21話 冷えピタみたい
熱い…身体の中から焼かれているみたいだ。
息をするたびに肺が灼け、視界が赤く明滅する。
ヴァルトの暴走(?)に合わせ、グレイナに力を与えて…限界を超えて魔力を絞り出した反動だというのは、ぼんやりとした頭でも理解できた。
イグナレスの言ってた通りだ。実験の時に心配されて、大袈裟だなんて思ってたけど…やりすぎるとこうなるんだ。
けれど、理解できたところで今はどうしようもない。私は自分の寝室の巨大なベッドの上で、ただ荒い息を吐き出していた。
「大丈夫?ユウカ〜」
頭上から、軽い声が降ってくる。ヴァルトだ。彼は私の顔を覗き込み、興味深そうに──いや、壊れかけの玩具を観察するように、瞬きをした。
私はひゅっと息を呑んだ。彼とはずっと一緒にいて、底知れない笑みも物騒な考え方も慣れたつもりだったけど…。
グレイナとの決闘の時の彼は、今まで見た中で一番恐ろしい姿だった。
「人間って本当に弱いなぁ。あれくらいで壊れちゃうなんて」
さらっと言われるのもなんだかショックだ。今、身体が弱っているからだろうか。いつもだったら何も思わないのに、「なんでそんな言い方するの?」「あなた、本当に私のことなんてどうでもいいんだね」と思ってしまう。
「……う、ぅ……」
何か言おうとしても、うまく声が出せない。
「ん?どした?なんか言おうとしてる?」
ヴァルトが私に顔を近づけた。紅い双眼を涙目でみつめる。
「ユウカ!しっかりしろ! 死ぬな!」
ドタドタと大きな足音がして、視界にグレイナの顔が割り込んできた。ヴァルトを押し除けたんだろう。彼女は心配そうに眉を寄せているが、その声が大きすぎて頭にガンガン響く。
「ヴァルト!お前が無理をさせるからだぞ!」
「あ、やっぱり俺のせい?あはは〜」
「笑ってる場合ではない!どう責任をとるつもりだ!」
「イグさんにもめちゃくちゃ怒られたしなぁ〜どうしよっか。なんかユウカずっと熱いし…」
ヴァルトは「困ったなぁ」と首を傾げると、ポンと手を打った。
「熱いなら冷やせばいいんだよね」
彼の手のひらに、冷気が集まる。部屋の空気が一気に凍りつき、私の髪の毛がパリパリと音を立てて霜を纏った。
「どう?ユウカ。熱は冷めた?」
発熱してるから氷漬けにすればいいと思っているのだろうか。日頃私が、人間はとても弱いんですよ事あるごとに教えているのに、全然考慮してくれない。
しかし今回幸いだったのは、ここにいるのはヴァルトだけではないということだ。
「馬鹿者!そのまま凍死させる気か!」
グレイナがヴァルトの手を払いのけた。救われた…と思う間もなく、今度はグレイナの手が燃え上がった。
「熱こそ熱で制する!魔界の荒療治だが、炎の魔術で体内の悪い気を焼き尽くせば……!」
「……ユウカ黒焦げになっちゃうよ?それはいいの?」
「加減はする!おいユウカ、歯を食いしばれ!」
極寒の冷気と、灼熱の炎。二つの相反する魔力が私の頭上で衝突し、部屋の中はカオスと化していた。寒いのか熱いのか分からない。ただ、強烈な魔力の圧力だけで、意識が押し潰されそうになる。
──私は今、この二人に殺されそうになってるの?
