魔法
召喚された部屋に戻ると先ほどまで多く詰めていた兵士たちはいなくなり、王座の前にはユーリン大統領にマスクウェを筆頭に側近と思われる人たちが待ち構えるていた。
「もういいのか、フジサキ」
小森達が戻ってきたことに気づくと大統領は先頭を歩く先生に向かって柔らかに声をかける。
「はい、貴重なお時間をいただき、感謝いたします」
「良い、気にするな。貴殿らが突然のことで混乱するのは当然だからな。そうだな。まずは、この国のことを話そう。ー」
大統領は頷くと周囲の者に目を配り、一歩前に出るとこの世界のこと、この国に起きていることを歴史を含めて順番に話し始めた。
「ーこう着状態になって長い時が経ってしまったが、魔族による侵攻は続いているのは変わらない。今も戦い傷ついているものがいる。だが我ら非力な人類には、打開策がなかった。ついには神に祈ることしかできることがなくなった。そうして貴殿らはここにいる。まさに神に選ばれたのだ。貴殿は我らの希望だ。もちろん全てを任せるようなことはしない。どうか、我らとともに魔族をまとめる者、魔王を倒してくれないか」
「一つ質問よろしいでしょうか」
「お、おい。佐藤よせよ」
大統領の話に一区切りついた時、利発そうな男子が手を挙げ前にでる。
「良い。こちらには説明責任がある」
「ご配慮感謝いたします。では、魔王を倒せと仰いますが、私たちに何か特別な力でもあると?数刻前にお見苦しい姿を見せた私たちにこの世界の人がなす術を持ちえない魔王を倒せると考えているのですか?」
大統領は佐藤の発言をうけ、真剣に考えるように間をおくと重々しく口を開く。
「断言しよう。貴殿らに特別な力はある。それは魔法と呼ばれる力だ。人によって能力は異なるが、魔族に対抗し得る超常現象を意識的に起こすことが可能となる。丁度いい機会だ。準備を始めろ!」
大統領が合図すると部屋の奥から白く長い外套を羽織った人たちが現れ、王座に設置された腰ぐらいの高さの筒状のものに対して作業を始めた。そのうちの一人が小走りでこちらに駆け寄ってきた。
「皆様、初めまして。私は魔法技術について研究を行っているリムットの研究主任ラテと申します。今後、皆様の能力向上にお力添えする予定ですので、お見知り置きを」
ラテと名乗った女性は丁寧に紹介を済ますとこれから行われることを説明し始めた。
「さて、これから皆様は一人ずつ、あちらにございます白い筒状の機械「リトペクト」に触れていただきます。魔法の有無、各種フィジカルステータスが数値化されます。そのデータは、貴方の視界に共有されるので、周囲にその情報が漏れることはございません。ただし、今後の活躍を支援させていただくため、定期的な検査のご協力と私どもがデータを管理することをお許しください」
「ラテ!用意ができたよー!」
ラテが説明をしていると後ろから明るく舌足らずな声が聞こえてきた。ローブの袖を垂らし、裾を引き摺りながらテトテトと走り寄ってくる少女。ラテは少女の方に振り返り、視線を合わせるようにしゃがむと先ほどまでの硬い声を和らげ彼女と接する。
「教えてくれて、ありがとう。リベリカ。だけど一つ間違ってるわ。ここではラテではなく主任と呼ぶ約束でしょ」
「うん?ラテはラテじゃないの。そんなことよりロブが用意できたって!」
リベリカはラテの注意も何のことやら無邪気な笑みを浮かべ要件を伝えた。ラテは仕方がなさそうに首を傾げ、生徒の方に見向き、順番にリトペクトがある場所へ行くように指示を出した。
生徒達は互いの顔を見合い、誰から行くか悩んだ。「魔法」それは物語として存在を知っているが、いざ自分が使えると言われても誰しもがそんな実感を得ていなかったからだ。もし、魔法がなかったらと言う不安とどんな魔法が使えるのかと言う期待が頭を渦巻き、クラスのお調子者達も一歩前に進めなかった。
「よし、お前らが尻込むなら俺が行くぞ、早いとこはっきりしたいしな」
様子を見かねた先生が前出る。しかし、待ったをかける声が上がる。
「先生。私に先を譲ってください。先生ばかりに頼るわけにはいかないので」
