第9話(1)
「それでは本当なのだなソーニャ、殿下がオルロフ令嬢に御執心だというのは」
「執心かどうかまでは存じませんが……デビュタントで、声をかけることさえできなかったのを、残念がっておられたという話ですわ」
身を乗り出したセルゲイに、ソフィア・ヴァシーリエヴナ・ウリヤノワ、ウリヤノフ侯爵令嬢、未来のウリヤノフ侯爵夫人は扇を使いながら答えた。
邸宅の夫人の私室は、家具類は一通り豪華なものが揃っているが、広さは侯爵令嬢のものにしてはそれほどではない。
レースのカーテンが引かれ日中にも関わらず薄暗いが、今日は部屋の主によれば光が堪える気分ということで明かりは命じていない。
窓は少し開いていて、心地良い風にカーテンが揺らめいている。
猫足のテーブルを前に、揃いの椅子に腰掛けたセルゲイは、指を何度も組み替えながら、カウチソファに横たわっている身重の妻相手に話を続けた。
「我が姪はあの通り美しいだけでなく、忌々しいことに非常に賢く、知識は申し分ないと来ている。幼い頃は高飛車で小生意気な子供だったが、最近は何故かすっかり大人しくなった。控えめが美徳、ということを成長の過程で学んだのだな。正に皇妃にふさわしいと言えよう」
「まあ恐れ多いこと、臣下の方から皇妃にふさわしいと申し上げるなんて。決定権をお持ちなのは両陛下だけですよ」
侯爵令嬢は、とんでもないことをと言いたげに、扇で口元を覆った。
セルゲイはこれはこれはと一旦退散する。
夫人は、セルゲイが日頃、公証長の座を渇望しているのを知ってはいるが、もはやオルロフ家の人間ではなくなり、しかも将来的に爵位が1段上がるのだから、いつまで執着しているのかと考えていた。
むしろ、2人の男の子達と、お腹の子の将来のため、ウリヤノフ家の後継者として領地経営をどうするか等に心を砕いて欲しいと願っていた。
夫と同じ心ではない妻は、
「第一、サーシャは公証の後継者でしょう。たとえ皇妃にと望まれても承諾などできますまい」
と窘め、想定の範囲内だった夫は満を持して反論した。
「最高の方々からたっての御希望となれば、いくら覚えめでたい兄上と義姉上とはいえ、いや覚えがめでたいからこそ無下にはできまいよ。公証は陛下から授けていただいている権能であればなおさら、な」
「選ばれてしまえば公証はどうなります」
「そのための我が息子達ではないか」
後継者不在となれば、伯爵家と公証の維持のためには養子が必要になる。
そしてソルトモーレでは、家を維持する目的で養子を取る場合は制度上、親族が第一順位とされている。
アレクサンドラを皇妃にし、オルロフ家にセルゲイの子を養子にさせて、公証長にウリヤノフの血筋の者を据える。
セルゲイはその補佐になり、息子を媒介に公証を牛耳るというのが筋書きであった。
夫人は夫の野心の途方もないのに心底呆れて、
「あなたが公証での地位を望んでいらっしゃるのは分かりますが、あまりにもあんまりですわ。まだミーチャをサーシャの婚約者に、という方が可愛げがあります」
「何を言うか、従兄弟同士の婚姻が外聞が悪いのはあなたもお分かりだろう。それにあの娘は我が息子のことなぞ眼中にないだろうよ。これが一番平和的な方法なのだ」
ミーチャ、長男のドミトリーはアレクサンドラより5歳年上だったが、母に似ておっとりして、悪く言えば鈍さが隠しきれず、賢さではアレクサンドラの足下にも及ばずに、並んで立つと大分見劣りがした。
従兄弟同士の婚姻は制度的には可能だがあまり例はなく、また、公証の実権をアレクサンドラから奪うつもりの露骨な策略であると、後ろ指を指される懸念もある。
アレクサンドラは、デビュタントを終えてそろそろ結婚相手を考える頃になった。
伯爵夫妻が娘の婚約を整える前に、何としてもこの物語を完結させなければならない。
「あなたには分かるまい」
セルゲイは妻を説き伏せて、今回の情報源であり、皇后の侍女として仕えている夫人の従妹に、アレクサンドラがどれほど魅力的で、妃として唯一無二の魅力的な相手であることを、しばしば第1王子の耳に入れてくれるよう、手紙を書かせた。
反対はするが基本的にはセルゲイに逆らわない夫人は、メイドを呼んで封緘した手紙の発送を言いつけながら、止めればいいのに、思い止まってくれないかしら、と恨めしげに夫を見つめた。
意に介さないセルゲイは
「もはや長子が家を継ぐ時代ではない、ということだよ」
と高笑いしながらも、万が一計略が、アレクサンドラの婚約に間に合わなかった場合に備えて、更迭の理由になる事実を取り集める計画を立て始めた。
最悪、舅侯爵の小言のように捏造したものを1つ2つ織り交ぜるのもいいだろうという算段もしながら。