私は意識が遠のく中で、走馬灯のようにシオさんの顔を思い浮かべ───
「───何をしているのですか、お前たちは」
絶対零度の声が、部屋の空気を一瞬で支配した。
ヴァルトとグレイナがぴた、と動きを止める。
扉の前に、イグナレスが立っていた。その美しい顔には何の表情もなく、ただ瞳だけが、底冷えする殺気を放っていた。
「にっ兄様……これは、その、治療を……」
「ヴァルトが凍らせて、お前が燃やすのが治療ですか。とにかく2人ともユウカから離れろ。そして即刻、でていきなさい」
「えー」
「は、はい!」
グレイナが慌ててヴァルトをひっつかんで部屋から飛び出して行った。
私は荒い呼吸を繰り返しながら、涙目でイグナレスを見上げた。
コツコツと革靴の音が近づいてくる。彼はベッドサイドに立ち、私の顔を見下ろした。
「……愚かな」
イグナレスの声だ。呆れているような、侮蔑しているような、冷たい響き。
「あれほど言ったでしょう。異邦人の力は未知数だと。あなたのような脆弱な器が、調子に乗って魔力を放出すればこうなる」
説教だ。こんなに苦しいのに、いつもみたいにネチネチ説教をするのか、この魔族は。 ちょっとくらい誰か、優しくしてくれたっていいじゃない…と、言い返したいけれど、喉が張り付いて声が出ない。私は咳き込んだ。そのまま泣いた。
「げほっごほっ、うっ、うぐぅっ…」
そのままぐずぐず涙する私を、イグナレスは冷たい目で見下ろしている。やがて、
「……はぁ」
深いため息。ベッドがわずかに沈み込み、彼が腰を下ろしたのが分かった。
「大人しくしていなさい」
視界がイグナレスの黒い影に覆われる。そして私の額に、大きな手が触れた。
「……!」
冷たい。氷のように冷たくて、すべらかな感触。けれどヴァルトの攻撃的な冷気とは違う。火照った肌に吸いつくような、心地よい冷たさ。熱で煮えたぎっていた脳みそが、じゅわっと音を立てて冷やされていくようだ。
「……ん……」
私は無意識に、安堵の吐息を漏らした。気持ちいい。子供の頃、熱を出した時にお母さんが貼ってくれた、青いシート…冷えピタみたいだ…。
イグナレスは、何やら低い声で詠唱を始めたようだった。彼の静かな、低い声も耳に心地よい。
そして彼の手のひらから、静かな魔力が流れ込んでくる。体の中を暴れ回っていた熱が、彼の手のひらに吸い上げられていく感覚。
もっと。もっと冷やしてほしい。
私は、額に置かれた彼の手首を、両手で掴んだ。
「……ユウカ?」
イグナレスの体が強張る気配がした。でも私は構わなかった。というか気にする余裕はなかった。朦朧としながら彼の手を自分の頬に押し当て、冷たい手首に顔をすり寄せた。
「……きもち、いい……」
「……!」
彼の腕は、硬く、冷たく、そして大きかった。人間よりも低い体温。本来なら恐怖を感じるはずの人外の冷たさが、今の私には救いのようだった。
私は彼の手にしがみつき、その冷気に縋り付いた。熱に浮かされた頭では、彼が私を嫌っていることなんて気にならなかった。ただ、この手が離れてしまうのが怖かった。
「いかないで……イグナレス、さん……」
うわ言のように呟いて、私は彼の掌に頬を埋めた。
◆
少女の熱い吐息が手首にかかる。高熱に潤んだ瞳が、どこを見るでもなく虚空を彷徨い、そして私を見上げ縋ってくる。
「いかないで…」
その無防備な姿を、私は見下ろしていた。
私の手首を掴む、細い指。少し力を込めれば、枯れ枝のように容易く折れてしまうだろう。このか細い首を締め上げれば、ものの数秒で命を絶つことができる。
かつて、私の部下たちを鏖殺した、忌まわしき異邦人。我ら魔族にとっての天敵。憎むべき、殺すべき対象。
──それが、これか。
私の手首を掴むその力は、あまりにも弱々しい。私の与える冷気を貪り、猫のように頬をすり寄せてくる。私の意思一つで、生かすことも殺すこともできる命。昏い喜びが胸を占める。
「……滑稽だ」
私は低く呟いた。
お前が縋り付いているこの手は、お前を殺したくてたまらない男の手だというのに。そのことを知らずお前は私に命を預け、安息を求めている。
胸の奥で、ドロリと黒いものが渦巻いた。 それはかつての燃えるような激しい怒りとは違う。もっと粘着質で冷たく、昏い愉悦。
この娘は、私がいなければ熱に焼かれ死ぬ。私がいなければ、食事も摂れず、外に出ることもできず、生きていけない。
その事実が、どうしようもなく私の嗜虐心を煽り──そして同時に、奇妙な充足感で満たしていった。
私は、彼女の手を振り払わなかった。 それどころか反対の手で、汗に濡れた彼女の前髪をそっと払いのけた。
「お前は無力だ。私がいなければ何もできない…」
熱に浮かされる彼女には、私の言葉など届いていないだろう。 だからこそ、私は呪詛のように囁いた。
「その命が尽きるまで……私の憎悪の中で、飼われ続けるがいい」
ユウカは、私の冷たい手に頬を寄せたまま、安らかな寝息を立て始めた。 その無垢な寝顔を見下ろしながら、私はいつまでも、その熱すぎる体温を掌で感じ続けていた。




