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18話 飛べない鳥は

2週間。

私は部屋から出してもらえていない。


グレイナに強化バフをかけられたことで、上級魔族、幹部レベルにも異邦人の加護はつけられるということがわかった。

イグナレスはきっと、何か有用性を見出してくれるんじゃないか、これから色々協力させてもらえるのではないかと思ったのだが。


「顔色が悪い。脈が早い。発汗もある。やはり負担があるのでしょう。少なくとも1ヶ月は絶対安静です」


グレイナの強化後に私を存分に検分したイグナレスはそう言って、私を部屋に押し込めた。


1ヶ月…いくらなんでも長すぎる。彼は私を繊細に扱いすぎる。加護を与えてちょっとドキドキするくらい、王都側で加護を与えている時だって普通にあったのに。


その日の夜、いつものようにシーツの中でおまじないの石を抱きしめてシオさんに念話で定期報告(雑談)をしていた。


──シオさんと話せるのは夜だけですもんね。日中、退屈で死んでしまいそうなんです。


『そうですね。やはり健全に生きるためには、外の刺激も必要でしょう。ユウカさんの今の状況はお辛いですよね』


ちょっと愚痴っぽく軽く話したつもりだったが、シオさんは真剣に答えてくれて申し訳なくなる。


──今の状況、運が良く恵まれているのはわかってるんです。でも、何もしていないとなんだか不安になると言うか…そういう気持ちもあって。


『…ユウカさんは、強くなりましたね』


シオさんが、噛み締めるように言った。


──だとしたら、それはシオさんのおかげです。あっそうだ!


『ん?』


──シオさんの言ってたように、健全に生きるためには外の刺激が必要ってやつ!ちょっと大袈裟に話したら、外に連れ出してもらえるかもしれません!


『んん…?』



「ヴァルトさん。人間は外の刺激が必要で。ずっと同じところに閉じ込められっぱなしだと、ストレス溜まって死んでしまうんです」


「へぇ」


「だからたまに、お外に連れ出してもらわないといけなくて。ガラムさんのコロシアムに連れて行ってくれた時みたいに」


「ねぇユウカ」


「はい、何でしょうか」


部屋にやってきてベッドに座り足をぶらぶらさせているヴァルトの隣に詰め寄り、私は真剣に語りかけているところである。


「1人にされないと死ぬし、部屋に放置されても死ぬの?人間、よわすぎじゃない?」


ヴァルトは本気で困惑しているようだった。彼の中で、どんどん人間が弱く儚い存在になっていく。私は大真面目な顔をして頷いた。


「心の病気というのがあるんです。それを治すのはとっても大変なんですよ」


「そうなんだ…イグさんには絶対出すなって言われてるけど、死んじゃうなら仕方ないかぁ」


私は心の中でヴァルトに謝りながらガッツポーズをする。


イグナレスはここ数日忙しいという話を、先日グレイナから聞いていた(彼女もたびたび遊びにきてくれるようになっていた)から、やるなら今しかないと思ったのだ。



「何度言ったらわかるんだ、この鳥頭!」


ヴァルトに連れられて城の中庭を歩いていた私は、突然響いた大きな声に驚いて足を止めた。


そこは、物資の搬入口だった。木箱や樽が山積みにされ、多くの下級魔族たちがせわしなく働いている。 その中心で大きな怒号が響いていた。


「この役立たずが!」


オークの監督官(やたらオークが多い軍だ…)が怒鳴り散らしている足元に、一人の魔族が這いつくばっていた。


背中に大きな翼を持つ、鳥人の魔族だ。

手足は鋭い鍵爪になっていて、本来なら空を自在に駆ける種族なのだろう。けれど彼は今、泥にまみれ、重そうな木箱をひっくり返して呆然としていた。


「す、すみません……すぐに片付けます……」


「これで何度目だ、フォーゲル!飛べないガルーダ族は、荷運びの役にも立ちやしねえな!」


監督官に蹴り飛ばされ、フォーゲルと呼ばれた彼はドサリと音を立てて転がった。その拍子に、背中の翼が不自然な方向に折れ曲がっているのが見えた。


私は息を呑んだ。片方の翼が変色し、折れて垂れ下がっている。あれは、最近の傷じゃない。たぶん古傷だ。彼は痛みに顔を歪めながらも、必死に散らばった果物を拾い集めようとしていた。あまりに痛々しい姿。


