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第4話(2)

夕食が済み、デザートが出る頃になって、母夫人が躊躇いがちに


「サーシャ。実はね、陛下からもう一度どうか、とお招きを受けているの。お茶のお招きよ」


と声をかけ、顔を上げた娘に告げた。


「お前が良くなったとお伝えしたら、酷く喜んでくださって、顔が見たいと仰ってね。普通の謁見では負担がかかるだろうから、この前のように、寛いでお茶を楽しみながらはどうか、という御配慮なのです。どうかしら」


宮廷の私事に招かれることが名誉であり、しかもデビュタント前の者となるとどれだけ希有なことかは、最初の招待の際に話して聞かせている。

誘いに応じることは伯爵家として政治的にも必須なことを娘に十二分に理解していて、前回は一も二もなく参ります、と答えた。

しかし、そんな聞き分けの良いはずの娘は、翠眼を伏し目がちにして、


「……おことわりは、できないのでしょうか」


と予想外の返答をした。

母夫人は、貴族らしく内心の仰天を抑え、努めて声色が変わらないように問いを重ねた。


「もちろん、明日すぐにでもというお話ではないのよ。まだ本調子ではない?」

「……いいえ」

「痛むところや、だるさは残っている?」

「いいえ」

「具合が悪いところがあれば言わなければダメよ、サーシャの健康が何より大事なのですから」

「だいじょうぶ、です」


母の優しい問いかけに、方便の嘘が吐けないアレクサンドラは、事実を答えて俯いた。

デザートは手つかずで残されている。

夫妻は戸惑いながら見交わした。

娘は好き嫌いははっきりしているが、最高の方々が関係している、つまり拒む余地がない場面で躊躇を見せるということは、余程のことである。

体調が原因ではないのなら、何が不安材料なのだろうと気を回しながら、まず父伯爵が口を開いた。


「気が向かないかい?まあ無理もない、あの時は倒れてしまうほどの頭痛だったんだろう。

サーシャにはどうすることもできなかったのだ、気に病むことではないよ。

陛下も無作法だとは思っておられない、その証拠にもう一度お招きくださったじゃないか」


母夫人は、情に訴える形で説得にかかる。


「陛下はまるで御自分のお子のことのように心配してくださって、何度もお見舞いを下さったのよ。

その御礼を兼ねて、元気になった様子をお目にかけなければ」


普段ならば、娘を甘やかすことが生きがいになっている夫妻だったが、最高の方々に関わることではその主義を一歩後退させざるを得なかった。

母夫人の弁護を受けた父伯爵は、黙りこくった娘に、胸を痛めながらも


「もちろん、他の方のお申し出ならお断りしているよ。だが、今回は他でもない皇后陛下からのお申し出なのだ。不義理はできないのだよ、分かってくれるかい」


と理解を求めた。

沈黙が場を支配する。

母夫人ははらはらと娘を見守り、給仕達は素知らぬ顔をしながら固唾を飲んでいた。

もう一言重ねなければならないか、と父伯爵が内心で激しく葛藤していると、やがて、頷きとともに、「はい」とごく小さく可憐な声が、長いテーブルクロスの上を滑るように届けられた。

夫妻は安堵はしたものの、戸惑いを濃くして再度見交わした。

娘は病を経て、まるで根本から変わってしまったのではないかと感じられた。


*


母夫人が遺憾なく発揮した審美眼と、指示に従うメイド達の適確な仕事で、晴れ姿は念入りに整えられた。

伯爵家にとっては晴れでも、名目は私事ということで、衣装は飾りの少ないパウダーブルーの柔らかいドレスが選ばれた。

髪は隙なくきっちり結い上げるより、少し後れ毛を残した型として優しげに、化粧は血色を良く見せる必要があり、施さないという選択が取れなかったが、ごく薄く見えるように気を配られた。

美しく、いつまでも視界に留めておきたいような少女には、今日は憂いの影が見え隠れし、その可憐さに花が添えられていた。

母夫人は、そんな娘の様子に気づいていたが、今日の日を恙なく終わらせることに専念しようと、敢えて声をかけなかった。


華やかな場に出たくないわけではない、母夫人とともに馬車に揺られながら、アレクサンドラはぼんやりと考えていた。

皇后陛下からのお招きに、父母の思惑に、逆らうつもりなど毛頭なかった。

相手によっては、とにかく従うことの大切さを、アレクサンドラは貴族として重々承知していた。


巻き戻る前の茶会において、陛下からは、アレクサンドラの小さなカーテシーにお褒めを頂いたのは、朧気ながら覚えている。

歳の頃に遥かに勝る、聡明で末頼もしいというお言葉に、恐れ多くも当然だと、あの時は内心得意になった。

決してそんな価値はないのに、とアレクサンドラは思い上がりを恥じる。

陛下の御前で臣下の礼を取ったのは、いずれ人の心を痛めつけ、その人生をめちゃめちゃにし、その代償として命を取られるだけでなく、懺悔の心を抱えたまま生き直すことを課せられた、鼻柱を折られた惨めな女の幼い姿なのだ。

アレクサンドラは化粧を流さないように何度も瞬いて、滲む涙を乾かそうと努めた。

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