召喚
遠くから声が聞こえる。嬉しそうに弾む音が聞こえる。笑い声が聞こえる。優しく包み込む音が聞こえる。ここは天国だろうか。朧げな世界で感覚がいち早く目覚める。肌をそっと触れる温かな熱が体の芯まで伝わる。ゆっくりと瞼を上げると不安そうに覗き込む女性の顔が映り込んだ。
「こもりん!」「玲ちゃん!」
「ちさ、そうこ?」
「うわああああん。よかったああ。このまま目を覚まさないと思ったよ!」
「!?」
小森は目を動かしあたりを見渡す。世界史の教科書で見た近世ヨーロッパの絵画のような豪華絢爛な装飾が施された空間の中、知らない、古めかしく格式のある格好をした大人達に囲まれながら私たちはいた。消えて死んだと思ったクラスメイトは、互いに無事を喜び、時には揶揄うように談笑していた。
「あの夢幻の姫も目覚めたのに怜ちゃんだけが目覚めてなかったんだよ。まあ、私たちもさっき目覚めたばかりだからあまり時間的な差はないんだけどね」
水野は小さく笑いながら、小森の現状を説明した。
「そんなことより、みずみず、こもりん。また、一緒だね!」
橋本は、目尻から流れ出す涙を繊細な指で拭いながらハツラツとした声で笑いかけた。小森はその笑顔を見て安堵した。
「うん。やっぱり、私の言う通りだった」
「あー!今こもりん。どやったでしょ。でもでも、そんな体勢で言ってもカッコよくないからね」
小森はよく磨き上げられた石製の床に足を放り投げ、二人に抱えられるように横になっていた。
「ふふ、相変わらず玲ちゃんは可愛いね」
橋本と水野は小森に抱きしめ、頭を撫で回したが、小森は何も言わず、されるがままその温もりに浸ることにした。
「おい皆!はしゃぐ気持ちは分かるが、少し静かにしてくれ!」
小森は二人に抱かれたまま、声がした方向に頭を動かすと先生が一歩前に出て私たちを見渡してた。先生は賑やかな雰囲気が落ち着いたことを見計らうと振り返りしばらくして壇の前で膝をついた。
「貴方様がこの国の元首であると見込み、奏上したい義がございます。」
先生は、壇上の王座に深々と座るロマンスグレーの男性に向かって首を垂れる。
場に緊張が走る。周囲に居た大人達は顔を顰め、後方に整列した兵士たちは腰の剣の柄に手をかける。
元首と思われる男は、軽く手を挙げ、周囲の緊張をとくと。ゆっくりと一言
「申してみよ」
と先生が話すことを許可した。
「ありがとうございます。先ほどからお見苦しいところをお見せしておりますとおり、私たちは突然のこの状況を理解できておりません。恐れ入りますが、心を落ち着ける時間とそのためのお部屋を貸していただけないでしょうか」
生徒達が固唾を飲んで見守る中、先生は臆する事なくはっきりと述べた。
「なんたる侮辱!我らが大統領に口を開く事も烏滸がましい限りだと言うに、要望を述べるとは身の程を弁えろ!」
部屋の端から頬のかけた老齢の男が声をあげなら壇上の前に出てきた。彼の声を合図に一寸のズレがなくガチャと金属が擦れる大きな音が響いた。
「弁えるのはお前だ。マスクウェ。皆も武器を下せ。貴殿もそんなに堅苦しくせんでもよい」
大統領は、椅子から立ちあがり、壇上下の先生の元まで歩み寄った。しかしローレンは苦い顔をしながら、大統領を諌めようとする
「大統領!しかし、」
「よい。私たちは魔族ではないのだ。それともお前は私に人の道を外れろと言うのか」
「いえ、滅相もございません」
「なら、下がっとれ」
マスクウェは頭を下げ、元にいた場所に帰っていた。
「…側近が失礼したな。貴殿、名はなんと言う」
「いえ、とんでもございません。私は藤崎和巳と申します」
