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公証長サーシャの通過点―巻き戻った今度は自分に負けずに生きる  作者: 蜂須賀漆


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第22話(2)

前回とは季節が異なっている庭は、緑が混まないように刈り込まれて爽やかになった中で、百合が随所で姿を見せるなど、確かに印象は変わっていた。

小路の途中のガーデンベンチは同じものだったがオフホワイトに塗り替えられて、今はちょうど日陰の涼を得られる時間帯であった。

もはや1人用となっているベンチに、アレクサンドラは王子を差し置いて座るわけにはいかなかったが、3度勧められて渋々斜に腰掛けた。

私的な茶会であることを踏まえ、意匠を抑えたドレスを纏っていながら着飾っているかのような華やかさと、反面微かに苦悩を帯びた面立ちの優美さが見事に調和している姿に見とれたニコライ王子は、思わず本題を忘れて声聞きたさに回り道をする。


「お父上も、午後から国王陛下に招かれていると聞きました」

「そのようでございます」

「一緒に登城されたのですか」

「はい。お話とは何でございましょうか」


少し顔にかかったプラチナブロンドから、翠眼が早くしろ、と言いたげにするりと滑る。

ニコライは、おお、と新鮮な気持ちで彼女をまじまじと眺めてしまう。

成長して気性が変わったのか、ニコライの脳裏にあった、生意気で高飛車なイメージ、何かに怯えている可憐な様子、いずれにも完全には重ならない。

大人になったオルロワ嬢は、しかし別人ではなく、それらの印象を少しずつ引き継ぎながら、王族に対する礼儀は完璧に、貴族の子女らしく艶やかに取り澄ましたところが実に慇懃無礼で、かえって明々としながら脆い敵意が感じられた。

幼子のあの時は、か弱さから守りたいと思ったが、今は今でこの上なく美しい人が強いられて居丈高になっているらしいことをいじらしく、好ましいという想いに上書きされる。

ただ同時に、これは敬遠されている、と危機感を覚え、ニコライは態度を正してオルロワ嬢に


「まず母の強引な振る舞いをお詫びします。さぞご不安な思いをなさったことでしょう」


と王家のルールを守って頭こそ下げないものの、丁重な詫びを述べた。

アレクサンドラは眉を微かに寄せただけで返答はしなかった。

不安というより不愉快が正しかったか、とニコライは内心悄然としながら続ける。


「母上の前ではお話しできないため、ここまでご足労いただきました。

お腹立ちのこともあるでしょうが、どうか心を静めて聞いていただきたい」


恐らく彼女は、2人きりにされたこの場面にて、申し込みが行われるのではと最大限の警戒をしているに違いない。

王家との婚姻は、決して当事者からは始まらない、必ず王家と貴族の家同士で、要請と承諾をして決まるもので、当事者の意思は介在しない。

それを母皇后が強引に場を設けてしきたりを破り、オルロフ家から公証を奪おうとしている、と。

まあ、母上が手段を選ばない方なのは結果的に良かったが、と奪うつもりは毛頭ないニコライは、害意はないことを伝えたくて、懇願を滲ませながら微笑みかけた。

僅かに顎を引いたアレクサンドラの正面に足を踏み締めて立ち、M公爵の助力を得て懸命に練った一世一代の計画を脳内に広げた。

息を吸い、それを言葉に乗せていく。


「個人的な話で恐縮ですが、私は臣籍降下する予定でおります」


見開かれた目が徐に驚愕へ変わっていくのを認めながら、ニコライは意味をより理解してもらうため「私は皇太子にはなりません」と宣言し、「もちろん国王陛下からもご了解を賜っています」と付け加えた。

そして、辛うじて口元は扇で隠しつつ絶句しているアレクサンドラを愛おしいと感じながら、


「ですので、堂々と貴方に申し出ることができます」


と足下に片膝を突いて、あの時と同じように騎士の礼を取り、


「アレクサンドラ・イワーノヴナ。私と結婚くださいませんか」


と告げた。


行動は一応計画通りではあった。

王家から離脱することを伝えて、結婚の申し込みをする。

ただし、期待と多少の緊張とで大分気が急いてしまい、説明すべきことを大幅に端折ってしまった。

そして、省略してはいけない箇所を欠いたことで、状況は計画の外へと逸れていくことになった。


見開かれた翠眼からは前は涙が零れたが、今回はそんなことはないだろうと、ニコライが胸を高鳴らせながら待っていると、涙どころか炎が閃いた。

たじろぐニコライの前で、ドレスの裾を乱しながら勢い良く立ち上がった炎の人は、初めて聞く淑女の甲高い怒号を、制御なく王子へと浴びせかけた。


「いい加減になさってくださいませ!