声を上げたのは委員長だった。委員長は真剣な眼差しで先生を見る。少しばかりの緊張が場を包みだす。先生はその思いを汲むように間をおくと「そうか」とにこやかに頷き道を譲った。
彼女は機械の前で立ち止まった。機械のそばには先ほどの少女リベリカとロブスタという男性、そして機械とコードでつながれたタブレットを持った鎧の人がいた。
「どうしたのかい。少し怖いかい?」
ロブスタが逡巡する委員長に優しく声をかける。
「正直なところ不安です。私は本当に魔法使えるんですか?この世界に来てからまだ数刻しかたっていないけど、魔法を使える実感なんて全くありません。」
「そうだね。君たちは魔法を使えないからね。実感がないのは当然だよ」
ロブスタの思わぬ発言に委員長は目を丸くした。
「あ、ごめん。言葉が足りなかったね」
「ロブはいつもたりない!」
リベリカの指摘に頭をかきながらロブスタは言葉を続ける
「はは、面目ない。今はまだ魔法は使えない。けれど君たちの中には魔法が確かに存在しているんだ。だけど人はね、その存在を認知しなければ無かったものとして捉えるんだ。この機械はね、人の認識を手助けしてくれる。だから不安がらずに触れてごらん」
委員長は深く呼吸をすると恐る恐る手を機械の上に埋め込まれたデバイスに手を置いた。直後、チクッと電気が流れ込むような感覚が脳に伝わる。
『インターフェースの構築完了、続いてスキャンを開始いたします』
そして、機械音声が流れる。同時に波紋のように彼女の潤沢な肌を明るく青い光の輪が広がった。
『データの統合完了いたしました』
機械が終わりを告げる音声を発すると委員長を包む光は治った。彼女は首を傾げ周囲に確認を求める。
「お疲れ様、これで検査は終わりだよ。『ステータスオープン』と念じて見てごらん」
「念じるとねぇ、視界にびゅっとでるよ!」
委員長はリベリカの仕草に微笑みながら、頭の中で念じてみる。すると視界の端に淡い青の文字が表示された。突然のことで委員長は軽くのけ反ったが落ち着いて表示された文字を見る。体力、攻撃力、防御力、知力、魔力が数値として表されており、各種耐性欄、そして魔法の欄があった。
「「統率」?これは魔法なの?」
「素晴らしい才能ですね。まさか概念系とは。おっとまた失礼しました。魔法にも色々と種類がありまして、大きく二つに分類されます。火や、水といった人の認知に関わらず存在する概念、自然系と呼ばれるもの。そしてそれら自然系も含みつつ人の認知の中で行われるものの総称、概念系。その性質上、概念系は能力の幅が広く重宝されます」
ロブスタはそういって、賞賛するように手を叩いた。しかし委員長は理解が追いついていないかのように渋い表情をしていた。
「そうなんですね。それで私のこの魔法はどのようなことができるんですか」
「それは貴方次第です。言葉の意味から能力を広げてください。貴方はすでに自分の魔法を観測した。だからうまく使えると思いますよ」
「うん!そのために私がいるからね!あんしんしてね!おねえちゃん!」
ロブスタに続くようにリベリカは委員長に向かって腕を突き上げた。委員長は少し戸惑いつつもリベリカに合わせて腕を突き出した。瞬間、クラスから歓声が上がった。そして彼女と入れ替わるように我先に機械の前に並びだすもの、より安心感を得ようと彼女から話を聞くものに流れが分かれた。
小森達三人はゆっくりと列の勢いがおさまるのを見計らって順番を待つことにした。
「二人はさ、どんな魔法が使えると思う?みずみずはやっぱり水を蓄えるのかな」
「ふふ、何それ。名前に引っ張られすぎだよ。せめて攻撃するとかにしてよ」
「え!?みずみず意外と好戦的だね」
「あ!待って。違うから。私はどっちかというとみんなを守りたいと思ってるからね」
水野は慌てて弁明すると橋本は冗談だと笑った。水野はそっぽを向き、彼女に問いかける。
「そういう千紗ちゃんはどうなの?」
「私?、うーんそうだね。私もみんなをサーポトするような力がいいかな。やっぱり誰かを気付けるのは嫌かな」
橋本がそう言うと水野は共感を示すように強く頷いた。そして二人は小森の方を見て小森がどんな魔法が使いたいのか答えるの待った。
