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10話 シェフを呼んで!


魔王城での生活が始まって、はや数日。


私の生活は、あの参謀が口にした通り徹底的に管理されていた。


朝と昼は、侍女のような魔族(無口で、目が合うとすごい勢いで逃げる)が食事を運んでくる。


そして夜は必ず、彼がやってくる。


コンコン、とノックの音がする。ヴァルトがねだって付けてくれたベルは鳴らさない。きっとその動作が染み付いているんだろう。


「…はい」


扉が開き、現れたのはイグナレスだ。

今日も黒い外套を着こなし、手には銀のトレイ。彼は毎晩、夕食をこうして手ずから運んでくる。

彼はテーブルに音もなく料理を置くと、冷ややかな瞳で私を見下ろした。


「ユウカ。本日の体調に変化は?」


「あ、ありません。元気です」


「不便なことや、必要な物資は?」


「……大丈夫です。何もいりません」


毎晩繰り返される、尋問のようなヒアリング。

私はいつも通り首を横に振ろうとして…ふと、テーブルの上の料理に目を落とした。


今日のメインは、肉厚なステーキだ。湯気をたてていて美味しそうだし、濃厚なソースの香りが鼻をくすぐる。その付け合わせの野菜もつやつやしていて、スープも香ばしい香り。その食事すべてが、私には宝石のように輝いて見えた。


──今日も、とてもおいしそう…。


ここに来てから、食事が私の唯一の楽しみだった。


王都の牢屋での、あの数日の飢餓感の反動もあるかもしれない。

でもそれ以上に、この城の料理は異常なほど美味しかったのだ。

食べるたびに、生きていてよかったと思えるほどに。私そんなに食べることが大好き!というわけでもなかったのに。


私は、意を決して拳を握り、顔を上げた。


「あの、イグナレスさん」


「何でしょう」


「……シェフを」


「シェフ?」


「シェフと、お話をさせてください……!」


私の言葉に、イグナレスの眉がぴくりと動いた。すると部屋の空気が一瞬で凍りつく。…どうして?、


「……何か、食事に問題でもありましたか?」


彼の声の温度が下がった。 彼はテーブルの上の料理を、冷たく見下ろす。


「毒味はさせていますが、人間の舌に合わぬものが混入していましたか? でしたらすぐに取り替えますし、担当したシェフも…替えが利きますので」


さらっと言われた替えが利くという言葉の響きが、あまりに不穏だった。


「ちっ、違います!」


私は慌てて大きな声を出してしまった。イグナレスが驚いたように目を瞬く。


「逆です、イグナレスさん! とても美味しいんです」


「……は?」


「毎日、もう信じられないくらい美味しくて…こんなの食べたら、もう他でごはんなんか食べられません。そのくらい、感動してるんです!」


私は必死に拳を握り、熱く訴えた。

ここで私が黙ったら、顔も知らないシェフさんが処分されてしまうかもしれない。


「だから、だから…!もしできるなら、シェフの方を呼んでいただけたら、嬉しいなって……」


私は俯いて、もじもじと言葉を継いだ。


「……直接、お礼を言いたいんです」


言ってしまった。


ドラマや映画の中でしか見たことのない、セレブが高級レストランでやる「シェフをここに呼んでくれ!」だ。


まさか自分がそれをやることになるとは思わなかった。しかも魔王城で。


我にかえると少し恥ずかしくなってきた。調子に乗っていると思われないだろうか?


そっと顔を上げると、イグナレスは見たこともないような顔をしていた。ポカンとしているというか、心底「理解不能」という顔だ。数秒の沈黙の後、彼は小さく息を吐いた。


「…理解に苦しみますが」


彼は呆れたように、しかし拒絶はせずに言った。


「あなたの精神衛生がそれで保たれるのなら…許可しましょう。明日の晩にでも連れてきます」


「ほ、本当ですか!?」


「ええ」


その時、イグナレスは薄く笑った。彼は基本的に無表情だが、たまにこうやって笑う。そしてその場合、決して友好的な笑みではない。


「……ただし、覚悟しておくことですね。ここの厨房を預かっているものは、見た目も性格も……まぁ、会ってみればわかるでしょう」


「え?それってどういう」


「では、また明日」


イグナレスは私の困惑の声に答えず、さっさと部屋を出て行った。


私は戸惑いながらも、明日シェフに会える、その期待感でいっぱいだった。


イグナレスの言い方だと、どんな怖い魔族が来るのか少し不安だけど、こんなにも美味しい料理を作る人に、悪い人はいない……はずだ。きっと。多分。



翌日の夜。


私は、昨晩よりも少し緊張して、ソワソワと部屋の中を歩き回っていた。


昼間に来たヴァルトにこの話をしたら、「食事をつくるやつになんで会いたいの?それも人間の特徴?ていうか食事って作るやつによってそんなかわる?」と明後日な方向の質問攻めを散々に受けて疲れてしまった。


コン、コン。


ノックの音がして、心臓が跳ねる。


「…はい!」


「こんばんは。連れてきましたよ」


重厚な扉が開く。まず入ってきたのは、いつもの黒い外套を纏ったイグナレス。


そして、その後ろから───


ズシン、と床を揺らすような足音と共に、巨大な肉の壁が現れた。


「ひっ……?!」


思わず、息を呑んで後ずさる。


そこにいたのは、身長2メートル以上はあろうかという巨躯の、豚の顔をした魔族──オークだった。


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