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13話 コロシアムの切符


その日の夜。


運ばれてきた夕食は、彩り豊かな野菜と、柔らかく煮込まれた鶏肉(?)のクリーム煮だった。相変わらず絶品で、ひと口食べるごとに幸せな気分になれる……はず、だったのだが。


「美味しいですか?ユウカ」


テーブルの向かい側。足を組み優雅に座るイグナレスが、ブリザードでも吹かしているかのような冷たい空気を背負い、問いかけてきた。


「は、はい……とても……」


私はといえば、せっかくのブルゴさんの絶品料理を心から味わうことができず。目の前で吹き荒れる冷気に耐えながら食事を口にしていた。


「そうですか。食欲旺盛で、顔色も良く、健康状態に問題もなさそうで…結構な事ですね。元気すぎるのも困りものですが」


じっとりとした視線。私はクリーム煮にスプーンを沈めて俯いた。


「私の命令を無視して勝手に部屋を抜け出し、野蛮な訓練場を見物して……困りましたね。首輪と鎖を用意しましょうか」


「うっ……」


──ヴァルトさんの嘘つき。全然、大丈夫じゃないじゃん…。


イグナレスの瞳は、怒りを通り越して冷ややかな殺意を宿しているようだった。


「ご、ごめんなさい……」


「弁解は?」


「ヴァルトさんに、連れ出されて……」


申し訳ないけど、とりあえずヴァルトのせいにしてみた。彼はイグナレスに叱られるのは常習者のようだし、叱られてもほぼノーダメージだろうと思って。しかし、イグナレスの冷たい眼差しは少しも緩まなかった。


「ヴァルトが連れ出したとしても、あなた自身に部屋にいるという意志があれば、ベルを鳴らすなり抵抗するなりできたはずです」


…正論だ。確かに、私の中にも外を見てみたいという好奇心があったのは否定できない。


「訓練場など、血に飢えた荒くれ者の巣窟。流れ弾一発で、あなたの貧弱な体など消し飛びます。わかっているのですか?」


「はい……反省してます……」


私は小さくなって、クリーム煮を口に運んだ。

イグナレスは、私が食べ終わるまで監視を続けるつもりなのだろうか。ずっとこうやって目の前でネチネチ説教を続けるのだろうか。自業自得とはいえ勘弁して欲しい。居心地が悪いことこの上ない…何より私の唯一の食事の楽しみが…。


ふと、傷だらけのリザードマン。ガラムさんのことを頭に思い浮かべた。


──ガラムさんとの約束……。


私はチラリとイグナレスを見た。

彼は不機嫌そうだが、話を聞いてくれないわけではない。ここで言わなかったら、話すチャンスはないかもしれない。


「あ、あの。イグナレスさん」


「何です」


「お願いがあるんですけど……」


「却下します」


「まだ何も言ってません!」


食い気味に断られ、私は身を乗り出した。


「こ、コロシアム!今度の満月の、コロシアムを観に行きたいんです!」


「…………は?」


イグナレスの表情が、ピキリと凍りついた。その瞳が、「正気か?」と語っている。


「今、私の話を聞いていましたか?部屋を抜け出したことを叱責している最中に、さらなる外出許可、それも最も危険なコロシアムへの同行を求めるとは……」


彼のこめかみに、青筋が浮かぶ。

イライラしているのが手に取るように分かる。

私は思わず縮こまった。


「論外です。あそこは血と欲望が渦巻く場所。管理対象あなたを連れて行くなど、リスクしかない」


「でも、約束したんです! リザードマンのガラムさんに、応援に行くって!」


「知ったことではありません。諦めなさい」


取り付く島もない。やっぱりダメか……と肩を落とした、その時だった。


「えー、いいじゃんイグさん。ケチだなぁ」


窓際から、軽い声がした。 いつの間にか、ヴァルトが窓枠に腰掛けて、リンゴ(のような果実)を齧っていた。


「ヴァルト…お前もです。よく抜け抜けと顔を出せましたね」


「え、なんで?」


「ユウカを連れ出したでしょう」


「俺一緒だったよ?」


イグナレスは疲労と苛立ちでこめかみをひくつかせ、机をトントンと指で叩いた。


「部屋から出すなと、あれほど───」


「あ、ユウカ」


ヴァルトは芯だけになったリンゴをポイと捨てると、ニッと笑った。


「コロシアム。イグさんがダメって言うなら、俺がこっそり連れ出してあげるよ」


「え」


──いや。なんでイグナレスさんがいる目の前で言うの?もうそれ、こっそりじゃないよね?


というか脅しだ。 許可しないなら、また今日みたいに警備を突破して、勝手に連れ出すぞと、管理者のイグナレスに面と向かって喧嘩を売っているに等しい。


部屋の空気が、張り詰めた。 イグナレスとヴァルトの視線が交差する。 冷徹な氷と、無邪気な炎。


数秒の沈黙の後。


「…………はぁ……」


イグナレスが、これ以上ないほど深く、重く、長い溜め息を吐いた。その姿は、初めて見る中間管理職の悲哀のようなものを漂わせていた。


彼は、疲れ切った顔で私を見た。


「……一戦だけです」


「え?」


「リザードマンの試合、一戦だけ。それが終われば即座に帰還します。それと、私も同行します。ヴァルトだけに任せてはおけません」


「ほ、本当ですか!?」


「あなたが勝手に死んで、『盾』を失うリスクを回避するためです」


彼は不愉快そうに言い捨てたが、私にはそれが許可証にしか聞こえなかった。


「ありがとうございます! イグナレスさん!」


イグナレスは(うるさい)というように、こめかみを押さえた。 ヴァルトは「よかったねー」と他人事のように笑っている。


こうして、私はイグナレスの精神を削りながら、無事にコロシアムへの切符を手に入れることができた。


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