小森は考える。視線の先にある機械の前ではまた一人魔法を知ったものが現れる。身体的ステータスが高いと褒められたと喜ぶ声が聞こえる。別のところではすでに検査を済ませたものが指先に炎を灯し、魔法を見せびらかしあう者もいる。小森の気持ちはここに来てからずっと昂っていた。
(わあ、本当に魔法を使えるんだ。えー何がいいかな?やっぱり剣を使って颯爽と戦場をかけ抜きたいなー。そうなると心眼とか察知系の能力かな。いや待てよ。氷魔法も捨て難いな。静かに相手を凍らす。うん、かっこいい)
周りの男子たちがさまざまなポーズをとっている間も傍目では参加したいと思っていた。なぜなら、小森が一番異世界に憧れていたからだ。彼女が恋焦がれてやまないクールなキャラクターは現実では少し浮いてしまう。周囲の目に晒され限界を薄々感じていた。しかし異世界なら思う存分にその存在でいることができる。
「二人が支えてくれるなら、私が戦う。私が全てを凍らす」
小森の言葉を聞いて二人は感嘆の息を漏らす。
「さすが、こもりん!支援は任せてよ!」
「うん、そうだね。まだどんな魔法になるか分からないけど、お互い無茶だけはしないようにしようね。二人が傷付いたら悲しいから。特に怜ちゃんは危なっかしいからなー」
水野の言葉に小森はギョッとした。すかさず自分はクールだと否定する。
「それは誤解。危ないのはちさ。私はクール」
「えぇえー、心外だなー」
三人は談笑する。そうこうしているうちに列に並ぶ生徒は少なくなり、小森の前、壇上ではヘッドホンをつけた生徒がリトペクトに手をかざしていた。
「なあ、元の世界に戻る方法はあるのか?」
徐に彼は儀式を側でずっと見守っていた大統領に質問を投げかける。「元の世界に戻る」ここに召喚された者にとって聞き逃すことができない重要な言葉を聞いてみんなが動きをとめ、壇上に注目する。
「戻れる方法か。貴殿らは魔王を倒すために神に選ばれてここにいる。だから魔王を倒せば役目を終え、元いた世界に帰ることができるだろう」
「保証は?」
「…残念ながらできない。ただ私は確信している」
大統領は彼の目を真っ直ぐ見つめ応える。彼は瞼を閉じ少し考えるそぶりを見せると静かに呟く。
「そうか。なら、僕はお前らに従わない」
言葉が意味を示すように彼のすぐそばにいたタブレットを持った兵士が両手で首を掴みながら苦しみ始めた。
「どうした!?」
大統領は兵士に近づこうとしたが、動くことができなかった。まるで巨人の手で掴まれているかのように体が動かせなくなる。それは、大統領に限った話ではなかった。男子生徒の周りにいた数名はもがくように顔を滲ませながら微動だにしなかった。その中に小森もいた。
「何をしたんだ?」
声を絞り出すように大統領が彼に問いかける。
「ついでだから、魔法の練習をしてみたんだ。ハハ、本当に使えるんだな。魔法」
彼は笑みをこぼしながらそう答えた。しかし、その表情はどこか寂しそうだった。
「広瀬君!どうしてこんなことをするの?」
場がどよめく中、委員長が声を張りあげ問いかける。
「聞こえないんだ」
「えっ」
「…聞こえないんだよ!彼女たちの歌が!音楽が!」
広瀬は音が消えたヘッドホンを強く握りしめながら声を荒げる。
「現実はクソだ!だけど彼女たちの歌があった。音楽があった。だから僕も生きようと思えた。でも、ここには存在しない。生きる価値なんてないんだよ!この世界に。この世界に呼びつけたお前らは現実以下だ。帰る方法がない?なら探すまでだ」
部屋の異変に気付いた兵士たちが武器を構えて続々と出てくる。しかし彼の叫びは鋭利な矢となり放たれていた。一人また一人と生徒たちが兵士たちに抵抗を始める。
「広瀬!よく言った。俺も乗るぜ!」
「私もこのまま縛られるのは嫌だ」
次々に思うがままに声をあげ、兵士たちを覚えたての魔法で倒していく。
小森は動かなくなった体で、意気揚々と炎や氷、様々な魔法で兵士たちを薙ぎ倒していく生徒たちをみて思う。クソのは広瀬、お前だと。
(クソサブが。言いたいことはわかるけど、最後にやれ!私は私たちはまだ魔法が使えないんだよ!)
