第19話(2)
台帳管理責任者は、相手がお嬢様なのを忘れ、とんでもない、と声を荒らげた。
「中身をすり替えるなんて言語道断でございます、あり得ない。台帳を決められた場所から外に持ち出すことは絶対に不可能です、体格の良い男でもどこに隠していられるものではありませんし、すぐ誰かが気づきますよ。台紙だけ変えるのだって、あり得ません、あってはいけないことです」
それでもアレクサンドラが、職務上の責任感は二の次に、物理的な可否の観点だけで考えて欲しいと窘めると、渋々、
「台紙をすり替えるだけなら、誰もいない隙を見計らうということは、できなくはないと思われます。ただしヒヤヒヤしながらでございますよ。台紙を持ち込み、持ち出すのは、書類の間に挟んで何とかなるかもしれませんが、紐を解いて、丁寧に台紙を取り出し、偽りのものと交換して、また綺麗に綴じるというのを、誰が来るかもしれないという緊張の中2回行うという綱渡りになりますゆえ」
話しながら、再び腹立ちが競りあがって来るらしい責任者をよそに、アレクサンドラは思索した。
リーディアの言うことが正しいと仮定すると、誰かが、今回の認証が行われる前に偽物を挟み込み、終わった後に本物を戻したという顛末になる。
目的、少なくとも直接の目的は偽りの認証をさせることだ、それを使って詐欺を働くためだ。
認証申請の代理を頼んだ者、それを使用して実際に欺いた者は間違いなく灰色の枢機卿として、黒い幕の陰にいる。
何故、認証書の偽造ではなく、嘘の認証が行われるように仕掛けするという、危険な方法を取ったかというところは、捜査者ではないアレクサンドラには目途を立てるのも難しい。
可能性は、印章の持ち主である商人自身や、代理で窓口に来た者も被疑者という、最悪のところまで広がりうる。
彼女が確実に分かり、行動の糸口にできるのは、公証の中に共犯者がいるという点だけだった。
しかもその共犯者は、嘘の認証が詐欺に使われるところまで知った上で仕掛けをしたのは間違いなかった。
何件か同じように台紙をすり替え、次の認証時にページが開かれ地雷が破裂する、その可能性もなくはなかったが、すり替え時のリスクが高すぎるし、詐欺が本来の目的なら、地雷が踏まれる時期が読みづらくては犯罪のシナリオが不安定になるだろう。
特定の人物だけをターゲットに絞ればそれは軽減される。
アレクサンドラは、台帳管理責任者が今回の台紙を押さえた時以前に、公証にて認証を行った記録を全て、内密に持って来るように指示をした。
本当は台帳の閲覧記録が整理されていれば良かったのだが、存在していないため、代わりに認証の記録を洗うことにした。
内部犯は、差し替えるのに2回台帳を触っているはずであり、しかも虚偽の認証の前後1回ずつなのは確定している。
発見される危険が非常に高いなら、自分が申請を処理する際に、正々堂々と台帳を広げられるタイミングを狙うかもしれないと見当を付けて、アレクサンドラは記録の一覧から、今回の台帳の中に綴られている者を探していく。
記録は非常に数が多く、記録の字に巧拙の幅があり、しかも内部犯の疑いを誰にも知られてはいけないため、執務室への入室は、今までのノックのみから、ドアの外に待機しているメイドに声をかける方法に一時的に変更した。
所用があって職員を受け入れる時は、記録を隠してから入室許可を出し、退出してから再度机に出して作業を再開する。
決裁や相談で来室する者は少なくなく、その都度中断を強いられ、しかし決して辟易を滲ませないように快く招き入れる。
あまり時間がない、王室から再度圧がかかればそこで終わりになる。
公証への非難の声も少しずつ囁かれているという話も、叔父が何かしきりに活動しているという噂も聞いた。
アレクサンドラは己に鞭打って、感情を頭から追い出し、目の前の膨大な記録に集中した。
ノックとともに扉が薄く開き、申し訳なさそうなメイドが姿を見せる。
「お嬢様、ご相談ということで何人か参っています。見直しの件ということですが」
アレクサンドラは、顔を上げながら記録の束を抽斗に片づけ、「通してちょうだい」と立ち上がった。
零しそうになる何度目かの溜め息を堪えて唇を引き締める。
事件で騒がしかろうと、日常業務は続けなければならないし、手続の見直しはアレクサンドラが始めたことだ、間が悪いと思うのは身勝手が過ぎる。
