16話 生存戦略
例の如く、夜。
コンコンと規則正しいノックの音。
「どうぞ」
私が声をかけると、静かに扉が開く。
現れたのは、予想の通りイグナレス。今夜も手には、湯気の立つ食事ののった銀のトレイ。夕食を運びにきてくれている。
「いつも、ありがとうございます」
彼はテーブルに音もなく料理を置くと、相変わらず氷のような瞳で私を見下ろした。
私がお礼を言うと必ず「礼などいらない」と言っていたけれど、最近はそれもなくなった。諦めたともいえる。
「いらない」という言葉は、遠慮とか照れ隠しとかではなく多分本音で、私はおそらく…いいや、確実に。イグナレスには嫌われている。
──私、異邦人だし。基本的に嫌われて当たり前だよね。
そう思って、なるべく気にしないようにしている。
イグナレスはおそらく私のことが嫌いだけど、とてもこまめに私の生活環境を気にしてくれているので、それはそれとして感謝はしていたし、私は彼にマイナスなイメージはあまりなかった。
迷惑そうだけどついお礼を言ってしまうのは、こちらも染みついた癖のようなものだ。少し申し訳ないと思う。
イグナレスは形の良い唇を開く。
「体調の変化は?」
「ありません、元気です」
「ヴァルトに変なことをされていませんか。もしくは妙な誘いを受けてはいませんか」
「い、いません」
「では他に、要望や伝えたいことなどは」
毎晩繰り返される、尋問じみたヒアリング。
私はいつも通り首を横に振ろうとして、少し迷ってスプーンを握りしめ、意を決して顔を上げた。
昨日からずっと、考えていたことがあった。
「あの、イグナレスさん!」
「……何です。騒々しい」
「お願いがあります!私の力……あの、コロシアムでガラムさんにあげられた加護…魔王軍の役に立ててみるとか、そういうのって」
魔王軍の敵は、何も人間だけではないというのを私は最近知った。魔王の領土内でも、反乱分子の鎮圧や、小競り合いを始めた領主の魔族の戦いを諫めたり、結構忙しそうなのである。
魔王はあまり人間と積極的に戦争をしたがらない、異邦人がいなければ基本的に放置すると聞いていたが、その理由も納得した。
正直言ってそれどころではないのだ、本当に。であれば、そこに私は役立てないか?と思ったのである。
イグナレスの動きが、ピタリと止まった。彼はゆっくりと私を見下ろした。私が緊張して見上げると。
「却下します」
短い拒絶だった。え、と私は声をこぼした。
「な、なんでですか!?ガラムさんはあんなに強くなって、勝ちました! 私、役に立てるんじゃ……」
「リスクが高すぎるからです」
彼は冷淡に告げた。
「異邦人の力は未知数です。ガラムは強化に成功しましたが、他の種族、あるいはより高位の魔族に対して、どのような副作用が出るか分からない。万が一、暴走してあなたが死んだらどうするのです」
イグナレスはテーブルをトントンと指で叩いた。これは…彼が苛立っている時によくやるやつだ。
「忘れないように。あなたの最大の価値は、ただ生きていること……盾として存在し、新たな異邦人の召喚を阻害することです。不確定な戦力増強のために、あなたの身をを危険に晒すわけにはいきません」
正論だった。完璧な理屈だと思う。でも、私だってここで引き下がるわけにはいかない理由があった。
ただ「生かされている」だけの盾なんて、いつ「やっぱりいらない」と捨てられるか分からない。私は、自分自身で生きる価値を勝ち取らなければいけないと思っていた。
そう思えたのは…シオさんとガラムのおかげだ。
シオさんは、私のために命をかけて王都の脱出に手を貸してくれて、その後も私を案じて声をかけてくれている。彼に救われた命を大事にしなければいけないと思った。
ガラムは、何度やられても立ち上がり、必死に弟たちを守るために戦っていた。彼のおかげで、私ももっと、自分で頑張ろうと思えた。
私は椅子から立ち上がった。
「わ、私。役に立ちたいんです!」
「役に立っていますとも。生きているだけで」
イグナレスが冷たく即答した。
やっぱりだめか。…だったら、あと私が出せるカードはひとつしかない。
