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公証長サーシャの通過点―巻き戻った今度は自分に負けずに生きる  作者: 蜂須賀漆


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第14話(2)

自室に戻って来るなり、カウチソファが軋む勢いで身を投げ出したニコライに、不機嫌の理由を察している侍従は、慰めようもないことを知っていることもあって、黙って主の上着を床から拾い上げた。

床はいつも塵一つなく掃き清められているが、念のためと全体を払っていると、苛立たし気な声で呼び付けられた。


「なあミハイル」

「はい、殿下」


ああ、先手を打って飲み物でも勧めるべきだった、とうっかりしていた自分を責めながら、侍従は畳んだ上着を腕にかけ、折り目正しく頭を下げた。

主である殿下は、行儀悪くソファから手足をはみ出させたまま上を向いている。

向いている、というより睨んでいるに等しい第一王子は、「うんざりする」と口を開いた。

有能な侍従ミハイルは、聞き返すなどはせず、「は」と頭を下げたまま応じる。

ニコライは気にした様子もなく、


「肖像画と釣書はもう見飽きた。ここのところ毎日のように何人か吟味させられている」


と続けた。


「左様でございますか。お気に召した方はおられましたか」

「いるわけないだろう。デザートにはどれを食べたいか、というような選択を何故女性で行わなければならない」

「仰るとおりではございます」

「全ては母上だ、目移りするでしょうと揶揄われるが、目は笑っておられない。私がどういう反応を示すか観察しておられる」


人選は当然母皇后が行っており、実際の候補は絞っているのだろうが、容易に首を縦に振らない我が王子のために、最低限この者なら何とか、というラインも取り混ぜていると思われる数だった。

伝手を頼り、是非我が娘を、と母皇后に売り込む下級貴族層もいると噂されている。


「何故、今婚約者を決めなければならないのだ。それも母上のリストの中から」

「それは」

「分かっている、立太子を睨んでいるのだろう」


ソルトモーレの立太子は伝統的に、皇太子妃との婚姻披露を併せて行うこととなっている。

ニコライは既に適齢期に入っており、お相手は、と国中が色めき立っているのは誰もが知っているところだった。

目下、ニコライには弟が1人、その下に妹が3人おり、全員が帝王学の基礎を学ばされている。

後継者候補には困っていないが、いつまでも皇太子の座を空位にしておくのは国が不安定になる。

ニコライは、王子として当然それを理解していた。


「だからといって、強制されて選ぶものではない。心が自然に決まるまで待つべきものではないのか、こういうことは」


辟易を湛えた主の嘆きに、侍従は一理あるとは思う一方で、王家に仕える立場上容易に同意するわけには行かず、模範解答を口にする。


「殿下は十分な御歳でいらっしゃいますゆえ、ふさわしい方をと、両陛下ともども急いておられるのでしょう」

「……ご心配など無用なのに」


小さめの呟きを侍従ミハイルは耳聡く拾った。


「不躾ではございますが、もしやお心に留めた方などがおいでで?」


侍従が仕えるのは王家である。

たとえそれが王子のものとはいえ、情報を最上の方々に速やかに知らせる職責がある侍従は、立場を少し踏み越えた問いをかけた。

ニコライは侍従を一瞥し、「いたらどうだというのだ」と機敏に跳ね起きて正しい姿勢で座って睨んだ。


「いえ、陛下にお願いなどなさらないのかと思いまして」


踏み込んでしまった侍従は、宮殿内で囁かれる噂や、皇后の侍女がとある令嬢を御前でさりげなく褒め、皇后はそれを退けずにこやかに耳を傾けている、それらを全て繋ぎ合わせて、慎重に核心の淵を歩く。

ニコライは組み合わせた手に顎を乗せ、簡潔に


「しない」


と答えた。

侍従はさらに尋ねようとしたが、むっつりとした表情を窺い見て、長年の勘を働かせて留まることにした。


侍従の勘は当たっており、実際ニコライは葛藤していた。

王家の一員である以上、立太子の覚悟は持ち合わせている。

が、妃候補が決まれば最後、一連の儀式に向けて一気に事が進む。

そして、現段階では、その候補にかの人はなり得ない、その一点がニコライに二の足を踏ませていた。

ソルトモーレは他国と異なり側室制度はない。

仮に存在したとしても、彼女を側室に甘んじさせるならば、彼女に真心を示したことにならず、迎え入れない方がましだとすらニコライは考えていた。


彼女は公証の補佐を務めていると聞く。

デビュタントを終え、オルロフ伯爵家でも婚約相手の選定に入っていることだろう。

将来公証長になる伯爵家の娘だとしても、あの若さで補佐になるのは相当に聡明であることが推察された。

それに加えてあの容姿、並みの相手では釣り合わない。

公証長の配偶者、現在の伯爵夫人は家業には一切関わっていないが、歴代では公証長の補佐を務めている者も何人かいたはずだ。

生半可な者では才色兼備極まる彼女に臆してしまうだろう。

そんな彼女の夫君の座に、誰が収まるのか。

想像するだけで、再度ソファに身を投げ出したい気持ちに駆られたが、侍従に2度も行儀の悪いところを目撃されるわけにもいかない。

もはや1度も2度も変わらないところではあったが、如何にも悩み抜いていると察知されたくはないところだった。


ニコライの心配空しく、日頃感情豊かな殿下とは異なる態度に心情を察した優秀な侍従ミハイルは、召し替え用の上着を恭しく主の肩に着せ掛け、お飲み物をお持ちいたします、とニコライの私室から去った。

どうすればいい、という考えが循環しているニコライは、不要だ、という指示すらしそびれてしまった。

そして王子の様子は、この後皇后へ報告されるのだった。


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