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公証長サーシャの通過点―巻き戻った今度は自分に負けずに生きる  作者: 蜂須賀漆


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第7話(2)

デビュタントを終えた後、程なくして、アレクサンドラはとうとう父伯爵の補佐を行うこととなった。

取り仕切るのはまだ時期尚早だと頑なに主張し、あくまで補佐を堅持するという条件で承諾したが、とうとうこの時が来てしまったという嘆きが、アレクサンドラの胸に溢れた。

父伯爵が所用で不在の日は、定型的な事務の決裁を代理することもあった。

説明を聞き、内容を一読し、印を押す。

時折、判断が適切なのかと疑問に思う案件も混ざっていたが、手は自動的に印へと伸びた。

どうしても我慢できない案件は、父伯爵に伺いを立てることとして判断を保留した。

逃げたとも言えるが、改善の指示を出すか迷うたび、どうしても記憶が邪魔をして唇が震えただけで終わってしまう。

このままではいけないと、言うべきことも言えないようでは後継者失格だと、いつまでも巻き戻る前の傷に囚われていてはいけないと、奮い立たせた自分の心を、嘲りを浮かべた男が突き落とす。

次の瞬間に走るガツン、という衝撃に怯え、アレクサンドラはいつも頭を抱えた。


状況は悪化の一途を辿った。

書斎机の後ろの本棚から取り出した百科事典を、立ちながら引いている時のことだった。

ノックの音に空返事をしたアレクサンドラは、脳裏にこびり付いた「失礼いたします」の声色に事典を取り落とした。

バン、バタッという小さくない音が室内に響き、ドアを開けた青年が困惑顔で絨毯に足を踏み入れた。


「ピョートル・アリョシュコフと申します。決裁を頂きに参ったのですが……どうかなさいましたか」


アレクサンドラは、事典を震える手で拾い上げながら、「何でもありません。何の案件ですか」と絨毯の模様を見ながら尋ねた。

ピョートル、"十数年ぶり"のピョートルは、襟を正して恭しく、D子爵家の新規の証明案件であると述べた。


「書類を」


事典を机に置き、相手の顔を見ないようにしながら指示すると、机上に、綺麗に揃った紙の束が丁寧に置かれた。

論理順に並んだ書類、書き込まれた見やすい字、どれもピョートルのもので眩暈を覚える。

内容はほとんど頭に入って来ない。

最後まで形式的にパラパラと捲って、印を押し、一式を突き返したところで、「あの、僭越ながら申し上げます」と躊躇いがちに声がかかり、思わず顔を上げてしまった。

十数年ぶりに目が合う。

流し読みしたことを指摘されるのかと内心動揺したが、どうやらそうではなく、前回はアレクサンドラの指示に対する拒否の表明で始まったはしばみ色の瞳は、今日はただ心配を湛えていた。


「ご気分が優れないのではありませんか」

「いいえ、大丈夫です」

「しかしお顔の色が……温かいお飲み物でも持って来させましょうか」


また余計な、と思うなり、アレクサンドラは「構わないで」とかっとなった。


「主に飲み物の求めがあるかどうか伺いを立てるのはメイドがすべきこと、メイドの仕事です。彼女達の仕事を取り上げないでちょうだい」


ピョートルは、咎められるとは想定していなかったようで明らかにたじろいだが、出過ぎた真似をいたしました、と大人しく引き下がった。

扉が閉まるのを見届けてから、アレクサンドラは肘掛け椅子に身を投げ出し、ぐったりと、アカンサス模様の天井を仰いだ。

エンボス加工されたクリーム色の葉が降って来るような幻覚が訪れ、右手の甲を額に乗せてそれを阻む。

激高してしまった。

伯爵令嬢の所作としてふさわしくないという単純な反省と、まだ何の確執も生じておらず、何も知らない相手へ声を荒らげたことへの羞恥が、アレクサンドラを襲っていた。

2回目の生は控えめを心がけていたのに、それを崩してしまった自分に腹が立った。

同時に、ピョートルにも"繰り返し"のきっかけを与えないで欲しかった。

巻き戻ったのはアレクサンドラだけであり、無理な要求だとは承知していたが、それでも爪弾きをせざるを得なかった。

あの気遣いが、気が利く者だとかつてのアレクサンドラを感心させた要素が、転落への第一歩になった。

突き落とされたアレクサンドラと、殺人を犯したピョートルの、双方の転落。

同じことを繰り返さないために、公証長補佐と一般の職員、ごく事務的なやりとりをする平行線を保ちたかった。

叶うことなら接点を持ちたくなかった。

今度のお嬢様は無茶振りをしないのだから、その有能さをアレクサンドラに披露しないで欲しかった。


けれども、こんなに身体と思考が強張るのは、一度殺された相手ゆえ、二度目がないように防衛反応をしているのかと思ったが、どうも違う感じがあった。

今まで大人しかった伯爵令嬢が突如沸騰したことに驚いたかもしれない、叱責で負の感情を抱かれたかもしれない。

自分の挙動の結果が気になって仕方がなかった。

それだけでなく、丁重な口調で話されたのに密かに傷ついている自分に気がついて、アレクサンドラは驚いた。

巻き戻る前は最初から喧嘩腰だったはずだ、丁寧な口調は他人行儀に響いた。


指先がとても冷たい。

そもそも自分は何故、ピョートルに過酷に当たるようになったのだろうとぼんやり考えながら、呼び鈴を鳴らしてメイドを呼び、茶の支度を命じた。

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