小森が憤りを感じていると壇上の広瀬が手を差し伸べてきた。
「ははは、皆すごいなあ。なあ、小森も一緒にどうだ?お前は僕と同じだろう」
(同類認定するな!ていうか、解放しろ!お前のせいでこっちは動けないんだよ)
小森はふと周りの視線がこちらに向いているのに気付いた。そばにいた橋本、水野が不安そうに名前を呼ぶ。
(待って、私ついていくと思われている?。おい、そこのクソサブ早く手を引っ込めろ。私が誤解されるだろうが!)
「小森、せめて何か言ってくれよ」
広瀬のその声には諦めが滲み出ていたが、その手を引っ込めることはなかった。
(煽ってんな!…あれ、さっきからすごく注目されているけどもしかして、もしかしてだけどみんなは私が動けると思っているの?私、こんなにも動けないのに!?)
小森は周囲から答えを求められていることに気づき、焦る。そしてなんとか声を絞り出した。
「…お前のことなんて知らない。早く…消える」
「残念だよ。でもお前らしいな」
小森はいつも通り静かに答えると広瀬は肩をすくめた。そして部屋を見渡し言葉を続ける。
「僕はお前らと一緒に行くつまりは毛頭なかったが、逃げる手助けはしてやる!」
彼は言い終えると右腕を天にかざし、指を弾く。瞬間、強い光が部屋を包む。
その場にいた誰もが目を伏せる。しばらくして、光が収まり、目を開けるとそこには広瀬を含む彼に同調した生徒13名がいなくなっていた。残ったのは委員長をはじめとしたクラスの半分ほどだった。
小森は、とりあえず自分が動けるようになったことにほっと胸を撫で下ろす。すると、マスクウェが慌てて、壇上に駆け上る。
「大統領!ご無事ですか?」
「ああ」
「申し訳ございません。直ちに彼らを反逆者として手配させます」
クラスの面々はどよめいた。残った私たちはどうなるのだろうか。厳しい処罰を受けるかもしれない。自由がなくなるかもしれない。不安と広瀬たちに対する怒りの感情が渦巻く。
「よい。幸いにも誰も死んでいない。ただ動向は掴んでおけ。あ奴らも彼らの同胞だ。心配だろうからな」
「しかし、彼らはこの国に危機をもたらす存在です!」
「くどいぞ、マスクウェ。私が必要ないと言っている」
大統領は視線をずらし、マスクウェに再度意向を伝える。
「はっ、御意に。」
「あの、うちの者どもが失礼いたしました」
先生は大統領に近づき、頭を下げる。
「気にするな、フジサキ。想定の範囲内だ。私たちには貴殿らをこの世界に呼んだ責任というものがある。できる限りの配慮はするつもりだ。ここに残ったものについても先ほどの騒動によって待遇を変えるつもりはないから安心してくれ」
「寛大なご配慮ありがとうございます」
「さて、引き続き、儀式を再開するとしよう」
大統領が襟を直して、そう宣言する。部屋の奥から新たな兵士が出てくる。倒れた兵士の代わりに新しいタブレットをリトペクトに繋げる。滞在する兵士の数は先ほどの数倍に増え、部屋に緊張感が残る。そうした中、小森を先頭に再び儀式が執り行われる。
「頑張って、こもりん」
小森の後ろに立つ二人が彼女を送り出す。小森は軽く頷きながらリトペクトの前に立つ。先ほどの騒動もあり魔法に対する期待と緊張が頭を渦巻く。小森は意を決してそっと手をかざす。チクリという痛みが頭の渦を自然と溶かしいく。体を伝う青い光と共に小森の中で何かが変わっていくような感覚が脳を満たしいく。そして、リトペクトが儀式の終わりを告げる。
皆が注目する中、小森は前に習って、ステータスオープンと唱える。すると視界の端にウィンドウが現れる。小森は他の項目に目もくれず、魔法の欄を見る。しかし、そこには小森が期待するようなことは記されていなかった。あるべき場所にはアルファベットで「null」と表記されていた。