「フジサキ、貴殿が言うように私はこの国の元首を任されている。ユーリン=フェトグラフだ。落ち着く時間と部屋だったな。もちろん用意させよう」
大統領が力強く応えると何処からともなく黒色で統一されたブラウスとフレアスカートを身につけた侍女があらわれた。
3年2組の面々は、侍女の案内に従い、侍女が身支度を整えるために用意されたと思われる部屋で腰を落ち着かせた。
「皆さま。ごく簡単に状況を説明いたしますと勇者として神に選ばれました。あなた方は私たちと共に魔王を倒していただきます。それではごゆっくりと」
彼女は無機質な声色で淡々と本当に簡単な説明だけを残し、部屋を退出した。
「ふうううううううううう!キタコレキタコレ、なあ!」
「「異世界!」」
一人の男子生徒の掛け声と共にみんな興奮して騒ぎ出した。
「えー、私。帰りたいんだけど」
「私もお家に帰りたい…」
「何言ってんだよ。異世界だよ!煌びやかな新たな世界、体験が待ってるんだよ。魔法だって使えるかもしれない」
「ふっ、うちなる混沌が鼓動を始める」
「左手が疼く」
「汝、力の根源求めし…ぶつぶつぶつ」
胸を握りしめて囁く者、左手を押さえる者、詠唱を唱え始める者。そして、それを見て笑う者。生徒の数人がそれっぽい言葉とポーズをとり始め、異世界への熱はさらに高まった。
「…ただの厨二病でしょ」
「ここでは、それが正しいんだよ」
盛り上がりが収まらない中、パンパンと手を叩く音が響き渡る。生徒達は、話しながら、音がした方に視線を向ける。
「あーお前ら!一旦落ち着け。時間をもらったからってあまりかけてらんないからな。」
「先生ぇ、さっきはカッコよかったぞ。さすが歴史講師!」
「ありがと。とりあえず、全員いるか?委員長、点呼頼むわ」
委員長は返事をすると生徒の名を読み上げる。生徒達も近くの人と顔を見合い、お互いの存在を確認する。
「先生、田中くんがいません」
「何!それはほんとか」
「はい」
先生は、生徒達を見渡すと確かに、田中の姿は見えなかった。思い返してみるとクラスを盛り上げる声の中に彼の剽軽な声が聞こえないことに気づいた。
「田中って、昼入ってすぐ学食食べに行ったよな」
「「あ〜」」
田中が食堂に向かって教室を飛び出す光景を思い出して、皆が声を漏らして頷く。
「まあ、田中はいいや」
「いいんですか!」
「田中は星となる」
「こもりん!?」
「…きっと、田中は無事だろ。他は全員いるな。手短に今後の方針をまとめるぞ」
先生は服装を整え、一息置く。生徒達は話すのをやめて、先生に注目した。
「どうやら、俺たちは異世界に来てしまったらしい。教室で起きた現象は召喚の光だったみたいだ。色々と黒歴史を作った奴もいるとは思うが忘れろよ。もちろん俺も忘れる。あとで説明があるかもしれんが、あのメイドが言うには折れたとじゃ魔王倒さないといけないらしい。早速テンションが上がってる奴もいるがお前らの中には元の世界に帰りたい者もいるだろう。俺は好きに動いていいと思うぞ。魔王を倒しにいくのもありだし、元の世界に帰る方法を探すのも、何もせず、ただこの世界を冒険するのもいいと思う。このあと、ユーリン大統領から命令を受けるかもしれない。だけど、せっかくこの世界に呼ばれたんだ各々心のままに生きろよ。少し長くなったが、先生としての話は以上だ。敵になってもよろしくな!」
「「えっ!」」
先生の敵になる宣言に生徒達は驚きざわめきだした。
「冗談だよ。だけどお前らの中に敵になる奴が出てもおかしくないぞ」
先生は笑いながらギョッとするようなことを言うと生徒に向けて最後の号令をかけた。
「それじゃあ、まあ。チュートリアルの時間だ」