第18話(2)
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至極急な招きであり、何故このタイミングなのかと動揺しながら、「大変なことになっているようだな」という皇后陛下の呼び掛けに、オルロフ伯爵夫人は、お耳汚しをしております、と礼を取った。
普段は決して入れない、皇后の私室に迎え入れられたことも、嫌な予感を誘う要素だった。
室内には、皇后と2人きりということはなく、I公爵夫人とK公爵夫人も席に着いていた。
特に親しく願っているわけではない方々であることに、伯夫人はこの会合の意図を掴みかねて、しとやかな笑みで隠した内心は非常に困惑していた。
茶を勧められてもなかなか手に取れない伯夫人に、K公爵夫人が、さも心配そうに身を乗り出す。
「被害を被ったのが平民だというのは、不幸中の幸いでございますね」
「ですが1人ではなく、何人もいるとか。それから、その平民と取引をする予定だった貴族もいるというお話ですわ」
「まあそうでしたの、初耳ですわ」
「最も被害が大きい平民は商人で、貴族の皆様になかなか顔が利くというではありませんか」
「そのようですわね、我が家は特に関わりはございませんでしたが」
「我が家も」
会話内容は事実であり、皇后陛下が驚きもなく耳を傾けているところを見ると、この2夫人は賑やかしが役割のようだった。
慰めるために招かれたのではなさそうだと、火のように噂が広がることに伯夫人は嘆いた。
どのような御用向きで、と尋ねるのは不敬であり、末席の伯夫人は声をかけられるまで、会話を聞いていることしかできなかった。
「しかし詐欺とは。犯人はまだ逃げているのでしたわね?」
「はい、そのように聞いております」
話しかけられれば話しかけられるで、針の筵に座る思いをする。
「司法部門がすぐに動いたはずですから、直に捕まりましょう」
「しかし後始末が大変でございますわね。被害者は、酷い損害だと騒いでいるようでございますよ。もちろん第一には犯人が償うべきでしょうけれども、今回はその、ねえ?」
扇の陰からの一瞥から顔を逸らした伯夫人に、皇后陛下が語りかけた。
「金銭の損害は如何様にもなろうが、信用回復の方も気に欠けねばなるまい」
助け舟は泥船であったが、誤魔化すという選択肢はない。
伯夫人は、何とか鷹揚さが剥がれないよう耐えながら答える。
「……はい、陛下から賜った権能でございますゆえ、このような事態を引き起こしたこと、公証長ともども猛省しております」
「これ、そんなに萎れるでない。我らは、長く交渉を務めて来た家として、オルロフの血統を信頼しておる。そうでなければ、陛下はすぐにでも権能を取り上げたであろうよ」
皇后は取り上げたカップに口を付けてから、呟くように言った。
「当面の対応はイワノフがするゆえ問題はないであろうが、信用を取り戻すのには長い時間がかかるであろう。
もし、イワノフが責任を取って公証長を譲る、などを思い立てば、その責務はオルロワ嬢の両肩にかかる。不憫でならない。
これを機に、公証に対する他の不満が噴き出さないとも言えぬ。もちろん私個人は、そなた達はしっかり務めてくれていると思っている。しかし、良家や民草がどう思っているかは別だ」
扇を持つ手が震えた。
イワノフ、伯夫人の夫であるオルロフ伯爵が責任を取って座を降りるという考えは、皇后陛下独自の思い付きなのか、それとも国王陛下がそのようなご意向なのか。
また、皇后陛下は"他の不満"に言及した。
それは、オルロフ家が認識していない不満の存在と、その内容を皇后陛下は知っているということを暗に意味していた。
呟きは続く。
「私はな、逃げても良いのだと思うぞ、オルロワ嬢は。あのような可憐で才ある者が要らぬ苦労をし、茨の道を進む必要はあるまい。
……王室はいつでもオルロワ嬢を受け入れよう」
公爵夫人達は声を揃えて「まあ!」と感嘆の声を上げ、今回の招集の意図はこれだったのか、伯夫人は絶望的な思いを抱いた。
「しかし、それでは公証が……」
「維持できぬか。しかし、家名の維持であれば他の方法もあろう」
皇后陛下の指摘に応じて、公爵夫人連が話を繋げていく。
「そうでございますね、伯爵の弟御には息子が何人かおられたはず」
「ああ、養子でございますか!他家とはいえ、オルロフの血は流れております。とても良い思いつきでございますわ」
「オルロフ家さえ良ければ、王家も後押しができる。不満の声も自ずと消えよう」
何ということ!