「ヌル?確か存在しないって意味じゃ。えーと、つまり魔法が無い?」
小森は思わず素でつぶやく。その声と重なるようにタブレットで小森のステータスを見ていた兵士が驚嘆する。異常を察したロブスタが兵士からタブレットを奪う。
「そんなバカな!魔法が無いなんて。ありえない。他のステータスも平均値並みかそれ以下…魔力についてはそもそも項目がない!?」
ロブスタは困惑し、確かめるように小森に再度リトペクトに触れるよう指示する。小森も自分の結果が信じられずすぐさま手を差し出す。
そして、再びリトペクトが終わりを告げる。
小森は希望に縋るようにステータスオープンと声に出す。
「っ!」
その表示は変わっていなかった。
(ステータスオープン。ステータスオープン。ステータスオープン。ステータス…)
それから何度も何度もステータスオープンと唱えた。しかし無慈悲なまでに魔法は存在しないままだった。
「…残念だけど、君は私たちと同じように普通の人のようだね」
「おねえちゃんは、いらない子?」
リベリカが無邪気にも首を傾げながら聞いてくる。慌てて、ロブスタとラテが彼女を諌めるが、小森は何かを言い返せるような気力はなかった。小森の体はつい先程動けなくなった時よりも動かせなかった。肩が重い、足が重い。あの騒動の時は感じなかった感覚が小森を襲う。周りの沈黙が刺さる。小森は壇上を降りる。
「怜ちゃん。大丈夫?」
壇上から降りる小森に橋本水野の二人が心配そうな表情を浮かべて声をかける。
小森は泣きたくなった。でも、それはキャラじゃない。小森が目指す先はきっとこういうところでは泣かないだろう。いつときも冷静で、物静でいるはずだ。たとえ魔法が使えなくてもそれは変わらないはずだ。今までもそうだったから。それに今、小森が取り乱すと二人にさらに不安を与えることになる。クールはクールだ。だからいつも通り平然とした顔で応える。
「平気。これも運命。…次はちさの番」
「そうだね。何かあったら遠慮なく言ってね」
二人は、互いに頷きあうと小森をそっと抱きしめた。その暖かさが小森の心に染みる。この二人がいるだけで十分だと思えた。
「ありがと」
そうして、小森を置いて彼女らは前に進む。小森は部屋の隅で橋本・水野がリトペクトに触れる姿を見守る。彼女らは無事に魔法を得たようだった。
そして、この世界に召喚された3年2組の生徒35名と先生1名の儀式は途中、生徒の一人が騒動を起こすもそれ以外は滞りなく終わった。彼らがどんな魔法を得たか知らないが、力を得たことで己に自信を持つ者。力を使いたいとウズウズする者。早速魔王を倒すパーティーを組もうと友達を誘う者。ここに残った各々が魔法を、この世界に期待を膨らませていた。ただ一人、小森はそんな彼らを遠目で見ていた。
「さて、皆魔法を得たことだろう。力を得た貴殿らはその瞬間、希望から勇者となった。ぜひその力を我々の世界のために使って欲しい。そして、我々の平穏を脅かす魔王を倒してこの世界の英雄となってくれ。そのための援助は惜しまない」
大統領は力強く宣言した。大統領の後ろにはこの部屋に集まった関係者たちが整然と立ち並ぶ。その光景は見るものを圧倒した。生徒たちの心は自然と沸る。そして高まった興奮が声として噴き出す。
「それでは、ささやかな祝宴を用意した。ぜひ交流を深め、この世界のことを好きになってくれ」
