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第3話(2)

アレクサンドラは、高熱に侵されながら、動かない身体とは裏腹に、思考は休息せずに巡り続けるという苦痛を味わっていた。

何故、与えられたのは死ではなく、時間の巻き戻しという奇跡なのだろう、と考える。

突き落とされるまでの記憶を持ったまま、4歳からやり直させる神の思し召しはどこにあるのか。

プライドの高いアレクサンドラにとっては、悪意ある仕打ちを受けたというショックを抱えたまま、もう一度同じ道を歩かされるのは屈辱以外の何物でもなかった。

代理とはいえ組織の上役であるアレクサンドラに反抗し、殺して復讐をするなど言語道断であり、正気であれば何よりもまずどんな意趣返しをするかに全知力を注いだだろう。

だが、あの時の頭痛、その後発熱しすっかり弱っているアレクサンドラは、傲慢さを、まるで巻き戻る途中で落としてきたかのように、今までの人生の場面では決して現れなかったしおらしい気持ちで、うつらうつらと考える。

頭痛は、後頭部を中心にして起きたように感じた。

巻き戻っているため傷こそないが、転落した際に床に打った部分なのだろうと思われた。

自分を突き飛ばしたピョートルの、憎しみに満ちた顔が忘れられない。

自分がピョートルにしたことを、1つずつ思い出してみる。


気が利く男だと思い取り立てた

にもかかわらず、途中で対応を変え冷遇した

部下ではない者の責任を取らせた

庶民が、あの額の借金を追えば破滅だということは当然承知だった

最下位への降格は、返済の手段を塞ぐのと同じだ

男爵家の次男から成り上がる道を、アレクサンドラは断ったのだ


何ということをしたのだろう。

アレクサンドラは、うまく動かない手を引き寄せ、顔を覆った。

自分が理屈をもって行った判断には、誰もがその通り納得して従うものだと思っていた。

身分も立場も上の者が言ったことに、反抗心を抱く可能性さえ考えたことがなかった。

それが、ただの高飛車で、思いやりのない、相手が何も見えていない、愚者の所業だったことに、初めて思い至った。


彼は、アレクサンドラを突き飛ばした後どうなったのだろう。

目撃者がなく事故で終われたか、それとも事件になったのか。

捕まれば伯爵家の人間を手にかけた罪で、例外なく死刑になる。

恐らくピョートルは、それを覚悟して事に及んだだろう。

プライドを破壊され、人生を潰され、極限まで追い詰められ、アレクサンドラへの制裁として堂々と命を奪ったはずだ。

肩を掴んだ力の凄まじさ、胸元への蹴りの強さが、それを物語っていたと今更ながら気が付く。


涙が頬を伝う。

覆っている手では受け止め切れるはずもなく、次々と生まれては零れ落ち、プラチナブロンドを濡らしていく。

もう何もかも遅い。

一時はあれほど頼りにし、心を通わせたこともあったピョートルを傷付け、1人の男の人生を台無しにした。

ぶつけられた悪意にアレクサンドラは深く傷ついたが、そんなものでは世界の調和を取るには足りなかった、

自分のしたことの代償には、アレクサンドラの命を必要とした、ただそれだけのことなのだ。

巻き戻りなどせず、ハーデスの地獄に落ちるべきだったのだ。


もしかすると、命では足りなかったのかもしれない、とアレクサンドラは朦朧としながら考えた。

恥を抱えたままもう一度生きることで、最後まで償えというのが神の御意志かもしれない。

もしそうならこの後は、ひっそりとでしゃばらず、家名を維持していくことだけに心を砕いて生きていこう、とアレクサンドラは瞬きを繰り返した。

アレクサンドラは今はまだ4歳だが、今のところ、将来当主になることは決定事項だった。

弟妹が生まれてくれればいいが、巻き戻る前はアレクサンドラが唯一の子だった。

父母が彼女を授かるまで相当に苦労したと聞いており、もう一度やり直しても期待はできないだろう。

オルトフ家の存続のためには、後継ぎから降りることはできない。

家を放り出して修道院に逃げるような無責任な振る舞いを、仮にも貴族の子女であるアレクサンドラはするつもりはなかった。

彼女の生真面目な性格的にも到底できることではなかった。

ゆえに家業に力は尽くさざるを得ないが、余計なくちばしは容れず、控えめに、誰の心も逆立てることもなく過ごせば、罪滅ぼしになるのではないか。

そうすればピョートルをあんな目に合わせることはなくなる。

アレクサンドラが関わろうとしなければ、ポジションの飛躍は起こらないかもしれないが、公証内で堅実に地位を固め、社会的信用を得られていくだろう。

それに、と子供らしい大きな瞳に新たな涙が生まれる。

恐らく、いや間違いなくアレクサンドラの専制を快く思っていなかった他の多くの者にも、要らない苦労を、物思いをさせずに済む。

全ては自分のせいだった、そう思ってしまうと、一度しゃくりあげるともはや止まらなかった。


介添えメイドが、顔を覆う主に気が付き、「どうなさいました、どこかお苦しいのですか」と心配そうに声をかけてきたが、そっと耳の下に触れるなり、静かにだが最大限速やかに部屋から出て行った。

物心付いてから泣いた記憶がないアレクサンドラは、泣き慣れていない者が泣くと発熱するというよくあるパターンに嵌ってしまった。

小康状態だった熱は再びぐっと上昇し、しばらく乱高下して、伯爵夫妻を始めとした家の者の気を揉ませた。

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