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17話 大きな妹

「兄上」


低く、落ち着いているが女性の声だとわかる。


鎧の音を立ててこちらへやってくる彼女は遠目に見ても大きかったが、近づくにつれて(えっ、すごく大きい)という印象になっていった。


私の前に立つイグナレスはヒトガタ魔族の中では恐らくトップクラスに背が高く、2メートルほどなのだけれど...彼女はイグナレスと同じくらいか、少し上回るほどの背丈だったのだ。代わりに角は、イグナレスより少し短い。背には戦斧を背負っていた。


そして彼女...聞き間違いでなければ、イグナレスに向かって「兄上」と言った。


私はこわごわとイグナレスの後ろから彼女を窺ってみる。

美しく整った顔立ち。きつく吊り上がった瞳。….結構似ている。兄妹なんだ、間違いない。


「グレイナ...」


イグナレスが呻くように名を呼んだ。


「お前をここへ呼んだ覚えはありませんが」


「ええ、呼ばれておりませんもの」


イグナレスの冷たい声にグレイナは全く怯まず、腰に手を当てた。


「このオークが誇らしげに言いまわっておりました。こやつに異邦人の加護を試すのでしょう。その役、ぜひわたくしに」


この役立たずが...

とイグナレスが小さく呟くのが聞こえた。この実験のことを口外したオークに向かって言っているのだろう。


「帰りなさい」


「嫌です」


「これは軍務です。お前のような幹部が出る幕ではない。即刻、持ち場へ戻りなさい」


「断る!!」


グレイナが叫んだ。その迫力に、私はビクンと跳ね上がる。イグナレスは少し疲れた顔をして、


「どうしたと言うのです。……本当は何が狙いですか」


と尋ねた。


「……だって、兄様!」


すると彼女、悔しそうに拳を握りしめた。ギリギリとガントレットが軋む音がする。


「ヴァルトのやつが、生意気なんです!!」


「……は?」


「兄様が甘やかすから!わたくしが侵略中の領地を、『イグさんと違ってトロいんだねー。かわりに潰しといたよ』とか言って! 横取りして潰すんです!!」


まるで幼い子が告げ口をするような口ぶり。よく見たらグレイナは涙目になっていた。強そうで怖いお姉さんという印象だったけど、急に幼くなったようなきがする。


「わたくしは……わたくしはもっと素早く、強く動けるようになりたい! あんな新入りでチビのクソガキに、デカい顔をさせたくない!」


「…………」


「さぁ兄様、早く始めましょう。実験台の豚ははそこで伸びておりますので、わたくしで!」


「他の候補がいます。下がりなさい」


「ではその候補も潰します!わたくしにやらせてください!」


そこで彼女、イグナレスの後ろから顔を出している私にぐいと詰め寄ってきた。


「おいそこの小さい人間!お前だろう、異邦人!今すぐ私に加護を与えろ!」


言うが早いか、腕を掴まれてイグナレスの背後から引っ張り出された。


私もイグナレスも一瞬唖然として反応できなかった。


「ふわっ!?」


「早くしろと言っている、のろま!」


そしてものすごい力で掴まれて揺さぶられた。振動がすごい。脳震盪でも起こしそうだ...と思った瞬間、ふっと振動がやんだ。


「グレイナ.......」


ものすごく低い声が頭に落ちた。気が付いたら私は目を回しながらイグナレスの腕の中にいた。魔法で移動させて救出してくれたみたいだ。


「いい加減にしろ。我々の重要な盾を壊す気か?」


「あっ...うぅっ…」


グレイナはさすがにはっとして、ばつが悪そうな顔をする。しかし唇をかみしめて、


「そもそも兄様がヴァルトを甘やかすからいけないんです!ここらであいつを分からせる必要があります!」


と叫び始めた。


「.....」


