約30年前の村山内閣で起きたこと
25年10月17日に村山富市元総理大臣が亡くなりました。
ご冥福をお祈りするとともに、今回は歴史的に30年前の当時を振り返り、現在にも影響することを触れていこうと思います。
◇村山内閣成立までの流れ
1989年のリクルート事件(当時の総理大臣竹下、元総理大臣中曽根など多くの主要自民党議員が関与)を皮切りに1991年東京佐川急便事件などの大企業から自民党への「闇献金」や「汚職」が発覚したことから政治不信が一気に高まり、
1992年の総選挙で自民党が大敗しました。
それに伴って93年からは非自民党の8党連合による細川政権が誕生し、事実上自民党1強の55年体制が崩壊しました。
しかし、細川総理(当時)も佐川急便から1億円借り入れていた政治資金に関する問題もあり8か月で退陣を余儀なくされました。
更に次の羽田内閣は予算が成立しただけで僅か64日で退陣を余儀なくされました。
自民党は混乱の最中、何としてでも政権復帰をしたいため、社会党党首の村山富市氏を担ぎ上げることに成功し、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立内閣が1994年6月30日から始まりました。
これは同年自民党内逆風が吹き荒れで当時の派閥が解消されたことや、
自民党内から海部俊樹元総理大臣が首相指名選挙に出馬したりするなど自民党内の分裂も影響として大きいと思います。
◇「大事件」を切り抜けきれず……。
政策面では消費税を3%から5%に上げる税制改正法案を可決するなど(実際に消費税率が上がったのは97年)、「増税大連立」とも言える流れは当時から行われていたようです。
ただ、今なお爪痕が残り続けている消費増税すらも吹き飛ぶような大事件が立て続けに起きました。
95年1月17日には阪神淡路大震災が発生。村山内閣による自衛隊出動命令が遅れたために救助出来なかったのでは? ということから後においても批判が巻き起きることになっています。
95年3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。阪神淡路の影響から事前に予兆をキャッチしていながらも警察も震災復興などの応援に行っていた影響から強制捜査が無かったのではないか? と後に麻原彰晃が分析したという話もあったそうです。
更に95年6月21日には日本で初めて強行突入が実施された全日空857便ハイジャック事件が起きました。
◇村山談話から「自虐史観」や「謝罪外交」が始まる
そして、村山内閣で最も印象に残るのは「村山談話」です。
注目の箇所を一部抜粋しますと、
『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。』
今読み返すとそこまで謝罪が詰まっている感じもないですし、
談話直後に村山総理(当時)から「法的にはもう解決が済んでいる」「個人補償を国として行う考えはない」
との考えは示しています。
ただ、この談話以前は「父や祖父は名誉の戦死を遂げていた」「侵略戦争はしていない」という認識が国民全体に強かったようです。
それを根底から覆すような日本国トップの総理大臣の談話は、
この前年の河野談話と並んで「自虐史観」や「謝罪外交」だと評価され、中国・韓国などから付け入れられる要因にもなり、保守派から猛バッシングを受け続けました。
しかし、この談話は閣議決定(全員一致が必須)でした。
自民党の大臣も閣内には多く存在した(閣内の22人中13人が自民党、対する社会党は6人)ために、片棒を担いだ自民党にも大きな責任があった筈ですが、村山元総理に責任が集中してしまったと捉えることも可能だと思います。
※2015年の安倍談話では「植民地支配とは永遠に決別する」としたものの、「侵略」についてはお茶を濁し、「未来志向」としました。個人的にはこちらの方が現代的で良かったと思っています。
◇唐突な退陣
大きな事件が起きながらも96年度予算成立までは何とか続くだろうという予測の中、96年1月5日に唐突に辞任を発表、1月11日に辞任しました。
これには日頃は村山内閣を高く評価していた毎日新聞すらも厳しく批判したようです。
これはその直後に成立する第一次橋本内閣に対して社会党が連立に残るための「密約」があったためではないかと思われます(現実は連立には残ったもののその途中で党が瓦解)。
ただ、内閣総理大臣にはなったものの社会党も1992年の衆議院選挙で大敗しており、自民党の3分の1ほどしか議席がありませんでした。
そのために何かの弾みで政権交代してしまうことは目に見えていました。
◇村山内閣の教訓
村山内閣で起きた阪神淡路大震災では、自衛隊への派遣要請を都道府県知事、市町村長、警察署長などからも行えるように制度が後に改められたことや、
建築基準法が改正されて耐震基準が厳しくなったりすることで活かされています。
地下鉄サリン事件の教訓は日本での化学兵器テロ防止のための法整備に大きな影響を与えました。
化学兵器の原料となる化学物質の輸入・扱い・管理に関しては事件当時より格段に厳しくなり、民間人が隠れて化学兵器を製造することはきわめて困難な状況となりました。
政治的な教訓としては「信念を曲げると党が崩壊する」ということです。
社会党は自民党と連立するために安全保障などで従来の主張を大きく曲げて自民党と同じような政策をとるようになりました。
そのために従来支持していた支持層は離れ、党は分裂し、継承した社民党は大きく議席を減らしました(立憲民主党の一部はその流れを汲んでいる方がいますけど)。
内閣総理大臣になりたい、政権与党入りしたいがために政策を捻じ曲げ自民党にすり寄れば瞬く間に党は砕け散るのです(ちなみに社会党と同時に政権入りした”新党さきがけ”は2002年に解散しています)。
恐らく当初は「WIN WIN」の関係も、時間が経つにつれて自民党の方が大企業や農協などの巨大後援組織を多く抱えているために押し潰されてしまうのでしょう。
巨大組織がついているあの公明党すらも「国政選挙からの撤退」が検討されているほどですからその力は絶大なのです(だからこそ自民党には消えて欲しいんですけど)。
このことは中々、国民民主党や日本維新の会が「自民党と近い」と言われながらも中々連立入りしなかった要因の一つでしょう。
しかし今、日本維新の会が連立入りしようとしているために「歴史は繰り返される」様相になりそうです。
政党は平気で信念を曲げますが、
僕自身としては信念を曲げない方が良いなと心の底から思った次第です。