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公証長サーシャの通過点―巻き戻った今度は自分に負けずに生きる  作者: 蜂須賀漆


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第9話(2)

第1王子ニコライは、ソフィア夫人の従姉情報のとおり、アレクサンドラに心傾けている面はあった。

最後の記憶は泣き顔であり、あの幼い茶席でのいじらしさは折々に胸に浮かんでいたが、久しぶりに見た、デビュタントでの楚々とした中に華やかさも持ち合わせた、すっかり成長した姿に印象が上書きされ、それは離れなくなった。

成長した彼女は、デビュタントの緊張は見られなかったが、他の令嬢達のように、着飾った自分への驕りや気取りも、浮き足だった様子も一切なく、晴れの舞台にもかかわらず独り平静でいるように見えた。

ニコライはダンスのエスコートに選ばれた侯爵令息が羨ましくてたまらず、自分なら完璧にリードができるのにと、アレクサンドラのフォローを受け、微笑みまで向けられた令息を内心貶したりした。

他の令嬢達と同様、社交界デビューした以上、結婚相手の選定がスタートするだろう。

オルロワ伯爵夫妻はどういう選択をするのか、相手はもちろん貴族の中からということになるだろうが、誰であろうと、他人に取られるのは我慢ができない気がした。


その一方で、アレクサンドラをこんなに気にかけるのは良くないことだと自制もしていた。

結局、オルロフ家には弟妹は生まれず、子は結局彼女1人になった。

普通の貴族なら王族に望まれれば、多少迷いはするだろうが娘を嫁がせ、親族から養子を取って自家の爵位を維持するのが大方のところだろうが、オルロフ家は王命により公証を司っている。

一人娘が望まれた結果、オルロフ家は必ず養子を取ることになる、それはつまり現伯爵、イワノフ・ペトロヴィッチ・オルロフの系統には、公証長の資格がないと王自ら認めることと同じになってしまう。

それに、聞いたところによると、どうもオルロフ伯爵の弟が、今でも公証長の地位から興味を失っていないという。

アレクサンドラがいる以上、叔父である弟に長の座が移ることはないし、ウリヤノフ侯爵家の一員となった者がオルロフ伯爵位を重ねて継ぐことは制度上は不可能だ。

それなのに"興味を失っていない"というのがどういうことなのかは判然としないが、少なくともアレクサンドラが家から出れば、養子の第一順位は弟の子になる。

そして、現ウリヤノフ侯爵には既に孫が何人かいたはずだ。

ニコライが我欲を満たせば、叔父の血統による乗っ取りを許し、アレクサンドラに不幸を招く張本人に、ニコライはなってしまう。

たとえアレクサンドラを手に入れられても、そのために払わせた犠牲の大きさを、ニコライは一生背負わなければならない。

自分は王子であるにもかかわらず、相手は文字通り高嶺の花であった。

今更ながら、ニコライは王家の長子であることを恨めしく思った。


*


オルロフ家の領地オルトは、ソルトモーレの西寄りに位置している。

領地としてはそう広くはなく、比較的小さな商業地区のほかは農地と森が広がっていた。

昼夜と年間の寒暖差が大きいが、降水量は通年であまり変化がなく、古くから小麦やぶどうの栽培に適した地として、他の多くの土地と同様、農業を主要産業にしている。

帝都から4頭立ての馬車で1日半かけて、領地内のオルロフ家の邸宅へと向かうアレクサンドラは、窓の外の風景を、新鮮さを持って眺めていた。

領主である父伯爵は年に数回の訪問があったが、母夫人とアレクサンドラはほとんどが帝都生活で、領地への滞在は片手で数えるほどしかなく、どれも短期間だった。

直前に来たのは10年以上前だった気がする、と賑やかな帝都とは対照的に人の姿がほとんど見られないのを珍しく感じ、アレクサンドラはずっとどこまでも広がり、現れては過ぎていく畑や木々を飽きずに目に映していた。



父伯爵が来ている時以外は傍若無人に振る舞っていた、領地管理担当の執事は、恐らくお嬢様がメイド達を引き連れてやって来ることを非常に面倒に思っただろうが、当然表向きは伯爵令嬢を丁重にもてなした。

オルトでは決して見られない、実のところ国全体でもこれほどの容姿を持つ人はいないだろうという、飛び抜けて美しい淑女の来訪に、館の者はすっかりのぼせてしまい、お嬢様見たさに、ぎくしゃくと滞在している2階の廊下を歩き回ったり、必要のない茶や菓子などの御用聞きをしたりして、随行したメイドに追い払われていた。

執事もその例に漏れなかったが、一方で、大人しく御しやすい方だという侮りもあった。

日常に溢れる田舎の珍しさ、自然の爽やかさに心動かされ、観察に専念しているアレクサンドラが、言葉少なにしているのを勘違いしているのであった。


転地療養ということで、アレクサンドラはとにかく気の赴くままに自由に過ごすよう夫妻に諭されており、随行のメイド達も根を詰める学問をしないよう目を光らせよと申し付けられていた。

館内の物語本を読むところまでは許されたが、ペンと紙はそれとなく遠ざけられ、求めると「お勉強にお使いになるのはいけません」と窘められた。

アレクサンドラは、見慣れぬ天井の下で目が覚め、垢抜けない使用人達が用意した、野趣ある食事をする生活、貴族の館とはいえ素朴さが溢れる日常が何もかも珍しかったが、逆に自由時間がありすぎて、一日中、何も考えずに頭を空にしているのは困難を極めた。

身体の健康を損ねているわけではない場合、転地療養とは何をしてどう過ごすものなのか困ると、いつのまにか、思考は帝都でアレクサンドラを苦しめていた悩みへと流れた。


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