イグナレスは私を開放すると、先ほどよりもこめかみを強く抑えた。

身内と仕事をするのって、場合によっては大変なんだなと私は思った。


「どの候補を連れてきたって、わたくしがここで潰しますから!ですから命令してください、わたくしを強くしろと!その異邦人に!早く!」


「…ユウ力」


私は彼の言わんとしていることを、みなまで言われなくても察した。


「言い出したら聞かない子です。一度だけ、加護の付与を許可します」


イグナレスが疲れたように言った。私が頷くと、グレイナは目の前でぱっと顔を輝かせた。頬を染め、切れ長の瞳がきらきら光り、形の良い唇からは犬歯が覗いた。


「ありがとうございます、兄様!」


その笑顔はとても愛らしくて大型犬のようだった。私も「かわいい」、と思わず心の中で呟いてしまったくらいだ。


「一度だけですよ。これはあくまで実験です」


イグナレスがくぎを刺すと、そわそわしながら何度も頷く。


「はい、わかっております!おい人間、ではわたくしを強化しろ!」


私は慌てて前に進み出た。


「さあ、早くしろ人間! どうすればいい!」


グレイナは、ずいっと私の前にきて仁王立ちした。近い。


「手を握ってもいいですか?」


「は?戦場で兵士の手を一人一人握るのか?非効率な」


「い、いえ。ただ今回はちょっとの加護ということですので、触れた方がイメージしやすくて」


魔力の扱いや調節は、まだ私には難しい。命をかけた戦場では、そんな調節なんてする必要ないけれど。ガラムの時みたいな、強力な力を今彼女に与えてしまうのは危険な気がした……ヴァルトが。


彼女は面倒そうな顔をして、ガントレットを外した。現れたのは、意外にも白くて綺麗な手だった。サイズは私の倍くらいあるけれど。


「これでいいのか?握り潰されたくなければ、さっさと済ませろ!」


「は、はいっ!」


私は彼女の大きな手を両手で包み込んだ。熱い。生命力が脈打っているのが分かる。


──……この人は、強くなりたいんだ。


ヴァルトを見返したい、だけじゃなくて。兄であるイグナレスに認められたい。そんな気持ちもあるんじゃないか。その純粋で一直線な想いが、手を通して伝わってくる気がした。私は目を閉じ、祈った。どうかその想い、報われますようにと。


ドクン、と心臓が跳ねる。 ガラムの時とは比べ物にならない、圧倒的に太く、強い奔流が体から溢れ出す。


──あれっ。あんまり、抑えきれな…


私の手から、金色の光がグレイナの腕を伝い、全身へと駆け巡る。


「……ッ!?」


グレイナが息を呑んだ。彼女の周囲に巻き起こっていた熱気が、爆発的に膨れ上がる。 長い髪が逆立ち、全身から赤いオーラのような魔力が噴き出した。


彼女は私の手を離すと、背負っていた巨大な戦斧を引き抜いて構えた。


「はっ!!!」


気合い一閃。 彼女は離れた場所にある、訓練用の巨大な岩(鉄よりも硬い魔鉱石らしい)に向かって、斧を振り下ろした。


ズドォン!!!!


鼓膜が破れそうな轟音と、凄まじい衝撃波。私はイグナレスが咄嗟に張った結界の中で、爆風に耐えるので精一杯だった。


土煙がゆっくりと晴れていく。 そこに広がっていた光景に、私は息を呑んだ。


岩など、なかった。訓練用の巨大な魔鉱石は、粉々に砕け散り、ただの砂利の山と化していた。それどころか、その背後の地面が深くえぐれ、訓練場の分厚い壁までが放射状に亀裂している。


シン……と、訓練場が静まり返った。グレイナ自身も、その信じがたい破壊力を前に、呆然と立ち尽くしていた。 彼女は自分の手と、跡形もなくなった岩を交互に見る。


その時、私は自分の足が震えていることに気づいた。 立っていられない。 ガラムの時とは比べ物にならない、全身の血が沸騰するような魔力の放出。 どっと疲労が押し寄せ、私はその場にへなへなと座り込んでしまった。


