14話 運命の一戦
満月の夜。
魔王城の敷地内に建つ、巨大な円形の闘技場「コロシアム」は、異様な熱気に包まれていた。
「殺せ!!」 「引き裂け!」「血肉を見せろ!」
観客席を埋め尽くすのは、血に飢えた魔族たち。飛び交う怒号と、むせ返るような血の匂い。
──こ、こわい。血気と熱気が訓練所の比じゃない…
私は恐怖で足がすくみそうになるのを必死に堪え、イグナレスの背中に隠れるようにして貴賓席(いわゆるVIP席)に座っていた。
「……野蛮極まりない」
イグナレスは、騒ぐ観衆を見下ろして心から忌々しそうに吐き捨てた。 彼は私の隣に座り、周囲に目を光らせている。
「約束通り、一戦だけですよ。ガラムとかいうリザードマンの試合が終われば、即座に帰還します」
「は、はい……」
「あー、始まった始まった。ユウカ、早速あいつの出番だよ」
ヴァルトは手すりに腕をかけてニコニコしている。
『さあ、次なるカードは!』
魔術による拡声が響き渡る。
『万年初戦敗退!泥舐めのガラム!! 対するは、前回大会ベスト4! 剛腕のサイクロプスだァッ!!』
ワアアアアッ!と観客席が沸く。ほとんどがサイクロプスへの歓声と、ガラムへの嘲笑だ。
「初手で相手悪いねー」
ヴァルトが言った。
「トカゲ君じゃ1分もたないね」
その予言通りだった。
「グオオッ!!」
試合開始の合図と共に、一つ目の巨人が棍棒を振り下ろす。 ガラムはボロボロの剣でそれを受け止めようとしたが、あまりの重量差に吹き飛ばされた。
ドガッ!
「ガハッ……!」
壁に叩きつけられ、ガラムが血を吐く。会場中から「死ね!」「雑魚め!」という罵声が浴びせられる。
「──あぁっ…!」
私は手すりを握りしめた。彼は、兄弟のために戦っている。私をオークから庇ってくれた。こんな…こんなの嫌だ。思っても仕方ない、私に何もできることなんてないのに。
サイクロプスが、トドメを刺そうとゆっくり近づいていく。ガラムは膝をつき、震える手で剣を支えにしているが、もう立ち上がる力はなさそうだ。
でも、彼はまだ諦めていない。
「……終わりですね。帰りますよ、ユウカ」
イグナレスが席を立とうとした。でも、私は動かなかった。
嫌だ。このまま彼が負けて、死んでしまうなんて、嫌だ。その強い思いに、突き動かされるように。
「……って」
「ユウカ?」
「立って……! ガラムさん!!」
私は、イグナレスの制止も聞かず、手すりに身を乗り出して叫んでいた。
「負けないで!!」
その叫びは、私の精一杯の叫びは、けれど喧騒にかき消されるほど小さかったはずだ。しかし。
ドクン。
私の体の奥底で、何かが弾けた。熱い奔流が、血管を駆け巡り、喉元を通り越して、叫び声と共に放出される。私はそれを、自分が興奮しているからだと思った。
けれど、後から考えるとそれは、何度か経験のある熱だった。かつて人間の王都の兵士たちに、救世主としての加護を与えたときの感覚───
ガラムの身体が、一瞬金色に光った。
「……ッ!?」
隣で、イグナレスが息を呑む気配がした。彼の鋭い視線が、私とガラムを交互に見る。
光を浴びたガラムが、ビクリと体を震わせた。 剥がれた鱗が、見る間に再生していく。 萎縮していた筋肉が、鋼のように膨れ上がる。 そして、その瞳に、金色の光が宿った。
「う、ウォオオ───ッ!
ガラムが咆哮した。それは、さっきまでの弱々しい彼とは別人のような、空気を震わせる叫び。
「悪あがきか?」
サイクロプスが棍棒を振り下ろす。 だが。
ガキン!
ガラムは、それを剣で受け止めた。さっきみたいによろけることもなく、一歩も退かない。
「な……ッ!?」
サイクロプスが驚愕に目を見開く。ガラムは、目を見開き、剣を一閃させた。
「俺は……負けられないんだ!」
ズバァンッ!
光の軌跡を残し、剣がサイクロプスの巨体を切り裂いた。一撃。 たった一撃で、格上の巨人が、轟音を立てて倒れ伏す。
シン…
コロシアムが、静寂に包まれた。 誰もが、何が起きたのか理解できていなかった。 あの万年負け犬のガラムが、格上を瞬殺したのだ、と…
「……勝っ、た……」
私が呟くと同時に、ワアアーーッ!! と割れんばかりの歓声が爆発した。 ガラムが、信じられないという顔で自分の手を見つめ、それから客席の私を見上げて、剣を掲げた。
コロシアムが、静寂から爆発的な歓声へと変わった。
ガラムさんが勝った。格上のサイクロプスを、たった一撃で!
「やった……! やったぁ!」
私は手すりに身を乗り出して喜んだ。よかった、本当によかった!
「……」
ふと隣を見ると、イグナレスが凍りついたように立ち尽くしていた。彼は私を見つめている。その瞳には、驚愕とも、警戒ともつかない鋭い色が走っていた。
「……い、イグナレス、さん?」
「……」
彼は答えない。ただ、沈黙して何かを思考している。
帰ろうと言い出すかと思ったけれど、彼は動かない。
「ねぇ、続きも見ようよ」
沈黙を破ったのは、ヴァルトだった。
彼は楽しそうに、私の肩に腕をのせて抱き寄せた。私はびっくりして、すぐ近くの赤い瞳を見つめた。その紅い瞳の奥は底知れない色をたたえて私を見つめ返した。
「せっかく彼、勝ち上がったし。……ね、ユウカ。あのトカゲくんを最後まで応援したいよね?」
「え……?はい、それはもちろん、ですけど……」
私はおそるおそる、イグナレスの顔色を覗った。 一戦だけという約束だった。帰れと言われれば、従うしかない。
イグナレスは数秒の沈黙の後、静かに口を開いた。
「……許可します」
「えっ、いいんですか?」
「ええ。……最後まで見届けなさい」
彼は座り直した。
その瞳には冷たい光が浮かんでいて、これが決して親切からの言葉ではないと語っているようだったが、今の私にはあまり気になることではなかった。