どういうおつもりですか、私は臣下でございます、だからといってこれ以上の屈辱を耐えなければならない道理はございません!」

「い、いやあの、どうなさったのですか、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるものですか!」


アレクサンドラは憤怒の境地にいた。

申し込みをしなやかに断るという心づもりを整えていたのに、予期せぬ情報が絡まって来たことで混乱し恐慌に陥り、それが王族へ非難を浴びせるという暴挙を振るわせた。

もっとも、ここまで重ねてきた辛労に怒りが注がれたため、思考力が働いていなくとも無理はないことだった。


臣籍降下?

皇太子にはならない?

国王陛下もご了解?

ならば何故私に結婚を申し込む必要があるのか?


王子の求愛を受けたこと自体でときめくような、柔軟な嗜みは持ち合わせていないアレクサンドラは、愚弄されていると感じただ腹を立てた。

アレクサンドラを皇太子妃にし、オルロフ家から後継者を奪い、破滅に追い込む道筋を書いておいて、しかし皇太子にはならないのに、求婚はするというのが、愚弄以外の何物でもなかった。



一方ニコライは、一世一代の告白を屈辱と評されたことにショックを受けていた。

想定していたのは、素っ気なく断られるか泣かれるくらいであり、このように怒りを露わにされるとは完全に想定外であった。

ニコライは、策が練り上がった後に発せられた友の素っ気ない台詞を思い出す。


(想定外のことが起こったら?何故そうなったか考えてから即興だ。そこまで僕は面倒を見切れない)


即興と言われても、と窮地に陥ったニコライは慌てふためいた。

地位的に、自分に対して腹を立てる女というのを、癇癪を起こした幼少時の妹以外見たことがないニコライは、扱いかねると思いながらも、今にも立ち去ろうとしている彼女を、「お待ち下さい、まだお話しできていないことがあります」と押し留めようとした。

ここで逃げられては、話ができる機会は二度と訪れない。

ニコライが考えた手段は使われず、彼自身はもちろん、アレクサンドラも、オルロフ家も、誰かが回す運命の輪を止められずに終わる。

そうさせてなるものか、と帰路を塞ぎながら、この上なく慕っている人を何とかして宥めなければと四苦八苦する。


「混乱させてしまい申し訳ない、舌足らずでした。最後まで聞いていただけませんか」

「もう十分に窺いました、これ以上は結構でございます。私どもがどれほど苦しんでいるかお分かりにならないのでしょう、そのような詭弁を仰れるのですもの!」

「詭弁ではありません、本当の、本心からの申し出なのです!考えた結果なのです、公証をオルロフ家に維持しながら、母上の思惑にある程度沿いつつそれを躱す方法を」


ニコライの脇を擦り抜けようと苦心していたアレクサンドラは、そこでやっと動きを止めた。

不審は晴らしていないが、耳を傾ける気にはなったらしい彼女は、上目遣いながら鋭い眼差しでニコライを射た。

王族に向けるにしては相当に不敬であったが、やっと関心を引けたニコライは一切気にせず、逆に怒りの鮮やかな輝きに感動さえ覚えながら、先程端折った説明に継ぎ接ぎを当てる。


「私は母上から『結婚相手を早く選べ、いつまでも皇太子の座を空位にするな』という指示しか聞かされておりません。

ですので、そのお言葉通りにしました。皇太子にはならないということで父上の許可を頂き、貴方に結婚を申し込んだ、というのが顛末なのです。

そうすれば、母上の指示を満たせますし、公証は今まで通りオルロフ家に維持されるでしょう。

オルロフ家、貴方、そして私の希望はこれで叶えることができます」


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