第21話(1)
部外者に、公証の内部事情を露わにし、オルロフ伯爵が頭を下げて依頼をした姿を神が憐れにお思いになったのか、官憲がピョートルと商人の親戚へ、捜査範囲を拡大したことをきっかけに、詐欺事件の被疑者が芋づる式に逮捕されるに至った。
認証申請の代理をさせたのは、他でもない商人自身だった。
代理で窓口を訪れた厄介な客も、偽の認証を使って商人になりすまし何人も騙した実行犯も、全て商人の計画した詐欺のシナリオにおいて、悪意をもって役割を演じていた。
なりすました実行犯は、落ち着いた容姿で人当たりが良く、弁舌が巧みで、賭場で小さな八百長を繰り返して生活していたのを、商人が同じテーブルを囲んだ時に目を付けた者だった。
公証を解雇された商人の親戚は助演で、公証で要注意人物とされていた者を代理に引き込んだ。
そして、計画に必須な公証側の仕掛け人としてピョートルを引き込んだのもこの親戚であった。
今まで捜査線上にいなかった商人の親戚を密かに調べた結果、自宅から、書き損じた台紙の破り捨てが幾片も見つかった。
身柄を押さえられた親戚は見苦しいほどに狼狽え、全て話せば罪を減じるとの司法取引を二つ返事で受けてぺらぺらと喋った。
それにより、計画達成の後、あと少しで国外逃亡できるところだった実行犯、無実だと暴れて官憲が手を焼いた代理の男、そしてピョートルが順次逮捕となった。
被疑者の動機はもちろん纏まった金またはそのお零れであり、ピョートルだけが公証への恨みであった。
ピョートルが確保されたのは、公証の庁舎内だった。
複数の靴が廊下を叩く騒がしい音に、アレクサンドラは来たかと、と父伯爵と顔を見合わせた。
抵抗が予想されるため、捕り物は被疑者が油断しているだろう庁舎内で行いたいと、昨晩通達を受けたところだった。
最初は断るつもりだったが、抵抗が予想されます、と傷害もあり得ることを強く仄めかされ、希望、実質は要求を飲まざるを得ず、せめて客がパニックにならないよう、始業直後か終業前の人少なな時間帯に、と頼んだのだった。
程なくして、忙しないノックとともに、官憲の小隊長が声を張り上げた。
「失礼いたします。先般世間を騒がせております詐欺事件の被疑者を検挙しに参りました」
2人が頷いて承諾を示すと、小隊長は続けて段取り通り口上を述べる。
「捕らえた者が正にピョートル・アリョシュコフかどうか、責任者の方に確認をお願いいたしたく」
「分かりました。公証長、私が行って参ります」
アレクサンドラも示し合わせた通りに立ち上がり、小隊長の後に続いた。
「離せ、触るな!僕は準男爵家の人間だぞ!」
「だから何だ、一代爵位如きが!大人しくしろ!」
「何だと!」
1階から、喧騒を貫いて怒号が轟く。
階段を降り切ったところは受付の奥のスペース、職員が客の前から下がって事務処理をする場所になっている。
罵声はその床にうつ伏せに押し付けられたピョートルが発していたものだった。
こんなところで捕らえたのか、こんな屈辱的な姿勢を取らせて、とプライドをずたずたにされただろう彼を想像して胸が強く痛み、アレクサンドラは制止のために口を開こうとして、ヘリンボーンの床に転がる鈍く閃いたナイフを見つけて、階段の途中で動けなくなった。
事務で用いるペーパーナイフの大きさではない。
十分な装備をした隊員の1人が、呆れ顔で指で摘まみ上げたことで、ナイフの持ち主を嫌でも知らされることとなった。
公証の職務中もずっとこれを持ち歩いていたということだろうかと、手すりに頼って何とか立位を保つ。
「どうです、確かにピョートル・アリョシュコフでしょうか」
傍らからの問いに、アレクサンドラは手すりを握り締めながら、「ええ」と呟いた。
後ろ手の拘束を受け、連行しろ、という指示とともに引っ張り上げられて、直立と人間の尊厳を取り戻したピョートルは階段の途上のアレクサンドラに気が付いた。
認識は、表情をすぐに別な感情へと描き変える。
アレクサンドラにはそれには非常に見覚えがあった。
(憎しみ……)
目は愉悦に、唇は狂気に歪んでいるのはあの時、突き落とされたあの時と異なるが、その源は憎悪だった。
上位者を敬い、部下を思いやる、きびきびとした働き、濃やかな気づかい、それら全てが嘘で幻だったかのように、相対しているのはピョートルの造作をした別人としか、アレクサンドラの目には映らなかった。
既にアレクサンドラへの敬意などは掻き捨てたらしい醜悪な別人は、嘲りを込めて唾を飛ばした。
「当然の報いですよ。これで公証の評価は地に落ちる、オルロフ家は公証を剥奪されるでしょう。ざまあみろ!」
公証の剥奪という発想は、ただの怨恨であれば思い浮かぶまい。
アレクサンドラはそこに叔父の関与を感じ取ったが、それよりもこれほどに憎まれたのかと
あの時、突き落とされた理由は十分にあった、彼の人生を破壊したという反省が、長らくアレクサンドラを苦しめた。
しかし今、巻き戻り怯えよろめきながらやり直したこの"2回目"でも、彼に対しそれほどの仕打ちはしていないつもりでも、彼は破滅し、そしてアレクサンドラは憎まれるという結論は同じになった。
能力に対する評価が不十分だという主張を棚上げにしていた落ち度は感じた。
しかし父伯爵が、リスト化の件で、幅はあれども職員への金銭的な特別手当を行ったはずだ。
それでも足りない、という不満は内心に留まるまでなら抱くのは自由だが、それをこういう不法な形で表明するのは手段として不相当に過ぎるのではないだろうか。
アレクサンドラは、上に立つ者として、そして彼に惹かれていた者として済まなく思いながら、この、彼が犯罪者として永遠に公証から去る瞬間に至って、一言物申すことを選んだ。
「あなたの家も、爵位を失うのよ」
準男爵は一代限りの脆い地位であり、どんなに功績を残そうと、身内から犯罪者を出した家に再度爵位を許すほど、国家は寛大ではない。
乱暴に引かれていたピョートルが、その場にぐっと踏み止まる。
さっさと進め、と隊員から小突かれ蹴られたピョートルは、振りもぎる動作をしたが叶わず、せめてもの抵抗と言いたげに顔をアレクサンドラに向け、
「それも全て皆あなた方のせいですよ。醜悪だ、あなたは」
と吐き捨てた。
先程とは異なり、表情からは嘲りが消えて悔しそうに、声は震えていた。
失敗に終わった時に、家を巻き込むという想像と覚悟はなかったのかもしれない、とアレクサンドラは初めて見苦しい者に感じた。
それと同時に、私は人を見る目がないのだろうか、と庁舎から出ていく惨めなピョートル・アリョシュコフを、今度は見下ろす位置に立ちながらひたすらに寂しく思った。
ガツン、という衝撃は、いつの間にか聞こえなくなっていた。