魔族、それも彼女のような上級…魔王軍幹部への加護の付与。人間の兵士たちに与える時とは疲労度が比較にならない。そのかわり、与えられる力もとんでもないけど。これは私自身も、抑える術を身につけなければ。


私はふと、顔を上げた。そういえば、イグナレスはこれをどう判断しただろうかと思ったのだ。


「…………」


イグナレスは…見たこともないほど愕然とした表情で私と、岩だった場所を見比べていた。


「……今の、が……」


イグナレスが戦慄く声で呟いた。


強化バフ……? 冗談ではない……これはもはや、力の変質だ……」


呆然といった感じの声音。


「兄様ッ!!」


イグナレスの言葉を遮り、グレイナが歓喜の咆哮を上げた。彼女の顔が、獰猛な喜びに染まっている。


「見ましたか、この力っ! いつもの半分も込めていないのに、この威力……!体も軽い! 視界もクリアだ!これなら……これなら、あの生意気なヴァルトを黙らせられる……!ああそうだ人間ッ!!」


「ひゃいっ!?」


興奮したグレイナが、猛スピードで私に詰め寄ってきた。私は座り込んだまま、ビクリと身をすくませる。


彼女は私の目の前で仁王立ちした。


「勘違いするなよ。お前の力が凄かったわけではない、わたくしの内に眠っていた、真の才能と魔力が引き出されたに過ぎないのだからな!」


彼女は腕を組み、ふんぞり返って言った。私は冷や汗をかいて頷いた。実際そうだったからである。だって彼女の力がとんでもないことは、加護を与えた時点でわかっていたので。


「だが……まあ、少しは役には立つようだな!褒めてやる」


「あ、ありがとうございます……?」


「おい、名前は!」


「え!ユ、ユウカです……」


「ユウカか。覚えておいてやる」


彼女はふっと好戦的な笑みを浮かべた。


「あの生意気なヴァルトを叩き潰すまで……お前の力、私が使ってやる!」


「え!?」


ヴァルトは確かに、私が加護を与えたやつと戦いたいって言ってたけど。今のグレイナと戦うのはまずいんじゃないだろうか。


「グレイナ」


呆れ果てた声で、イグナレスが割って入った。


彼はいつのまにか、いつもの冷静さを取り戻し、私のそばに跪き額に手を当てていた。発熱は、してないと思うけど。


「調子に乗るなと言ったでしょう。ユウカは私の管理下に置いています。乱用は許さない」


「しかし兄様!こんなに便利な力を放置する手はないでしょう!私が有効活用します!」


「お前の言う力の有効活用とは、仲間ヴァルト殺しですか?素晴らしいですね」


イグナレスは皮肉を言いながら私の腕を取り、今度は脈を取り始めた。グレイナは頬を膨らませるが、兄には逆らえないようだ。


「はぁ…わかりました。今日のところは諦めます」


彼女は戦斧を担ぎ直すと、私を一瞥した。


「ユウカ。今後もわたくしの役に立てるよう、せいぜい体調を整えておけ!」


それだけ言い捨てると、嵐のように去っていった。


「……はぁ」


イグナレスが深いため息をついた。私は、グレイナが去っていった方向を見つめた。


恐らくだけど。私は今回、無理を言ってここにきて良かったのだ。グレイナは、イグナレスの妹。イグナレスの表情をみれば、彼女のことを相当に大事に思っているのはわかる。私は、私の命を握っている魔族イグナレスの関係者と、関わることができたのだ。


…あまり打算的なことばかり考えるのは疲れるし、なんだか自分が汚らしくてちっぽけなやったいな感じがしていやだけど…やらなくちゃいけない。


ここで生きていくためにできる限りの努力をするって、私は決めたのだから。



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