「……ヴァルトさん。あの人…フォーゲル、さん?の…羽は、どうしたんですか?」


「ん?彼のことは知らないけど、みればわかるでしょ」


ヴァルトは興味なさそうに答えた。


「傷みるに、斥候部隊とかにいたんじゃない?戦争で羽やられて飛べないから雑用やってるとか?」


「治せないんですか? 魔法とかで……」


「魔族の治癒魔法は、傷を塞ぐくらいしかできないよ。あそこまで骨が砕けて神経がいかれちゃってたら、元には戻らない。欠損したのと一緒だね」


ヴァルトは「かわいそーに」と軽く言った。


「魔族にとって、飛べないガルーダはただのデカい鳥だからね。あれ、鳥ですらない?飛べない鳥ってなんていうんだろ?まぁとにかく、生きてるだけマシなんじゃない?」


──生きてるだけマシ。


その言葉が、なんだか胸に刺さった。


生きている。けれど、フォーゲルの目は死んでいた。泥にまみれ、罵倒され、かつて空を飛んでいた翼を引きずって歩く。それは、心が死んでいるのと同じではないだろうか。


気がつくと、私は駆け出していた。


「ちょっとユウカ?」


ヴァルトの声を背に、私はフォーゲルの元へ走った。


「大丈夫ですか?」


散らばったリンゴを拾っていたフォーゲルが、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。猛禽類のような鋭い顔立ちだが、その瞳は怯えと諦めで濁っている。


「な、なんだ、お前さん…」


「手伝います」


私は膝をつき、一緒にリンゴを拾い始めた。泥がつくのなんてどうでも良かった。


「よ、よせ! 汚れる……!」


「大丈夫です」


監督官のオークが「は、異邦人…!?」「い、イグナレス様は…!」と慌て始めているのを無視して、私は箱にリンゴを戻した。フォーゲルは信じられないものを見る目で私を見ていたが、やがて俯いて「……すまん」と小さく呟いた。


荷物を片付け終わると、フォーゲルは重い足取りで木箱を担ごうとした。 その時、折れた翼が木箱に引っかかり、彼は苦悶の表情でうめき声を上げた。


「う、ぐっ……!」


「フォーゲルさん!」


私は慌てて彼の背中を支えた。近くで見ると、その翼の状態は酷かった。骨が歪に固まり、羽毛も抜け落ちてボロボロになっている。


「……無様だろう」


フォーゲルが、自嘲気味に笑った。


「わしはかつて、誰よりも高く速く飛べた。どんな戦場でも、空はわしのものだった。…今じゃ空を見るたびに、死にたくなる」


彼は空を仰いだ。分厚い雲の隙間から、一筋の光が差し込んでいる。彼はその光を、焦がれるように、そして憎むように見つめていた。


「あの…傷、見せてもらってもいいですか?」


「なに?」


フォーゲルが戸惑って、医者でもなんでもない私を見下ろす。


「なにか、できるかも。触ってもいいですか?」


「お前さん…異邦人ができるのは、強化と治癒だろう?わしの翼は、もう死んでいるんだ…」


フォーゲルは諦めたようにそう言って、目を伏せたが嫌がる様子はなかった。


だから私は、彼の背中に回ってその痛々しい翼にそっと触れた。


ゴツゴツとした骨の感触。冷たく、血が通っていないような硬さ。


──痛かったですよね。辛かったですよね。


同情とか、憐れみとかじゃなく。 ただ、彼がもう一度、あの空へ帰れますようにと願った。ガラムの悲願の勝利を祈り、グレイナのまっすぐな思いが報われることを祈った。あの時のように。


