15話 お前は盾であり、私の憎悪
それからの試合は、異常だった。負けっぱなしのリザードマンの連勝である。
「ガラムさん、頑張れ!」
私の応援を受けるたび──私はまさか、自分の力が影響しているとはこのとき思っていなかったけれど──ガラムは凄まじく強くなった。
準々決勝、準決勝…瞬く間に勝ち上がっていく。
対戦相手は、魔界でも名の知れた猛者ばかりだったはずだ。けれどガラムの剣が、彼らを枯れ木のように吹き飛ばしていく。
傷ついても、動きが鈍らない。疲労すら、光に溶けて消えていくようだ。
そして、決勝戦。
魔王軍の精鋭であるアークデーモン(上位悪魔)さえも、ガラムは真正面から叩き伏せた。
「誰が予想しただろうか!?勝者ァ───ガラムゥッ!!」
地鳴りのような歓声。
万年一回戦負けの小さなリザードマンが、一夜にしてコロシアムの頂点に立ったのだ。
私は感動で涙ぐみながら、傷だらけで手を振るガラムさんに大きく手を振り返した。
だが、喜びに浸る私は気付いていなかった。
私の隣でイグナレスが、指先が白くなるほど手すりを握りしめていたことを。
◆
──これが。異邦人の力……。
握る手すりがひしゃげ、ミシ、と音を立てる。会場の有象無象の歓声が、どこか遠くで聞こえるようだ。
──忌々しい…忌々しい…!
私は、目の前の光景に戦慄していた。
人間とは、紙のように脆く、弱い生き物。本来ならば、魔族の足元にも及ばない。
だというのに、この“異邦人(救世主)の力”さえあれば……人間は、我ら魔族と拮抗し、あるいは凌駕するほどの暴力を手に入れる。
神からのギフトだとかいう、異邦人の力。この世界に、悪へのカウンターとして派遣されたような存在だと、魔王様が仰っていた。
起源などはどうでもいい。私にとって重要なことは、それがかつて、私の部下の多くを殺し尽くしたということだ。
100年前の異邦人は、我々の軍勢を半壊させた。その時の無力感を、狂おしいほどの憎悪を、一瞬たりとも忘れたことはない。私の右腕の部下も、育てていた精鋭も、すべて、すべてあの光の前に命を奪われた。加護を与えられただけの、矮小な人間の剣によって!
だが、嗚呼。あの絶対的な力が。それが今、我々魔族に与えられている。目の前でその威力を、まざまざと見せつけられている。
──忌々しく、恐ろしい異邦人め。魔族にも、加護を与えることができるというのか…!
手すりから身を乗り出し、笑顔でリザードマンに手を振る少女。私が指先ひとつで殺せる、無力な小娘。
私の胸中に、改めてどす黒い憎悪と、拭いきれない畏怖が渦巻く。
そうだ。ヴァルトがこの娘を連れてきてから。出会った瞬間から。
この娘に対して私は、憎しみ以外の感情を抱いたことがない。
脆く無力で、寿命が短い。我々魔族の足元にも及ばない弱小な人間どもの群れが。この異邦人ひとりの力で無敵の軍勢へ変貌するのだ。
この娘を殺すわけにはいかない。新たな異邦人の召喚を許すわけにはかない。
だからこそ、だからこそ。ここで徹底的に管理し、飼い殺し、そしてこの機に人間どもを灼き尽くすのだ。一刻も早く魔王様にご決断いただかなくては。そしてそれが果たされれば、この小娘は用無し──
そこで私は、娘の視線に気付いた。ひしゃげた手すりから手を離す。
目を閉じ、息を吐き、沸騰しかけた思考を抑えつける。が、小娘の戸惑う眼差しに、再び脳髄が焼き切れそうな憎悪が湧き上がる。
──殺してやる、小娘。お前は必ず、私がこの手で。
「イグナレスさん?」
── その時は、ひと思いには殺さない。私の部下の苦しみを、無念を、憎悪を、存分に味わわせてやる。その時のお前の命乞い、悲鳴はどれだけ甘美なことだろう!
小娘が、手すりから手を離し私に向き直る。なにか叱られると思ったのだろうか。眉を下げ、こちらを窺うような視線。
いけない。思考を戻せ。私が今、やるべきこと。考えるべきこと。
「ユウカ…」
思考しながら、唇を開く。
異邦人の加護は我々魔族にも与えられる…。
この事実をどうするか。まずは魔王様に報告すべきか。それとも、この女に一度自覚させるべきか──いや。余計な知識は与えるべきではない。この娘はただ、飼い殺して生かす。それだけで、我々魔族の勝利は確定するのだから───
「ユウカ、すごいじゃん」
ヴァルトが、呑気に声をあげた。
その時の私は激しく後悔した。ここに、こいつを連れてくるべきではなかった。
「きみのおかげで、トカゲくんは優勝できたんだよ」
「え?」
ユウカは呆然としてヴァルトを見つめる。
「いや、私は応援しただけで。ガラムさんが頑張ったから……」
「あれ。自覚なく使ったの?」
ヴァルトは、小さく声をあげて笑った。 幼く無邪気だが、どこか空虚な笑み。
「きみの力(加護)ってさ。魔族にも使えるんだね」
「……え?」
ユウカは、やはり自覚がなかった。
──ヴァルトには、いい加減口枷と首輪が必要だろうか。この自由奔放で考えなしの、小さく巨大な魔物には。
私はこめかみを抑えた。
熱狂の冷めやらぬコロシアムで、小娘は冷水を浴びせられたように。ただ立ち尽くしていた。




