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2話 異形の手

私をこの世界に召喚した人たちは、私を“救世主”だと言った。


異世界からの救世主。魔王軍と戦う人間側の、唯一の希望。騎士や魔術師、戦闘をする兵士たちに、神の加護を与えられる、重要な存在───


なぜ、守護する仲間がいないのか?なぜ、今1人で敵の前に転がっているのか?


「そんなの私が知りたい!」


私の慟哭が、黒い森に響き渡った。


驚いた鳥たちが、バサバサと一斉に飛び立っていく。

それを見て、ヴァルトは…血の色の瞳を丸くして私を見ていた。驚いた顔は、少しだけあどけなさが見えた。



どれくらいの時間が経っただろうか。

数十分かもしれないし、ほんの数分だったかもしれない。

あれほど激しかった雨は、いつの間にか霧雨のように弱まっていた。


ヴァルトは背中の大剣を(いつ鞘に戻したのか)しまい、濡れた大樹に寄りかかって腕を組んでいた。

私は泥だらけのまま、そのかたわらに座り込んでいた。


ヴァルトから、さっきまでの殺気は完全に消えている。

代わりに、まるで面白い芝居でも観た後のような、興味深そうな顔で私を見ていた。


「うーん、つまりきみは」


彼は、答え合わせでもするように、楽しげな口調で切り出した。


「いきなり召喚されたけど、本命は別の人だったと。で、用済みだからってポイされた?」


そう。そうなのである。


私は、この世界に召喚された。わけもわからず、強制的に。記憶は曖昧だけど、たぶん、登校中だったと思う。通学カバンがここへいっしょにきたから。

そして、気がついたら王宮の召喚陣の上だった。たくさんのローブを着た人に囲まれて、突然誰かが「やったぞ!」と叫んで、みんな喜んで手を叩き合って。私はなんかやばい宗教団体に捕まっちゃったのかと思った。


そこで唯一、混乱する私を引っ張り出して落ち着かせてくれたのがシオさんだった。彼は、私を召喚した人たちの中でいちばんの下っ端だったらしいけど、私をたくさん気遣ってくれて優しかった。


みんなも、すぐに私に優しくしてくれた。守ってくれたし、いろんなことを教えてくれた。王様が、「人違いだ」「必要なのはこの娘の姉だ」って言うまでは。


「……ポイ……だけなら、まだ、良かったですけど」


もうどうにでもなれ、と思った。


目の前の少年が、ついさっきまで私を殺そうとしていた魔族だということも忘れ、私は懐に突っ込んでいた最後の希望を掴む。


シオさんが逃げる直前に握らせてくれた、固くなったパンだ。

泥で少し汚れていたが、構わずにかじりつく。衰弱しきった体に、小麦の味がじわりと染みた。一緒に涙が溢れそうになったが必死に堪えた。


「シオさん…私を召喚した人、が。命を狙われているから逃げろって……」


「あー、ナルホドね」


ヴァルトが、心の底から納得した、というようにポンと手を打った。 その仕草は、彼が放っていたあの圧倒的な魔力や、大剣を振り上げていた絶対的な魔族というイメージとはあまりにかけ離れている。本当に少年みたいだった。


「異邦人を、新しく召喚したいんだ。そのために今いるきみは邪魔だから殺そうか!…って話になったわけだ?」


でも、言っていることは衝撃的で、


「えっ!?」


パンを齧る手が止まる。


「新しく喚ぶためには、今いる異邦人がいちゃダメなんだよな。よくわかんないけど、世界に異邦人は1人って決まってるらしい。…あれ、きみ、そんなことも聞いてなかったの?」


ヴァルトは、私がそんな基本ルールすら知らないことに、心底驚いたような顔をした。バカにする様子も、呆れる様子もなく。ただ驚いている。


「……ひどい……」


自分たちで勝手に呼んでおいて、用済みだから殺す?しかも、もっと都合のいい「本物(姉)」を呼ぶために?


「たしかにひどい話だな。普通に俺たちとの戦いで死ぬまで待てばいいのにね?」


え、と喉から声が漏れた。私は冷や汗をかいて、座り込んだまま、隣の少年を見上げる。彼は大真面目な顔をしていた。


「そしたら俺も今頃、きみの力を貰った騎士サマと戦えて楽しめてたのに」


優しいんだか非情なんだかわからない相槌に、私は言葉を失う。この人(魔族)にとって、人間の都合なんてどうでもよくて、ただ「強いヤツと戦えるか」だけが重要なのかな。それもそうか…と思った。


「さて。どうしようかなあ」


不意に、ヴァルトの声のトーンがすっと落ちた。びくりと私の肩が震える。パンを握る手に、力が入らなくなった。


「俺、きみと戦うの。すっごい楽しみにしてたのに」


彼は心底がっかりした、と落胆を隠そうともせず、ガタリ、と背中の大剣に手をかける。


ああ、だめだ。事情を話して、同情は得られても、結局「用済み」なのは変わらない。


どう転んでも、この人が私を殺そうとしたら、逃げられるわけがない。 私は諦めたように俯いた。


「ま。しょうがないか」


ヴァルトはあっさりと大剣から手を離した。


「どうすればいいのかわかんないから。イグさんのところに行こう」


「…え?」


顔を上げると、彼が軽鎧に覆われた手を差し出していた。 その手袋は、ところどころ黒く乾いた血で汚れている。


「あ、イグさんってのはこっちの参謀みたいなやつね。超偉い」


「いや…そうじゃなくて。私のこと、殺さないんですか?楽しみにしてたって…」


「え?だからそれはイグさんが決めるんじゃない?」


ヴァルトは心底不思議そうに首を傾げた。


「それに、俺が楽しみにしてたのは、きみが力を与えた強いヤツと戦うことだよ。こんな弱っちいのをつぶしたって、ねえ?」


彼は肩を竦める。その笑顔には、やはり底知れない狂気があった。怖い、と思う。


「あ、でもきみに拒否権はないよ。俺はここできみを半殺しにして連れて行っても、五体満足で連れて行っても、どっちでもいい」


ヴァルトは、笑顔のまま差し出した手をゆらゆらと揺らした。


「一応聞くね。どうする?」


私は青ざめて、その汚れた手を取るしかなかった。


次の瞬間、ぐいっ、と信じられない力で引き上げられた。


「ひゃわっ!?」


何の予備動作もなかった。体が宙に浮き、彼の軽鎧の胸にぶつかりそうになる。 あまりの膂力に、息が詰まった。


「良かった。俺、力加減苦手なんだよな」


顔の距離が近くなったが、全く動じずに。ヴァルトはにこ、と笑った。


「行こう、ユウカ」


「……っ!」


私は驚いて彼を見上げた。


「私、名乗りましたっけ…?」


「イグさんから聞いたよ。殺す相手の名前と顔くらい、覚えとかないとだろ?」


ヴァルトは再び、底の見えない笑みを浮かべた。


──まって。それって、人間側の情報が、魔王軍に筒抜け……?


大丈夫なのかな。って、無意識に思ってしまった。いや。今更、私を裏切った人間側の心配をする義理はないはずだ。


けれど、私を逃してくれたシオさんのことが頭をよぎった。ずっと守ってくれていた騎士のロイさんのことも…。


私の思考はぐるぐると渦巻いていたが、当然のことながらそんなのヴァルトはどうだっていいのだろう。


その異形の少年は私の手を引き、雨上がりの夜の森を歩き出した。


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