20話 小さな巨人
「..か。帰っていいかな?」
オークの震える声が横から落ちる。私も同じ気持ちだったけど、今はそんなことは言っていられない。
ヴァルトの異様な気配の変化に、グレイナは獣のように毛を逆立てて警戒しているようだった。彼女は無言で瞳をギラつかせ、姿勢を低くし斧を持ち上げている。
「ユウカ…もっと強くできるでしょ」
ずるり。
大剣を引きずり、血を垂らしながら。相変わらず薄い笑みを張り付けて。
ヴァルトは不気味なくらい落ち着いた声で言った。
「こんなもんじゃないだろ」
ヴァルトの気配が一気に膨れ上がった。見た目は変わっていないのに、中身が変わったような。
それを証明するみたいに、彼の背後の影が、5メートルくらい…巨人のようになって、城壁を這っている。
「…ッ!グレイナさん!」
私は咄嗟に再び指を組み、先ほどよりも強い祈りを込めてグレイナの名前を呼んだ。
光に包まれたグレイナが冷や汗をかいて、斧を構える。
ヴァルトが動いた。
大剣を玩具のようにぐるんと回して操りながら、先ほどとは比較にならない、とんでもない速度でグレイナに突っ込んでくる。
グレイナは私の強化を受け、視界がクリアになったはずだ。その攻撃をなんとか見切って、大剣を受け止めた。
「ぐう!?」
しかし先ほどのお返しとばかりに鋭い蹴りが飛んできて、グレイナが吹っ飛んだ。
ヴァルトの...あの少年の、一体どこにあんな力があるのだろう。
彼が地面に足をつくと轟音がたちクレーターのような跡ができた。
瓦礫に塗れたグレイナはすぐさま立ち上がり、ゆらりと寄ってくるヴァルトに炎を纏った斧を振り上げてとびかかった。
ヴァルトはそれを軽く大剣で受け止め、弄ぶように揺らした。グレイナは青筋をたてて、両手で必死に斧を押し込もうとしているのに、びくともしない!
「足りない。ユウカ、もっと」
「…!」
グレイナと戦いながら、ヴァルトは私にずっと「力を与えろ」と命じている。
私は追い込まれたみたいに恐ろしくなって...このままじゃ、グレイナが殺されてしまうんじゃないかとも思って...必死に指を組んだ。
──強く!グレイナさんを、もっと強く!
ヴァルトの大剣を、グレイナが弾き飛ばした。爆発音みたいな音がする。
「はは」
ヴァルトが嗤った。
「はははは!そう、その調子!もっとだ、ユウカ!」
私は死に物狂いで再度、グレイナに祈りを込めようとした。
しかし、突然ぐわんと眩暈がした。
「おい異邦人、お前なんか顔色悪いぞ!?」
横でオークが叫んだが、ヴァルトが倒れているグレイナに向かっているのが見えた。だめ。早く強化を。いや、治癒が先だろうか。
必死に震える指を組む。なんだか指先が冷たい気がする。
轟音。まずい。戦いは続いている。
グレイナは大丈夫だろうか?土煙で見えない。
ヴァルトは急にどうしてしまった?とにかく早く、彼女にもっと強化を。
頭が沸騰しそうで、視界が赤くなる。呼吸、うまくできているだろうか。息苦しい。
その時、瞼が冷たいもので覆われた。
「落ち着いて。目を閉じなさい」
静かな、よく知る声が、耳元に落ちる。氷のように冷たい声だけど、沸騰しそうな頭と身体には、鎮静剤のように心地よく響いた。
「あ…」
暗い視界の中、言われた通りに目を閉じる。
気が付いていなかったが、全身汗でびっしょりだった。
力が抜けて、ずるりと後ろへ倒れそうになると、背後の誰かに抱き留められる。
「いっ...!イグ…」
オークの声がする。何を言っているかはよく聞こえない。意識が朦朧とする。でも、だめだ。まだ倒れてはいけない、彼女が心配だ…。
「ぐれ、いな、さ........」
「心配はいらない。何も考えるな。目は閉じたままで」
本当に?そう思ったけれど、その耳元に落ちる温度のない言葉に私は..なぜかとんでもなく、安心した。
だから冷たい腕の中で、その声のいうとおりに。
何も考えず、目を閉じたまま、やがて意識を手放した。