「じゃあ…イグナレスさん」
それが彼に効くかどうか…どうだろう。
私はまっすぐイグナレスを見つめた。
「異邦人の力、興味ないですか?」
イグナレスは沈黙を返し、私を見つめた。その表情は読めないが…即答で切り捨てられなかった。いけるかも。そう思った私は、言葉を続けた。
「魔王軍って、異邦人の力にずっと苦しめられてきたんですよね?色々知れる、良い機会ではないでしょうか…」
「……なぜ、あなたはそのように申し出るのですか?衣食住を提供され、何もしなくてもここで生かされているというのに」
イグナレスは無表情のまま問いかけた。私は迷ったけど、正直に答えることにした。
「他にも価値があるって思われたら、もっと大事にしてくれるでしょう?」
「…………」
イグナレスは、虚を突かれたような顔をした。そして次の瞬間。く、と喉の奥で笑った。冷たく、けれどどこか面白がるような。
「……強欲な人間ですね」
彼は腕を組んだ。
「いいでしょう。……認めます」
「えっ、本当ですか!?」
「ただし」
彼は釘を刺すように言った。
「あくまで副産物の、テスト運用です。少しでも体調に異変を感じたら即座に中止します。あなたの命は、魔王軍の資産なのですから」
「は、はいっ、ありがとうございます!」
「礼には及びません。……では、明日の昼、訓練場に被検体を用意させましょう」
イグナレスはそう言うと、私が食べるのを監視するため、椅子に音もなく腰を下ろした。
──やった……!
私は興奮を隠しながら、冷めかけたスープを口に運んだ。 これで「盾」以上の価値を証明できるかもしれない。
まさか、その「実験」に、とんでもない乱入者が現れるとは、夢にも思わずに。
◆
翌日の昼。私の部屋の扉が開き、イグナレスが入ってきた。約束通り、力を試させてくれるのだ。
「行きますよ、ユウカ」
「は、はい!」
私は彼の背後に続き、部屋を出た。部屋の外に出れるのは嬉しいが、ヴァルトに連れ出された時のように、あまり開放感はない。
イグナレスが隣を歩いている(というより、半歩後ろから監視されている)というだけで、まるで首輪を引かれた囚人のような気分になるのだ。視線がこちらに向いていなくても、彼の全神経がこちらに向けられているというのがピリピリと伝わる。
すれ違う下級魔族たちが、私たちを見てサッと道を開けていった。
訓練場の裏手にある、人気の少ない広場。そこには既に、イグナレスの部下らしき魔族が数名待機していた。
「いいですか、ユウカ」
イグナレスは、懐中時計を片手に、いつになく厳しい顔で私に釘を刺す。
「繰り返しますが、あくまでテスト運用です。少しでも体調に変化があれば即座に中止。自己申告も怠らないこと」
「はい、わかっています」
「被検体には、頑丈な下級魔族を用意させました」
人体実験みたいなノリだけど、加護を与えただけで死んだりすることはないと思う、多分…でも、それほど警戒されているんだろうな、と思った。
彼は時計を見ると、苛立たしげに眉を寄せた。
「遅いな……おい、誰か見てきなさい」
彼が部下に命じようとした、その時だった。
ドゴォン!!
広場の入り口の鉄扉が、内側から爆ぜた。
イグナレスに咄嗟に腕を掴まれて後ろへ下げられる。するとものすごい土煙と共に、白目を剥いて気絶したオークが、イグナレスの足元に転がってきた。……もしかして、協力してくれるはずだったオーク?
「な……ッ!?」
常に冷静なイグナレスが、目を見開き絶句している。
破壊された入り口から、ズシン、ズシン、と地響きのような足音が近づいてくる。
現れたのは、ヒトガタの魔族だった。全身を深紅の重装甲で固めていた。長い赤みがかった黒髪が炎のように揺らめき、頭には双角が生えている。
「……!?」
その威圧感だけで、心臓が止まりそうになる。彼女(?)は、仁王立ちすると、鋭い眼光で私を見下ろした。
「……ふん。こんな貧相な小娘が、異邦人?」
声は低いが、やはり女性だ。彼女は私への興味を失ったように、イグナレスへ向き直った。
「兄上」
イグナレスの顔が、見たこともないほど引き攣った。
──兄上?