「……ユウカ?」


追いついてきたヴァルトが、訝しげに私を見ている。私は目を閉じ、深く祈った。強く信じれば、できる気がした。


治って。元通りになって。彼を、空へ返してあげて。


ドクン。


心臓が大きく脈打った。 いつもの、熱い奔流。


でも今回は、ガラムやグレイナの時のような燃え上がるような熱さとは違った。もっと優しくて、柔らかい。春の陽だまりのような、温かい光が掌から溢れ出した。


「……な、んだ……!?」


フォーゲルが驚愕の声を上げる。私の手から溢れた光が、彼の翼を包み込んでいく。


ボキ、ググッ…バキッ…


骨が軋み、動く音がした。私はぎょっとしたが、フォーゲルは悲鳴を上げないで戸惑っている。痛くはないみたいだった。


見ていたオークたちが息を呑む。


フォーゲルのねじ曲がっていた骨が、あるべき位置へと戻っていく。色あせていた皮膚に血色が戻り、抜け落ちていた羽毛が、早回しの映像のように生え揃っていく。


そして、光が収まった時。


そこには、見違えるように立派で強靭な漆黒の翼があった。


「……こ、れは……?」


フォーゲルが、恐る恐る翼を動かした。バサリ。風が起きる。 もう一度、バサリ。さらに大きく、力強い羽ばたきが、周囲の土煙を吹き飛ばした。


「か…っ!感覚がある……!?風を、感じる……!」


彼は自分の翼を見つめ、そして私を見て、困惑しながら目を見開いた。


そしてその目から、大粒の涙がこぼれ落ちはじめた。


「フォーゲルさん」


私は風を受けて目を細めながら言った。


「飛んでみて!」


次の瞬間、彼は大地を蹴った。涙と羽が散った。


ドォン!


爆発的な跳躍。彼は一気に空高くへと舞い上がった。 歓喜の咆哮が、空に響き渡る。彼は水を得た魚のように、雲の間を自在に飛び回り、急降下し、旋回した。


その姿は力強く、美しかった。


空高くから、歓喜の声をあげて、こちらへ手を振っている。私は笑顔で両手を振って答えた。


「……へえ」


隣で、ヴァルトが底冷えのする声を出した。

ふと見ると、彼は空を見上げておらず、私の手をじっと見つめていた。寒気が走る。


「強化だけじゃないんだ?」


ヴァルトの紅い瞳が、私に向けられる。


「修復……いや、完全再生か。壊れたオモチャも、元通りってわけだ。すごいねぇ、ユウカ」


彼は面白そうに笑った。たまにみせる、底知れない笑み。


「これ。イグさん知ったら発狂しそー」


「え?」


歓喜に沸いていた心が、一気にざわついた。



城のバルコニー。


手すりにかけた指が、石材に食い込んでいる。


私の視線の先には、奇跡の光で翼を取り戻し、歓喜の声を上げるガルーダ族──それを地上で見上げる、異邦人の少女…ユウカがいる。


「……やはり」


ギリ、と歯軋りの音がした。


脳裏に、百年前の地獄が蘇る。


腕を切り落としても、身体を焼いても。異邦人の光を浴びて、瞬く間に再生し、笑いながら立ち上がってくる人間の兵士たち。殺しても殺してもゾンビのように湧き上がってきた、有象無象。


『神の奇跡だ!』 『我らは不滅だ!』『救世主は我らと共に!』


そう叫びながら、盟友を、部下を、数の暴力と再生能力で嬲り殺していった。あの悪夢のような光景。


「……希望の光などではない」


胸に再び、昏い憎悪の炎が宿る。忘れるものか。決して忘れるものか。


「あれは……呪いの光だ」


癒やし、治し、救う。 お前が無邪気に行うそれは、かつて我々魔族を地獄へ叩き落とした所業なのだ。


空を舞うフォーゲルの羽がここにまで至り、私の手元に落ちた。間髪入れずにそれをぐしゃりと握りしめる。


「ユウカ……」


愛しい仇敵の名を呼ぶように、低く唸った。



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