…………ユウカさん』


石は、少しずつ、温度が消えていっているようだった。


『僕は、どこにいてもあなたの幸福を祈っています。あなたがどこで、何をしていようとも』


それが、最期の言葉だった。


「シオさん?……シオさん」


私は小さく、石に声をかけた。


言葉が返ってくることはもうなかったし、石の温度は完全に失せているようだった。


心にぽっかりと穴が開いたみたいだ。


シオさんと、話せなくなってしまった。ベッドの中で、彼の声を聞くのが……心の、一番の安定剤だったのに。


私はもう我慢できずに、涙をこぼして枕に突っ伏した。

石を握りしめて、嗚咽をあげる。


どうしてだろう。ただ、話せなくなっただけ。シオさんは向こうで生きている。私も今生きている。今生の別れというわけではない……だというのに、なぜか涙は止まらなかった。


大丈夫。悲しくてたまらないのは今だけだ。


きっと明日には、またシオさんに会うためにまた頑張ろうって。きっとまた立ち上がれるし、笑顔も作れる。


だから今だけは、誰にもみられていない、今だけは、いいじゃない。


自分でも訳が分からないくらい、涙があふれて止まらなかった。それほど彼との会話は私の心の支えだったのだろう。


その夜、大きな暗い客室には、いつまでも啜り泣く音が響いていた。



間に沈んだ部屋。重厚な机の上で、水晶が淡く光っていた。


静寂の中、少女の啜り泣く声が細く響いている。水晶には、その小さな身に不釣り合いなベッドの真ん中で身を震わせる少女の姿が映っている。それを静かに眺める。


私は、客室の柱に埋め込んである魔眼によって、彼女の監視を開始していた。


というのも、彼女の客室で見つけた奇妙な石。あれに、魔術師か何かの魔力がこめられていたからだ。


それで何か……こちらの情報を向こうへ流しているのか。もしくは、助けを求めているのか。

我々のどんな情報を向こうへ流そうがわが軍の優位はゆるがない。助けを求めたところで、堅牢な我らの城塞へ忍び込める人間などいはしない。


なので、この小娘が何をしようが無駄ではあるのだが……絶対的な管理者として、確認を怠るべきではない。


それにしても──妙だ。あの石から漏れ聞こえる音。石から発される声に、違和感があった。奇妙なほどに、揺るぎがない。人間らしくない、というのが第一印象。すぐに揺らいでばかりのユウカの声と比べると、違いがよくわかる。


そこまで考えたところで、少女の鳴咽が大きくなった。自然に手が強張る。思考が中断される。忌々しい。


人間は脆い。精神が崩れると体調も転がるように不調となり、そのまま死ぬこともあるのだとか。


敵対勢力の異邦人を召喚させないために、憎い異邦人を宝のように管理しなくてはならぬとは。そこへ普段使わない神経を総動員させているためか、最近は頭痛が酷い。魔力回路も乱れ気味。全くもって忌々しい。


水晶を指でなぞると、客室内の魔眼が蠢き、少女の姿を大きくうつす。

水晶越しに映る少女の姿は、ひどく、無様だった。 ベッドに突っ伏し、群青色の石を抱えたまま、喉の奥から絞り出すような嗚咽。


私は指で水晶の縁をなぞりながら、その光景を一切瞬きせずに見つめていた。頭痛は酷くなる一方だったが、それ以上に、この悲痛な音と光景が、昏い衝動を突き動かしていた。


──弱すぎる。……人間とは、かくも脆弱なものか。


脳裏に、数時間前の光景が蘇った。


病床で、椀に沈む粥を前に、震える指先で匙を持てず、途方に暮れていた少女の姿。


『あの……食べられます、自分で……』


見栄を張り、力のない腕を持ち上げるも、匙を受け取ることすらできず、羞恥と無力さで瞳を潤ませていた、その滑稽な様。


私はあの時、心底苛立った。仕事を増やすなと、心から。

しかし、結局は匙を取り、一口ずつ、彼女の口元へ運んでやった。まるで、飛べない雛鳥に給餌するように。


──同じだ。


肉体の虚弱が、私に匙を持たせた。精神の虚弱が、今、私にこの水晶の監視を続けさせている。彼女は、自身の生存に必要な全てを、この私に依存している。


「……滑稽で、哀れで、そして、どうしようもなく」


低く呟き、水晶に映るユウカの姿を凝視した。


──そして、何よりも甘美だ。


彼女の悲しみは、純粋なエネルギーとなって私の嗜虐心を刺激する。 憎むべき異邦人の脆い心が砕け散り、その弱さの全てをこの私に晒している。


憎悪と執着が、胸の中に重く溜まっていくばかり。


──私が、最後まで見届けてやる。お前の心臓が止まるその瞬間まで、私がお前の全てを管理し、愛玩し、そして最後に…!


水晶に滑らせる指が強張り、鏡面にヒビを作った。部屋にはいつまでも、少女の啜り泣きが響いた。



次回 転がるように、落ちていく

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