ソファに腰を落ち着けると、固い動作で入って来た中堅と若手4人に、おかけなさいと丁寧に声をかけた。
「お忙しいところ申し訳ありません、ご指示いただいておりました見直しについて、時点報告をと思いまして」
「時点報告?」
終わってからで良いのにと不思議に思ったが、説明を聞いてみると、検討するうちに添付する書類を省略すべきかどうかで意見が分かれ、判断を仰ぎたいということだった。
片や他の手続で提出がされていればそちらで足りるし客の負担が軽くなる、片や関連に乏しい手続、例えば住所地の証明を受け付けるのに、印章の認証部門が保管している書類を借りに行くのは非効率という状態で結論が出ないという。
仮に結論を出しても、アレクサンドラの考えと異なると全体の再検討が必要になるため、手戻りを懸念したのだろう。
とはいえ、実務感覚に劣るアレクサンドラは、4人へ質問をし、その答えをもとに案を考えて意見を聞く、という手順を取った。
4人は、入室時の緊張を通り過ぎると、お嬢様の求めに臆せずなかなか積極的に発言をした。
全員での議論は煮詰まり、後は職員と客の間のどこで吊り合いを取るかの判断という段階になって、アレクサンドラが考え込んでいると、4人のうち若手の女性から、「あの、補佐。お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」と躊躇いがちに声がかかった。
アレクサンドラが目を上げると、意を決したという
「公証をお辞めになるというのは、本当でございますか」
と尋ね切った。
「こらエミーリヤ!無礼なことを!」
慌てた中堅をやんわりと制して、アレクサンドラはエミーリアに尋ねた。
「いいえ、そういう噂があるの?」
「いえあの……ええと、恐れ多いことですが、その、第一王子のお妃に選ばれている、とか」
「僕、いえ私も聞きました。正式な使者が立つのも時間の問題だ、と」
「でもそうしたら次の公証長はどうなるの、お妃様と公証長を同時にはできないでしょう」
「それは公証長の甥御がいるから大丈夫、だって聞いたよ」
「やめないかアンドレイ、グリゴリーまでまで!」
「グループ長だって納得できないって仰ってたじゃないですか、やり方が汚いって!」
「それはそうだが」
アレクサンドラは、そうやって振れ回って外堀を埋めているのか、と目を閉じて突沸した怒りを抑えようとした。
オルロフが断れない、断らないように舞台を整え、帝国民の間で既知の事実となったところで満を持すつもりなのだろう。
皇后陛下が叔父上に指示をしたのではないかと疑われるほどに、皇妃選定と現公証への批判が現れた時期とが噛み合っている。
叔父上のことを、アレクサンドラ自身は、癖のある人だと聞きながら特に何とも思わずここまで来ていたが、父母の言うとおり、オルロフでなくなってからも公証への執念を未だに失っていないことを恐ろしくも、我が親族ながら貴族の品格もない狡猾さに爪弾きしたい気にもなった。
軽く咳払いをした中堅が、「恐れながら申し上げます」と彼女の思索を遮った。
少しだけ躊躇を見せてから、彼は胸を張って言った。
「我々は公証の職員に過ぎません、たとえ経営される方がどなたになっても、口を出す権限はございません。
しかし、経営される方について、好悪いずれかの感情を抱くのは我々の自由だと思っております。
職務を懸命にこなすとともに、ご指示のあった改善を着実に進めていくのが、我々の意思表示でございます。
非力でございますが、我々に何かできることがあれば仰ってください、少なくとも私は、現体制が続くことを強く希望しております」
「あっずるいです自分だけ。私達も、私達もです」
若手達も皆力いっぱい頷いている。
公証の人間ということで職務上、ともすると日常でも後ろ指を差されているかもしれない彼らが、彼女達の姿勢に理解を示し、心配してくれている。
全員が全員、このような考えを持っているわけでないだろうが、アレクサンドラは胸がいっぱいになり、しかし立場的に、また議論の途中である今ここで涙ぐむわけにはいかず、
「ありがとう。とても、嬉しいわ」
誤魔化すためにとっさに零した掛け値なしのはにかみに、全員が息を飲んで赤面した。




