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11話 満たされておやすみなさい

重厚な扉が開く。まず入ってきたのは、いつもの黒い外套を纏ったイグナレス。


そして、その後ろから───


ズシン、と床を揺らすような足音と共に、巨大な肉の壁が現れた。


「ひっ……?!」


思わず、息を呑んで後ずさる。


そこにいたのは、身長2メートル以上はあろうかという巨躯の、豚の顔をした魔族──オークだった。

イグナレスも背が高くて、たぶん2メートルくらいあるけど、その彼よりも頭ひとつ上くらいである。


岩のように隆起した筋肉。口からは鋭い牙が突き出し、手には凶器にしか見えない巨大な包丁(というか鉈?)が握られている。コックコートは、元々無地で白かったのだろうが、何か色々飛び散っていて鮮やかなマーブル模様みたいになっていた。


「……文句があるってのは、この人間か?」


オークのシェフは、鼻息荒く私を睨みつけた。声が低い。とても怖い。殺される。そう思った。


「文句があるとは言っていません。ただ、あなたに話があるそうです」


イグナレスは淡々と告げ、私に「ほら」と視線で促した。


私は震える膝を叱咤して、一歩前に出た。怖い。でも、あの料理を作ってくれた魔族だ。伝えなくては。


「あ、あの……こ、こんばんは……」


「ああ?声がちっせえ、きこえねぇな!」


「ひぃっ!ご、ごめんなさい!あの、昨日のステーキ、その……」


オークが、面倒くさそうに包丁を肩に担ぐ。なんで包丁をここに持ってきてるの?ヴァルトみたいに常に武器を持ち歩いてるの?というかそれは武器なの?お前が今日の食材だ!とか言ってきたりしないよね?


「おい、ステーキがなんだ!なんか文句あるってか!」


オーク…いや、シェフが怒鳴った。私はぎゅっと目を瞑り、そして。


「すっごく、美味しかったです!!」


叫んだ。すごく大きな声で、彼に負けないくらいの声を張り上げたつもりだけど、声量がたりなくて広い部屋にあまり響かなかった。けれと、シェフの耳にはちゃんと届いたらしい。


「……あ?」


「ステーキだけじゃなくて、スープも、パンも!

ここに来てから食べたもの、全部! 私、こんなに美味しいご飯、生まれて初めて食べました!

食べるたびに元気が出て…本当に、魔法みたいで…その、どうしてもお礼が言いたくて……!

い、イグナレスさんに、連れてきてってお願いしてしまいました!」


一気にまくし立てて、私は深々と頭を下げた。


「毎日、美味しいご飯を作ってくれて、ありがとうございます!」


部屋に、沈黙が落ちた。恐る恐る顔を上げると、巨大なシェフはぽかんと口を開けて、私を見ていた。


「…美味かった、だと?」


「はい! 最高でした!」


「…文句じゃ、ねえのか?」


「文句なんてありません! 毎日楽しみで、仕方ないです」


シェフは、瞬きを数回繰り返した。そして、その厳つい豚の顔が、みるみる赤くなっていった。


「……あったり前だ! 俺の腕にかかりゃ、どんな食材だろうと極上の味になる!」


彼は照れ隠しのようにブヒッと鼻を鳴らした。 なんだか、急に怖さが薄れた気がする。


「だがな、嬢ちゃん。俺に感謝するより、そっちの神経質な参謀殿に礼を言うんだな」


「え?」


「人間は脆いだの、栄養バランスがどうだの、消化に良いものを使えだの、注文が細かくてうるせえんだよ! 俺様はもっと、肉!骨!カロリーの暴力みたいな豪快な飯が作りてえのによ!」


シェフは、親指でイグナレスを指差して文句を言った。私は驚いて、イグナレスを見た。


この素晴らしいシェフの作るカロリーの暴力ごはんもぜひ食べてみたい気がするけど、それは置いといて…。


「……そうなんですか?」


「当然でしょう」


イグナレスは、眉一つ動かさずに答えた。


「先ほども言いましたが、あなたは管理対象です。偏った食事で体調を崩されたり死なれたりしては、こちらの不利益になる」


言葉は冷ややか。

でも、あの美味しい食事の裏に、イグナレスのそんな細かい指示があったなんて驚きだった。過保護にもほどがあるというか、どれだけ繊細だと思われてるんだとか、色々思うところはあるけれど…感謝するところだよね?と思った。


その時ふと、視線を感じて目線を下げる。


「あ、あの……そちらの小さい子たちは?」


シェフの足元から、ひょこひょこと顔を出している影があった。

大きな耳と、ボロ布を纏ったような小さな体。

大きな瞳が、怯えたように私を見ている。 昔映画で見た、屋敷しもべ妖精にそっくりだ。


「ああ、こいつらか? 厨房の掃除係のゴブリンどもだ。俺がここに来るって言ったら、人間の顔が見てえってついてきやがった」


小鬼たちは、私と目が合うと「キィ!」と小さく鳴いて、シェフの後ろに隠れてしまった。 でも、その目は好奇心でキラキラしている。


「……かわいい」


私は思わずしゃがみ込んで、彼らに手を振ってみた。

ここにきてから、大剣を振るう少年の皮を被った魔族、筋肉ムキムキな獣人、舌を鳴らして威嚇する蛇女、ツノの生えた長身の冷たい瞳の参謀など、そんな魔族ばっかりだったので。なんだか愛嬌のあるちまちました魔族というのはとても新鮮だった。


すると、一匹が近づいてきて、私のワンピースの裾をちょんと触り、また慌てて隠れた。…かわいい!!!


