第14話(1)
アレクサンドラの着想は、学習から得たものだった。
教養として学んだものの中では、どの教科にも、程度の幅は大きいが研究対象の分類が行われていた。
自然、人文、社会、応用など、科学と呼ばれるものは、ありとあらゆるものを、それぞれの分野内で分類することで、類似や違いを整理し、理解を深めるのに繋げていて、覚えやすい便利なやり方だと感じながら学んでいた。
それが、産業の実務分野になると突然、見て覚える、という手段だけが存在する世界になる。
職人の腕が物を言うのであればそれも有効だが、公証のような手続に特化した、しかも複雑な内容を理解し、目の前の来客の要求に合わせて知識を出し入れする必要がある分野で、見て覚える以外の習得方法がないのは、あまりに不経済だ。
これを見れば誰でも分かるという、確認すべき項目や書類を分類したものがあれば、ポリーナのような入りたての若手も、ミハイルのような教える側の中堅も楽になったりしないだろうか。
F男爵への説明のためという名分を前面に出したものの、アレクサンドラが書き出しを指示したのはそういう動機からだった。
それで楽になるかどうか、正直なところ自信はなかった。
なかったが、口を利いたことが全く、あるいはほとんどない、親しくない相手に悩みを話してくれた。
公証の補佐として、聞くだけ聞いて何も策を講じないのは愚かすぎる、そう思ってアレクサンドラは脳を最大限に回し、その結果、分類の概念を公証の実務に引っ張る案に飛び付いた。
謝罪に向けたアレクサンドラの段取りを、父伯爵からは、どんどんやりなさいと手放しで賞賛されたのも後押しになった。
考える時間がないままの浅知恵だったが、筋は悪くないはず、という直感を信じて、アレクサドラは翌日持参された案を、質問や意見を交えながら、3人とともに懸命に手直しした。
別に、F男爵への謝罪に完成を間に合わせる必要はないのだが、完成と未完成では、対面したときの心持ちが異なる。
苦情への対応の一手はもう打ちました、と報告できるのは強い。
また、部下が努力して、指示どおりの時間に精一杯の案を持って来てくれたことで、この勢いのままやり遂げたかった。
1時間ばかり額を集めて、これなら何とか、という形になった。
「ではこれを清書して、明日からこのリストを実務で使ってみてちょうだい。2週間経ったら、使い心地をまた話し合いましょう」
「使い心地、でございますか?」
「ええ。皆の力で形はできたけれど、これで完成ではないわ。不具合が出てきたら直さなければ」
アレクサンドラは、修正が書き込まれて黒っぽくなったリストを多少苦労しながらもう一読の後、上役に預ける。
そこへノックの音がして、メイドが迎えの馬車が来た旨を控えめに知らせた。
隠しポケットから取り出した懐中時計は、間もなくF男爵との面会に出発する時間を示しており、アレクサンドラは後を任せて執務室を後にした。
F男爵への同行については、父伯爵には止められたが、最初に相談を受けたのは自分であるし、対応の仕方を学びたいからと懇願して、父を感涙させた。
F男爵は、公証長の伯爵だけでなく、今般特に美しいと評判の補佐令嬢の訪問を受け、完全に気圧されたようだった。
これを機に要求しようと目論んでいたF男爵は、準備していた言葉を全て飲み込む羽目に陥った。
挨拶を含めた丁重な詫びは、全て父伯爵が述べた。
再発防止に触れる場面でだけ、父伯爵が「補佐である我が娘が、同じご不便をおかけしないように、早速対策に取り組み始めておりますゆえ」と紹介をし、アレクサンドラがしとやかに頭を下げる。
「誠に失礼ですが、その対策というのは、どの程度機能すると考えればよろしいでしょうか」
せめて一矢、とF男爵が尋ねたのは、不満を持つ公証の客の立場としては軽い嫌みだったが、爵位が上の者に対しては言葉どおりかなり不遜だった。
しかしアレクサンドラは物ともせず、父が代わりに答えようとするのを断り、
「現在、職員達が鋭意改善に取り組んでおりますゆえ、今後、ご不便はおかけしないものと考えております」
と緩やかに微笑んだ。
F男爵は初見の者の例に漏れず赤くなり、そうでございますか、としどろもどろに答えるだけで、会見は公証側にとっては恙なく終わった。
うまく行った、のかもしれない。
その夜、メイドが明かりを消して退出して行ってから、ベッドに身を横たえたアレクサンドラは、天蓋に包まれた薄い暗闇を、漠然と見上げた。
補佐に復帰してからずっと気を張っていた。
何を言うかではなく、誰が言うか。
心の中でそれを唱え続けながら、職員の顔をどうやって見ればいいかと四苦八苦した。
声をかけ、話を聞く、それが正解かどうか分からないまま、必死で日々を過ごした。
不安定な足場、どこに足を降ろせばいいのか戸惑い、一歩進んでは足元を見ては顔を上げ、顔色ではない、機嫌を窺うのではないと自分に言い聞かせる、を繰り返した。
そのせいなのかは判然としないが、相談に応じる形とはいえ、巻き戻る前はあんなに抵抗されて実現しなかった改善が1つ、結果的に比較的すんなりと実現した。
これで合っているのだろうか、とアレクサンドラは目を閉じてみた。
できることなら農夫ミハイルに尋ねたかったがそれは叶わないし、彼ならば尋ねても答えてはくれないだろう。
ほとんど目を合わせてくれなかった農夫が、妻の茶々入れには面と向かって怒鳴ったのがちぐはぐで、思い出すと少しおかしかった。
あれは恵みの雨だった、脚にこびり付いた泥は神が足止めをしてくださった証ではと、今さらながら思えて来た。
巻き戻りからずっと張っていた気が、初めて少し緩んだと感じる。
心地良い眠気に意識を沈められながら、これが達成感というものだろうか、とアレクサンドラは眠るのが惜しい気持ちになって、何度か寝返りを打った。
2週間後、アレクサンドラは公証の執務室にて、件の3人からリストの使い勝手に関して報告を受け、挙げられた問題点を修正する知恵を皆で絞っていた。
実務では、担当者がそれぞれこのリストを使って対応に当たり、記載や書類が整っているかチェックするのに便利で、何が足りないかを簡単に判別できるという意見が大半だったという。
問題点についても、そのいくつかは既に適切な案が用意されており、アレクサンドラはただそれを認めるだけで良く、案がいくつかあって選択に困る2、3点だけを悩めば良かった。
格段の進歩、指示を超えた結果がもたらされたことにアレクサンドラは密かに感激しながら、上役に、他の手続では同じものは作れないだろうか、と相談を持ちかけた。
上役は少し戸惑ったようだったが、基本の手続がまだ何本もあるので可能なものもあるが、難易度が高いものも数が多いため、全ては難しいだろうと答えた。
「では、できそうなもので構わないから、進めてみてくれないかしら。何から着手するかは任せます」
「承知しました。では、いつまでに」
「期限は決めないので、ある程度煮詰まった段階で見せてちょうだい。順次でも、まとめてでも良いわ」
ミハイルは自然体で、ポリーナは熱意を持って頷き、上役ヴラジミルもリストの有用性を感じたのだろう、異議は唱えなかった。
これで合っているのだろうか、という不安は、これで合っているのかもしれない、という確信に変わっていった。