皇后陛下の意図は、偏にアレクサンドラを皇太子妃にするところにあった。
そのために、公証を弟のセルゲイに渡すことになっても構うところではない、と言うことだ。
公証が、王が授けた権能であるゆえ、強く要求できなかったところに、今回の事件が絶好のきっかけになったのだろう。
オルロフ伯爵の公証長としての資質の疑義、家としての責任の取り方、アレクサンドラを差し出せばそれらを不問にするだけでなく、王家として庇護すると仰せなのだ。
我が家が弟セルゲイで苦労しているのをご存知なのに、と伯夫人が真っ青になったところに、皇后陛下は素知らぬ顔で、
「大切な一粒種の平穏無事な幸せが、何より大事ではないか。親心というものはそうあるべきだ、のう?」
と全員に向かって同意を求めた。
*
招集と時をほぼ同じくして、ウリヤノフ侯爵心得セルゲイ・ペトロヴィッチは、L伯爵夫人の主宰するサロンで熱弁を振るっていた。
「公証は、恐れ多くも聖帝がソルトモーレを建国され、その御子達が国の仕組みを精緻に整えられて以来、代々オルロフの血統が授権し、厳格に運用してきたところであります。
ところが、地位に甘んじた結果、時の流れとともに徐々に惰性へと陥り、利用する側に不便を生み、果ては今回のようなセンセーショナルな事件が発生するに至りました。
これは、我々の安定した生活と社会経済活動の危機であり、貴賤を問わず注視すべき由々しき事態であります」
そうだそうだ、と野次が飛ぶ。
このサロンは、才能があり、知恵と知識を求める者なら平民も参加でき、発言を許される自由な場所であった。
勢いを得て、セルゲイはますます感情を高める。
「現公証長は、今回の醜聞の責任から逃れることはできますまい。
公証は、もはや生まれ変わる時期に来ているのです、新しい風が必要なのです。
そのために私は、たとえ愛する兄であろうとも、批判を躊躇することはない!」
愛してなどいないくせに、という指摘は睨み付け、新しい風とは、という問いにはにやりと笑って、
「もっとも、オルロフに権能を授けられたご聖断は固持されなければなりませんが」
と言った。
ではどういうことになるとざわつきの中で、意図を知っている者はそのとおり、と賛同する者と、詭弁だと騒ぐ者とに分かれた。
そこへ、L伯爵夫人がいつもと同じ尖った声で
「では、かの賢く麗しきご令嬢が家を継げば解決でございますね。デビュタントも済ませておられるし」
と嘴を差し入れた。
セルゲイは、サロンの主に対し、唇を嫌な形の弧に歪めて、「さあどうですか。夫となられる方のご意向次第でしょうな」と呟いた。
「どういうことですの」
主の尋ねに答えないでいるセルゲイに、オルロワ嬢の美を知り、肩を持つ者達が、口々に擁護の野次を投げ込み、血気盛んなセルゲイ派と揉み合いが始まった。
防衛のため、セルゲイは声を張り上げ、声量に婦人方の耳を塞がせた。
「公証が変わっていくためには、もっと適任を長の座に据えるべきであります。現公証長の血統にはその能力がないと私は見ております」
お前だって血統だろ、という刃が飛んで来たところで、セルゲイはとうとう、黙れ!と貴族らしからぬ罵声を発した。