「……はぁ」


イグナレスが、わざとらしいほど大きなため息をついた。


「気が済みましたか、ユウカ。食事ひとつでこの騒ぎ…理解に苦しみますが」


「は、はい!本当にありがとうございました、イグナレスさん!」


「これも管理の一環です。礼を言われる覚えはありません。おい、戻るぞ」


イグナレスは冷たく言い放ち、とっとと部屋を出て行った。 今日はヒヤリングも結構、という感じだ。私が元気に騒いでいたからだろうか。


「俺はブルゴだ、嬢ちゃん」


シェフ…ブルゴは大きな胸を張って、私に名乗ってくれた。


「私はユウカです。ブルゴさん、今日は本当にありがとうございました」


ブルゴはニカっと笑うと鼻の下をかいて、「おう!また美味いもん作ってやるから、残さず食えよ!」と捨て台詞(?)を吐いて、ドシドシと出て行った。

ゴブリンたちも、最後にペコリと頭を下げて、その後を追った。


部屋に残された私は、温かい気持ちでいっぱいだった。なんだか久々に癒された気がする。


テーブルの上には、今日の夕食が置かれている。 私は椅子に座り、手を合わせた。


「いただきます」


その日食べたシチューは、昨日よりもさらに温かく、美味しく感じられた。



その日の夜、例のごとく巨大なベッドによじ登り、ふかふかの布団に潜り込む。そして枕元に隠していた宝物を取り出す。


群青色に光る、まじないの石。


──……シオさん。起きてますか?


石に触れて念じる。言葉は出さない。すると、すぐに懐かしい声が頭に響いた。


『はい、起きていますよ。こんばんは、ユウカさん』


その穏やかな声を聞くだけで、心がほぐれていく。私は石を胸元に寄せ、今日あった出来事を、心の中で話し始めた。


──聞いてください、今日、シェフに会えたんです。


『おや。会わせてくれたんですか? あの…例の参謀殿が?』


──はい。イグナレスさんが連れてきてくれて。 シェフはすっごく大きなオークさんでした。最初は怖かったんですけど、料理を褒めたら真っ赤になって照れてて…なんだか、職人気質でいい人でした。


『ふふ。それはよかった。魔族も照れることがあるのですね』


シオさんが優しく笑う。 私はさらに、言葉を継いだ。


──それに、掃除係のゴブリンの子たちもいて、可愛くて…あと、その参謀の、イグナレスさんなんですけど。


『彼がどうかしましたか?』


──私、冷たくて怖い人だと思ってたんですけど。実は、料理のメニュー、イグナレスさんが細かく指示を出してたそうなんです。栄養バランスとか消化の良さとか、すごく考えてくれてて。


私は、今日の発見を誇らしげに伝えた。


──口では厳しいこと言ってますけど、本当はすごく気配りのできるような人?魔族?なのかなって


石の向こうで、シオさんが一瞬、息を呑んだような気配がした。沈黙が落ちる。


──……シオさん?


『……いえ。驚きました』


シオさんの声は、どこか複雑そうに、けれど安堵したように響いた。


『魔王軍の幹部といえば、人間にとっては恐怖の対象でしかありません。ですが…あなたがそう感じるなら、彼はあなたにとって、悪い存在ではないのかもしれませんね』


──はい。ヴァルトさんも、ちょっと変ですけど、なんだかんだ世話を焼いてくれますし……私、今のところはなんとか生きていけそうな気がします。


『そうですか……それは、よかった。本当に、よかった……』


シオさんの声が、少し震えているように聞こえた。

私が無事で前向きになれていることが、そんなに嬉しいんだろうか。シオさんは本当に優しい人だ。


『ユウカさん。どうか、その居場所を大切にしてください。無理に逃げ出そうとしたり、彼らを怒らせたりしてはいけませんよ』


──はい、わかってます。大人しく、良いこにしています。


『ええ。……夜も遅い。今日はもうお休みなさい。良い夢を』


──はい。おやすみなさい、シオさん。


通信が切れる。 私は温かくなった石を胸に抱きしめ、目を閉じた。


王都から逃げ出した時は、もう終わりだと思った。

私とちゃんと話してくれる人は、この世界ではもうシオさんしかいないかもとも思った。


でも、シオさん。私ここで、怖いと思ってた人たちとも、少し話せるようになってきた。それを、あなたに報告できるのが嬉しい…。


私は石を抱きしめたまま、深い眠りへと落ちていった。



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