部屋の扉が大きく開かれ、侍女が次々と美味しい匂いと共に料理を運ぶ。一人の生徒のお腹がなる。昼食を食べ損なっていたことに気づく。生徒たちは頬張るように料理を口に運んだ。胃を直接唸らすような刺激的な匂いがするスパイスが使われた柔らかく解けるような肉の食感、甘く、後味が爽やかな不思議の形をしたフルーツ、元いた世界では見たこともない香り・味・食感の料理に舌鼓をうった。
異世界の文化交流を楽しんだ一同は明日から本格的に始まる異世界生活に備えるため、今後の拠点ともなる部屋があるフロアを案内された。各個に割り振られた部屋は広く、落ち着いた趣で飾られていた。生徒たちは避暑地にある高級ホテルと比肩するほどの部屋を案内され、喜びの声をあげて、部屋に入って行く。
小森もまた、橋本・水野に挨拶をしてから一人部屋に入る。部屋には子守が何人も寝られる大きなベットが備え付けられており、小森は落ちるように飛び込む。
「ステータスオープン」
手を天井に翳し、何度も繰り返し叫び念じた言葉を口にする。そこには相変わらず、存在しないを意味する「null」の文字が表示される。
「はあああああ」
思わず、長いため息が漏れる。小森は考える。これからどうなるのだろうと。魔法を唯一得られなかった一般人な自分はこの世界で何ができるのだろうと。そして橋本・水野二人のことを思い浮かべる。
「そうこは予想通り水を扱う魔法でちさは縫合だっけ。困ってたな、ちさ。私手術するの!?って。あー、いいなあ。…なんで。なんで私には何もないんだろう。私が一番望んでいたはずなのに。これじゃあ空っぽのままだよ…」
小森は開いた手を閉じ、ベットに意識を沈めた。
その夜、薄く灯りが灯されていた部屋でグラスが交わされる音が聞こえる。
「補佐官。召喚の儀はいかがでしたか」
暗黒色のごわついたローブを羽織った男はグラスを傾けながら、対面に座る老齢の男性に話題を振る。
「上上な結果だ。奴らはこの国をひどく気に入ったようだ。これも大統領のおかげだな」
「なにをおしゃいますか。貴方がそうなるように大統領に働きかけたのでしょう?」
「はははは、あれには気が滅入ったよ。だが、おかげで強力な戦力が手に入った。フジサキ、一人壮年の男がいてな。アイツは使えるな。奴らからの信用も厚いからうまく誘導できるだろう。そういった意味では「統率」の魔法を得た少女もだな」
男はこけた頬から伸びた髭を摩りながら満足そうに言った。
「それはいい。ぜひこちらに引き込んでみせましょう。…それにしてもウチの部下の歯が立たないものがいるとは思いもしておりませんでした」
「ああ、あれは素晴らし力だ。全ての攻撃魔法を弾き、兵士を近づかせない圧倒的な力。データが壊れてしまってどんな能力かはわからないままだが、あの場にいたロブスタがいうには空気が固まったようだったと話していた。追跡はどうなっている?」
翁が問いかけると、男の背後からフードを深く被った女性が現る。
「申し訳ございません。いづれも消息を絶ったままです。必ずや見つけ出し、差し上げます」
「当然だ。手段を選ぶな。なんとしても手に入れろ!」
「その件については後に良き報告をお持ち致します。それで、例の少女についてはいかがしましょうか」
「そうだな…」
翁は鮮やかな赤紫の果樹酒が入ったグラスに目落とすと静かに言った。
「彼女にはこの世界の日常をくれてやろう」
「それは、可哀想なことを」
「なにを言う。これも我ら人類に必要なことだ。手筈を進めろ」
「御意。すべては我らが安寧の為に」
男は口角をつりあげ、仰々しく頭を下げると部下と共に姿を消す。翁はその様子を見届けると満足するようにグラスに残った果樹酒を飲み干した。